散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

本郷和人・「承久の乱」を読んで

2019年11月30日 | 本郷和人
本郷和人「承久の乱」、、、いろんな意味で「おもしろい」のです。

・筆者の「買ってくれ」アピールがおもしろい。

・筆者の「構想20年」という意気込みの「空回り」がおもしろい。

・内容もそれなりにはおもしろい。


そもそも学会の異端児(師匠が大家で、自身も東大教授なのに、少数派)で、「口が滑る」ことも多そうな人です。「令和」問題では、「なんじゃ令和って」という本音をTVで話し、そして炎上し、「私みたいな無名の学者が炎上した」と言って喜んでいました。実際に喜んでいたのか、韜晦したのかは分かりません。

同時進行で磯田道史氏の本なども読みましたが、「スキが多い」という点で本郷和人氏の本のほうが私にはおもしろかった。まして呉座氏の「やたらと細かいだけの」「応仁の乱」あたりとは比較にならないほど面白い。

本郷さんは五味さんや石井さんの弟子で、東国独立国家論の立場です。最近の保守ブームの中では、学界すら学者の姿勢を失い、なんでもかんでも尊王であり、東国独立国家論は少数派になります。私は断然支持しますが、学界では少数派のようです。むろん私には学会の話など関係ありませんが、若い学者の一次史料原理主義的な「なんの面白みもない歴史論」を見ていると、日本史学会は随分と「不健全な組織だな」とは感じます。だから少数派の本郷氏の方が正しいと思います。

この「おっさん」は「平清盛」の時代考証をやって「諸行無常はじまる」とかいう表現を黙認した人で、最初は悪い印象でした。でも本を読むとおもしろいおっさんです。

鎌倉幕府とは何か。それがこの本のテーマです。結論は簡単。

・武士のよる武士のための政権

・源頼朝とその仲間たち、から北条義時とその仲間たちに権力が移行した政権

「こういうのって単純そうに見えるけど、思いつくまでにはもの凄く時間がかかるし、苦労してるんですよ。コロンブスの卵というやつです」

なんて「あとがき」に書いてますが、「うそ」です。なぜなら本郷氏は大河「草燃える」を「きちんと見ている」からです。

すでに大河「草燃える」において、上記の2つははっきりと「セリフ」として表現されています。

映像を見返していないので、記憶で書きますが、「草燃える」において松平健演じる「北条義時」はこう言います。

「今になって、この年になって、おれは死んだ兄貴が源氏をかついで何をやりたかったのかがはっきりと分かってきた。源氏の旗揚げ、あれは源氏の旗揚げではなかった。あくまでも源氏は借り物。あれは俺たち東国武者の旗揚げであった。だから東国武者のうちの最も強いものが頂点に立ち、幕府を運営していくのは当然のことなのだ。源氏など借り物に過ぎなかったからだ。」

はっきりとこういう「意味のこと」を述べています。「強い衝撃」を受けたのでよく覚えています。鎌倉幕府をみる私の歴史観はこのセリフによって形成されました。中学の時だと思います。

本郷氏も「草燃える」をきちんと見ている以上、このセリフを知らないわけはありません。DVDの総集編にだって収録されています。

つまり本郷氏の「発見」は氏の発見ではないのです。すでに遠い昔に大河ドラマで言われていたのことなのです。

それをすっとぼけて「自分の発見」にしてしまう。この軽薄さが「おもしろい」、というか微笑ましい。

なぜ後鳥羽上皇が「敗けた」のかに対する氏の説は単純ですが、「そうだろうな」という説得力は持っています。

・後鳥羽上皇は「反北条の守護」は抑えたが、「守護」に「国内の武士を総動員する力がない」ことを見抜けなかった。国司は国を統べるという古い観念で守護をとらえてしまった。

・西国の守護は「鉢植え」であり、実力を伴っていなかった。東国の守護は地に足をつけており、動員力、戦意とも西国守護をはるかに上回っていた。

というものです。そして承久の乱を契機に朝廷の時代が終わり、武士の政治となり、やがて民の政治に移行していく。そういう意味で承久の乱こそ日本史のターニングポイントである。

