散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

映画「関ヶ原」再考 「石田三成は十分に成功した」はずなのに。

2018年12月03日 | ドラマ
小説を映画にしても、「小説を上回る」ことは少なく、どうしてもみたいわけでもなかったのですが、レンタル料も安くなってきたのでやっと「関ヶ原」をツタヤで借りて見てみました。

いきなり淀とか寧々が「変な殿上眉」(ひたいに眉を書く、貴族風の眉)をしていて、「キモチわる」と思いました。映画「清州会議」も同じでしたが、見る者にわざと違和感を感じさせるため、そういう「悪意」をもって、こんなことをしているのでしょうか。

たぶん「リアリティ」の追求なんでしょうが、空回りしています。後半は全部戦闘シーンなんですが、ここでも足軽が槍で「叩きあって」いました。槍は本来「突く」ものではなく「叩くもの」という説を採用したんでしょう。当然のことながら戦闘シーンは美しくなくなり、泥くさくなります。運動会の棒倒しのように、わいわい集まって騒いでいる感じです。それとやたらと大砲の砲弾が「爆発」している。リアリティを追求するならあれはない。当時の弾は「爆裂弾」ではなく「金属のかたまり」です。着弾しても「爆発はしない」のです。

その他「人買い」のシーンを登場させたり、つまり「戦国本当はこうだった」的な描き方をするわけですが、一方で「忍者」を登場させたりもしています。リアリティを追求したいのか、それともしたくないのか。うーんどうも中途半端、惜しいと思います。

とはいうものの、

この映画には原作に忠実に作られた部分も多く存在します。語りが「そっくりそのまま司馬さんの文章通り」だったりもします。

「少なくとも原作を忠実に再現しようとする気持ちはあるのだろう」

ということは分かります。

しかし重要なところでは、2つの点が変更されており、どうもその変更(つまりこの映画オリジナルの部分)が成功しているとは思えないのです。

1,初芽が忍者にキャラ変更されている。しかも「私は拾った犬とでも思ってください」という言葉を繰り返す。自虐的というかドMである。有村架純にドM言葉を言わせるのは「監督の趣味なのか」と思われて気持ちが悪い。さらにこの頃の有村さんは「朝ドラの主人公で、田舎娘を演じていたため、故意に太っている」。だから「ぽっちゃりドM女忍者」になってしまっている。

2,裏切り金吾中納言、小早川秀秋が「悩める純粋な青年」となっている。「家臣団」が家康に調略され、秀秋の意図に反して裏切ったとなっています。そのことを最後に小早川秀秋は石田三成に詫びます。→こういう設定だと三成の「裏切り金吾中納言の名は、人の世が続く続く限り語りつがれる。わしが鬼となって後は、おぬしを地上に生かしてはおかぬ」という「三成最後の名シーン」がなくなってしまいます。実際なくなっている。実に惜しいと思います。

文句は実はたくさんあるのです。小説のファンなのでどうしても文句が多くなります。

・宇喜多秀家、細川忠興、黒田長政などが「その他大勢」扱いになっており、はっきり区別できない。あれ黒田長政はどの人物だ?という感じです。

・声がこもっていて、何いってるか分からないシーンが多い。

・時間制限でもあるのか、登場人物が家康を除いて「異常なほど早口」である。その為、言葉に「重みも、わびもさびも」なくなってしまっている。

・戦闘シーンと忍者の格闘シーンに力を入れ過ぎている。アクション映画みたいである。

そして最大の文句が、小説における最後の、そして最も重要な「三成観」を示した部分が「ばっさりカット」されていることです。

カットされた文章が「コレ」です。

(黒田如水の心の声として)
秀吉の晩年、もはや大名から庶民にいたるまで、その政権が終わることをひそかに望んでいたにも関わらず、あの男(三成)は、それをさらに続かせようとした。すべての無理はそこにある、と如水は言いたかったが、しかし沈黙した。かわりに
「あの男は、成功した」
と言った。ただ一つのことについてである。あの一挙(関ケ原)は、故太閤へのなりよりもの馳走(贈り物)になったであろう。豊臣政権のほろびにあたって、三成などの寵臣までもが、家康のもとに走って媚びを売ったとなれば、世の姿は崩れ、人はけじめを失う。かつは置き残していった寵臣からそこまで裏切られれば、秀吉のみじめさは救いがたい。その点からいえば「あの男は十分に成功した」、と如水は言うのである。

これが原作の「三成観」なわけですが、ばっさりカットです。

ちなみにTBSドラマ「関ケ原」ではカットされていません。ただしそう言ったのは黒田如水ではなく、本多正信です。本多正信はこの作品(小説)のサブ主人公でもあるのです。映画「関ケ原」でも、謀略の友とはされていますが、どうも動きが軽すぎて、本田正信らしさがありません。

TBSドラマ「関ケ原」は、語り手を原マルチノにした以外は、ほぼ原作を踏襲しています。従って素晴らしい作品となりました。人間も描かれていて、誰が誰なのか、ハッキリと分かります。映画「関ヶ原」は原作に忠実であろうと「努力」はしているようです。ただ肝心な点を変更したり、カットしたりしているように感じられ。そこがいかにも「惜しい」気がします。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