散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

2015年のトンデモ本大賞・文部省の道徳教材・江戸しぐさ

2019年06月20日 | 政治
「トンデモ本大賞2015」投票総数76で過半数の47票を集め『私たちの道徳 小学五・六年生』が大賞を受賞しました。著作権者は文部科学省です。
江戸しぐさなる「偽史」が載っています。

傘かしげ   雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと
肩引き    道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと
時泥棒    断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる
うかつあやまり たとえば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと
七三の道   道の真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は緊急時などに備え他の人のためにあけておくこと
こぶし腰浮かせ 乗合船などで後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作ること
逆らいしぐさ 「しかし」「でも」と文句を並べ立てて逆らうことをしない。年長者からの配慮ある言葉に従うことが、人間の成長にもつながる。また、年長者への啓発的側面も感じられる
喫煙しぐさ   野暮な「喫煙禁止」などと張り紙がなくとも、非喫煙者が同席する場では喫煙をしない
ロク     江戸っ子の研ぎ澄まされた第六感。五感を超えたインスピレーション。江戸っ子(江戸しぐさ伝承者)はこれで関東大震災を予知したという

江戸しぐさというのは、ある政治的意図を持って捏造された「にせものの伝統」です。「ロク」に至ってはオカルトだし、喫煙禁止の張り紙がなくてもって、江戸時代にあるわけありません。
約束の時間に遅れるって、正確な時計もないのに。江戸の傘の構造からみて傾けたらかえって迷惑。ロングシートもないのに腰うかせって。「逆らいしぐさ」も笑える。内容からすれば「逆らわずしぐさ」でしょう。それに「年長に逆らうな」は「しぐさ」などではなく「儒教道徳そのもの」です。・・・とツッコミどころ満載です。現代人が創作したことはアホでも分かります。

歴史学者はほぼ全員が否定してますが、あまりに馬鹿馬鹿しいので、また「かかわると面倒な人たちが主張しているので」、真剣に反論はしていません。
さらに面白いと思ったのは落語家さんの考えです。「そんなマナーがあったなら落語話に出てこないわけがないが、出てこない」。説得力があります。

呉座勇一さんは著書で批判しています。☆の部分。

☆本能寺の変の黒幕説や共犯者説は、学界では全然信じられていません。ところが、世間では「黒幕がいたんでしょ」という話がまことしやかに囁かれ、実際にその説を唱えた本がベストセラーにもなっている。そうしたギャップが、近年は放置できないほどに深刻化しているように見えます。テレビや出版社が無責任に珍説を紹介するのが最大の要因だと思いますが、学界の人間がこれまで陰謀論、特に前近代のそれを黙殺し、問題点を指摘してこなかったことにも原因があるのではないでしょうか。

☆少し前に話題になった「江戸しぐさ」という偽史も同じです。江戸しぐさとは、「傘かしげ」や「こぶし腰浮かせ」など、「江戸時代の商人たちのマナーだった」として、2000年代に広く知られるようになりました。ところが江戸時代に実在していたという歴史的証拠はなく、偽史であることが判明しています

ということでどこの出版社も掲載をやめました。文部族の下村氏のゴリ押しがあったことも明らかにされています。

そんな中「文部省発行の道徳教材には今でもまだ載っている」これは笑って済ますべき問題とも思いません。完全ににせものと判明したものがまだ載っているわけです。
わたしも確認しましたが、58頁と59頁に載っています。
しかもウソがパワーアップしています。
「おつとめしぐさ」・・・誰もみていないてもいいことをしよう
「差し伸べしぐさ」・・・困っている人に手を差し伸べよう       
「念入りしぐさ」・・・火の消し忘れや忘れ物がないか念入りに確認しよう
「用心しぐさ」・・・人混みで親と離れないよう用心しよう 

上から二つ目まではキリスト教道徳に近い。3つ目は「火の用心」でいい。4つ目モロ現代的だし、「念入り」と「用心」はほぼ同じ意味では。

例の有名な前川次官は言っています。
前川 「江戸しぐさ」をまだやってるんですか! あれはやめた方がいいですよ。江戸しぐさは、文科省が作った道徳教材の中に入れちゃったの。あれはねえ、大失敗。僕が初等中等局長のとき、下村さん(下村博文・元文科相)に言われて作った。あんなインチキなものを伝統的な道徳だって思い込んで学校の教材にしてしまったことは、悔やんでも悔やみきれないです。

