2015年5月10日(日)
(5月6日の出来事を・・)
「空海様が来られた痕跡はありませんかね」と、島に着いてからまず真っ先に観光協会で聞いても、どこで聞いても皆さん、「さぁ~??・・??」と言う答えしか返ってきませんでした。
空海様は遣唐使船でも立ち寄ってるでしょうし、それ以外にも何度か行ってるはずなんですが、皆目ご存じないようでした。
西の漕手あたりに行けば何か痕跡があるのではと、陵墓へ行く途中にあるので注意深く見ていたつもりでしたが、そのポイントを通り過ごしてしまいUターンしてきて信号機のある交差点付近で聞いてみると、すぐ目の前まできていました。
「ほら、あそこにトイレが見えるでしょう。その前に車を止めて、向こうへと行ったところが西の漕手ですよ」と教えてもらい、車を止めて歩いて行きました。
「ここを船が引かれて行ったのかぁ・・」と遠い昔の情景を空想しながら、入り江の方へと緩い傾斜を歩いてほどなくして目の前の島を眺めていると、後をついてきたかのように白い車がやってきて、車がUターンできるように設けられた狭いスペースにバックで止まりました。
そして車から降りた作業服姿姿のお爺さんが、「どこから来たの!?」と聞かれるので、「神戸からです」と言うと、車の中からなにやら紙切れを取り出してそれを広げて一部を指さして、「ここにこう書いてある」と言われます。
その時もそうでしたが、今でもどう考えても変な話なんですね。 何も聞いていないのに、「ここにこう書いてある」と。
「伊勢の五十鈴宮の姫神」・・と。
・・・
私は箸墓古墳に伊勢の倭姫をお連れしに行って、対馬の山中にある陵墓へと行く訳ですから・・、それはそれは不思議でなりませんでした。
上の地図で、ブルーの三角印のところが、西の漕手の場所です。 赤丸印の場所が弘法壇です。
それからお爺さんに、「空海様が来られた痕跡はありませんかねぇ」と聞くと、「ほら、目の前のその山がそれじゃよ!弘法壇と言って、空海様が一夜にしてお堂を造ったという謂れがありましのぅ・・」と。
それからいろいろと、ここらの話を聞いてから私は思い切ってお爺さんに心の内を打ち明けてみました。
私 :「お爺さんお仕事ですか」
お爺さん :「いえ仕事ではありませんが・・」
私 :「実は、大事な人のお墓が山の中にあるので、そこに行くように言われたのでこうして初めて対馬に来たんですが、よろしければ連れて行ってもらえませんでしょうか」
お爺さん :「良いですけど、どのあたりですかねぇ・・」
私 :「ホントですかぁ! 車の中に地図がありますので見ていただけますかぁ!」
・・・と言うことで、トイレの前に停めていた車に戻って、お爺さんに説明しました。
最初は・・、「ここから遠いのぉ・・」と言って地図に見入って居られましたが、自宅が近くだとのことで運動靴に履き替えられて戻ってこられ、一緒に車に乗り込んでもらって、一緒に陵墓がある山へと向かうことになりました。
その車の中で・・・、それはそれはあまりにも不思議な話で、 「エ~~~ッ!」「エ~~ッ!それ本当ですかぁ!」「エ~~ッ!」と言う連続の話で、ワイワイ、ガヤガヤと異次元の世界へと一気に入り込んだようでした。
それから一切無駄な時間を費やすことなく、目指す陵墓へとキッチリと登ることができました。
そして・・、帰りの車の中でも思い切りお爺さんにお願いしてみました。
私 :「さっきの弘法壇へ連れて行ってもらえませんかね」
お爺さん :「明日ですかいね」
私 :「いえ、今からです」
お爺さん :「じゃ~今から行きましょう。潮も完全にひいていて丁度好いでしょう」
・・・と、言うことで弘法壇へも上がることができました。
キッチリと空海様も、一緒に動かれているようでなりませんでした。