それにしても現場の教員は何をやっているのでしょう。生徒にウソ教えて平気なんでしょうか。

「にせものの江戸しぐさ」は明らかに「現代向けマナー」です。マナーそのものは正しいからいいではないか、とはなりません。

マナーを倫理と言い換えるなら、子どもにウソは教えないという最低限の倫理を守っていないオトナたちが、どの面下げて、子どもにマナーを教えられるのでしょうか。

イランのハメネイ師が語ったこと・アメリカ福音派・イスラエル

2019年06月16日 | 政治
イランのハメネイ師が語ったことは、日本の報道とは随分イメージが違う内容です。

「核兵器には反対する。そのような兵器を製造することは我々の宗教令がそれを禁じている」「しかし、一旦核兵器を製造するようになると米国はそれに反対しても何もできなくなる、そしてそれが禁止されても我々にとって障害にはならない」と述べてイランの断固たる姿勢を安倍首相の前に披露した。(参照:「El Pais」、「HispanTV」)

 一方、安倍首相は米国はイランの政治体制を変えようとする意向のないことをトランプ大統領のメッセージとしてハメネイ師に伝えた。しかし、同師はそのような米国の意向は「偽りだ」と指摘した。そして、「仮にそれをやったとしても、達成できないだろう。この40年米国政府はイスラム共和国を打倒しようと試みたが失敗に終わっている」と断言した。(参照:「HispanTV」)

といってハメネイ師の強気がそのまま本心とも言えないでしょう。しかし「製造しない。でも製造しようと思えばできる」と言ってるわけで、これは日本の報道とはかなり違ったイメージの発言です。

そもそもアメリカは何故前のめりになってイランと対立しているのか。それを私が語れるわけもないのですが、分かっているのは「イランとイスラエルが対立を深めている」ということ。そしてトランプ政権が「異常なほどにイスラエル寄り」だということです。

またイスラエルはかつてほど中東で孤立しているわけでもなく、アラブ諸国はイランの台頭を恐れてもいる。かつての孤立したユダヤ対全イスラムという構図はもはや通用しないとのことです。そもそもイランは特別な国です。シーア派であることに加え、言語もペルシャ語です。アラビア語ではないのです。かつては「大帝国」であったペルシャです。東アジアで言うなら中国。しかも石油も天然ガスも豊富です。かつての「大国」に戻る潜在力を十分に秘めた国です。したがってアラブ諸国からも警戒されています。特にサウジアラビアが警戒しており、そのサウジに大量の武器を売って儲けているのがアメリカです。

そもそもアメリカはイスラエル寄りの国ですが、トランプになって「異常にイスラエル寄り」になった理由は、一般には「アメリカ福音派」で説明されます。

この福音派というのが、どうにも分からないというか、今一歩分からない集団です。

以下高橋和夫氏のブログから引用します。

「キリスト教原理主義者と呼ばれる人々の存在である。しかも、そうした人々は熱烈にイスラエルを支持している。そのキリスト教原理主義者たちは、エルサレムをイスラエルの首都として承認するよう求めてきた。この人々は、キリスト教右派とか宗教保守派とか、あるいはクリスチャン・シオニストとか、さまざまな名称で言及される。
彼らはある意味、ユダヤ人以上にイスラエルを支持しており、占領地の入植をも認める。なぜなら特異な神学を信じているからだ。そこにあるのは、全パレスチナのユダヤ化がイエスの再臨の準備になるという世界観である。世論調査によれば、米国民の16%がこうした世界観を抱いている。実数にすると約5200万人である。そして、その8割以上が昨年の大統領選挙でトランプ氏に投票した。この層の支持がなければトランプ氏はホワイトハウスには入れなかっただろう。」

引用終わり。16%という数字がでましたが、25%という方もいます。ただ、特異な神学を本当に信じているのは16%なのかも知れません。世の終わり、最終戦争をむしろ待望している人々です。

さらに青木保憲氏によると

「米国の福音派はトランプ大統領に絶対的な支持を与えているわけではない。政治的関与に対して、幅広い意見を持つ福音派は、その定義すらつかみどころがない。自分たちの願うアクションを政策として掲げてくれるトランプ大統領を「熱烈に」支持する一部の福音派(宗教右派)もいれば、彼らのプレゼンにほだされて、トランプ支持に回る「浮遊層」も存在する。さらに、政治的な解決は自分たちの信じている聖書のやり方に反する、と主張する反トランプ派の福音派も存在する。」

そうです。

イエスの再臨、というのは最後の審判です。黙示録の世界です。キリストが復活してめでたしとかいう甘いものではありません。世の終わりです。そして信仰あつき者は天に行くか、神によって破壊され、再創造された世界に行くことになります。わたしなぞ絶対に行けません。信仰が薄いとかではなく、そもそもキリスト教徒ではないですから。

ここで不思議なのはイスラエルの建国が「イエス再臨」の前兆だという考え方です。クリスチャン・シオニストの立場ですね。

「この立場では、イスラエル(パレスチナ)を神がユダヤ人に与えた土地と認める。さらに、イスラエル国家の建設は聖書に預言された「イスラエルの回復」であるとし、ユダヤ人のイスラエルへの帰還を支援する。キリストの再臨と世界の終末が起こる前に、イスラエルの回復がなされている必要があると考え、イスラエルの建国と存続を支持する。」 Wikipedia

「シオニズムは、元来、ユダヤ人国家の建設を目指すユダヤ人たちの運動ですが、クリスチャンの中にも、イスラエル建国をメシア到来の重要なステップと見なし、イスラエルを特別視する人たちがいます。そうした人々のことを、クリスチャン・シオニストと言いますが、大半は米国在住の福音派クリスチャンたちです。福音派クリスチャンのすべてがクリスチャン・シオニストではありませんが、その核となっている宗教右派勢力の大部分は親イスラエル的傾向を持っています。
 これが宗教的な傾向性にとどまらず、アメリカの外交政策にまで影響を与えていると言われています。どの程度の影響力があるのかは定かではありませんが、少なくとも、その影響力はかなり大きいようです。」

「かなり大きい」どころかトランプ外交には決定的な影響力を持っています。トランプ自身は大統領になるまで福音派の存在にさほど興味はなかったようですが、今や岩盤支持層として彼らの意に沿う政策を推し進めています。

「イスラエルの回復の予言」はローマの信徒への手紙11章でなされているそうです。なるほど和訳を読むと、イエスを処刑したユダヤイスラエルが「それでもやがて救われる」とは書いてあります。
「こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。」

しかし根拠はこの部分だけでなく、旧約聖書の言葉も多く根拠とされているようです。キリスト教は旧約聖書に対して排他的な立場はとらず、旧約も聖書であるという立場をとっていますが、旧約も含めて一字一句真実であるという立場だとすると、ちょっと想像を超えています。新約の4つの福音書ですら「互いに矛盾した記述」があるのです。旧約まで含めて新旧聖書を「統一的に理解すること」などまず無理というものです。

わたしは聖書に関しては「文献学的興味」を持っています。どの福音がいつ書かれ、どういう風に「対立関係にあるか」を文献学は明らかにします。4つの福音書すら立場が大きく違うのです。

もし本当に頑強なキリスト教原理主義者が16%、5000万人以上いるとするなら、われわれはアメリカについて「何も知らないに等しい」のかも知れません。

これまで日本人は「現実のほう」を「憲法に合わせて」変えてきた。

2018年10月31日 | 政治
日本国憲法はアメリカのエリートが夢想した、アメリカ民主主義の「あるべき姿、理想」です。

それは本国のアメリカでは実現できないものだったし、今でも実現されていません。貧富の差は激しく、貧しいものは医者にかかることすらできません。

アメリカの夢、金もうけのアメリカンドリームではなく、民主主義のアメリカンドリーム。見果てぬ夢です。

むろん「日本の現実」とは少しも合っていませんでした。貧富の差は激しく、貧困ゆえの犯罪が多発していました。少年による殺人は、今とは比較にならないほど多かったのです。その大きな理由が貧困と無知でした。

そもそも日本国憲法は「日本の現実と合っていない」ものなのです。それは「理想」だからです。

だから、日本人は「現実のほう」を「憲法に合わせる努力」をしてきました。

「現実に合わないから憲法のほうを変える」なんて発想はなかったのです。現実の方を「理想に近づけよう」としてきたのです。

「現実に合わないから憲法を変えよう」

それは一見道理にあっているように見えます。

しかしそこには戦後史を考えようという思考が欠落しています。「日本憲法の理想主義的本質」が分かっていない人の考え方です。

「諸外国の英知と努力によって、平和を保つ」ことができない「現実」があるとすれば、まずはその世界の現実を変える努力をすべきです。

むろんそれは理想ですから実現はしないかもしれません。だから自衛隊はたぶん必要なのでしょう。

しかし「現実に合わないから憲法を変える」なんてことを「いちいちやっていたら」、日本は今よりとてつもなく悪い国になっていたはずです。

「現実に合わない」のは「もともとの憲法の姿」なのです。

昭和はいい時代だったなんてのは「大嘘」です。貧困と差別に満ちたひどい時代でした。憲法は全く現実とあっていませんでした。

合っていなかったから合わせようとして、日本人は現実のほうを変えてきたのです。その結果、貧困と差別は、まだあるにせよ、大きく改善しました。

平成の方が昭和の数倍「いい時代」なのです。それは「現実とあっていない理想主義的憲法」を「それでも変えない」という姿勢があって初めて実現したものです。