その通りだと思います。

馬鹿にするようなことも書きましたが、私は本郷氏を支持しており、「おもしろい」し、余裕もあるし、正直だし、「なかなかに素晴らしい歴史学者」だと思っています。



麒麟がくる・尊王の織田信長なんて見たくない

2019年11月30日 | 麒麟がくる
沢尻さんの降板とかいろいろありますが、それでも来年1月の終わりには「麒麟がくる」が放映されます。

「保守的な信長」を描くそうです。最近の「史料の表面しか見ない浅はかな信長研究」の成果です。なにしろ「手紙」とか「相手がいるから相手に合わせて書いている」ものを、「そのまんま本音だと解釈」してしまうのです。

そりゃ誰でも彼でも「保守的、尊王的」になるでしょう。「建て前表現」をそのまま真実と解釈したらそうなる。アホです。権門体制論とか実にばかばかしい。

信長は天下=畿内の静謐を願っていた。足利家も天皇家にも尊崇の念を持っていた、らしいのですが、

☆じゃあ、どうしていきなり越前の「朝倉」を攻めるのだ。畿内じゃないぞ。

☆足利義昭と戦って「天皇のおひざ元である上京を焼き払い、計画では下京だって焼き払う」はずであった。どこが尊王だ!何が天下静謐だ!


というのが私の意見です。「将軍に命じられたから朝倉を攻めた」とか、、、おかしいではないか。とにかく「天下静謐」なんだろ。「天下静謐を乱すなら将軍にとて意見した」のだろ。

それを将軍のいうがままに朝倉を攻めたら天下静謐というウソが崩れてしまうではないか。そもそも将軍の命じゃないし。形式上そういう形をとっているだけだし。

信長は「天皇にも将軍にも神社にも」、さして尊敬の念は持っていませんでした。「貧乏天皇」と「流浪将軍」、、、、どうやったら尊敬できるのか。できるわけない。どうしたら尊敬するような人間になれるのか。むしろそっちに興味が湧くほどです。

手紙では「尊敬しているようなふり」もするでしょう。手紙は相手があるからです。公文書も同じ。でも本音は「行動によって分かり」ます。

信長の行動から判断するなら「保守的な信長」「尊王の信長」なんて全てうそです。そういうウソに依拠した作品は、将来の歴史の評価に耐えないものとなるでしょう。

豊臣は本姓か・源平藤橘・徳川次郎三郎源朝臣家康

2019年11月30日 | 鎌倉幕府
日本の本姓は源平藤橘の4つであると、私は「間違った知識」を持っていましたが、調べてみると色々あります。「菅原、紀、清原・小槻」、ほかにも色々あるようです。

紀貫之が「きつらゆき」ではなく、「きのつらゆき」なのは紀が本姓だからということになりそうです。

もっとも本姓など、すでに戦国期において「ほとんど意味のない」ものとなっていました。豊臣秀吉は「本姓みたいなもの」を政治的に利用し、豊臣という姓を源平藤橘を無視する形で、いろいろな人間に配ります。源だろうが藤原だろうが「とにかくお前は豊臣だ」というわけです。

これは極めて変則的でしたから、その後、また意味を持たない本来の状態にもどります。

ウィキペディアなどを見ると、司馬遼太郎さんさえ「秀吉が姓を羽柴から豊臣に変えた」と「間違ったことを書いている」などという記述があります。

なんでもかんでも司馬さんの足をすくうことを考えているアホな歴史学者が記述しそうなことです。

そもそも「本姓」が形骸化しているので、豊臣が「本姓か名字か」は微妙です。豊臣という姓を天皇からもらったのは本当だから「本姓」でいいという人もいるでしょう。

すると「おかしなこと」が生じます。

秀吉は「羽柴藤吉郎豊臣朝臣秀吉」、「はしばとうきちろう、とよとみのあそん、ひでよし」ということなります。

すると「豊臣政権」は「豊臣政権ではなく」、「羽柴政権」と言わなくてはいけなくなります。

徳川家康の名乗りは「徳川次郎三郎源朝臣家康」です。そして我々は「源幕府」「源政権」とは言いません。「本姓」は使わないのです。足利政権だって同じです。足利の本姓は「源」です。

この法則に従うなら、「豊臣政権」という呼称はおかしく、「羽柴政権」ということになります。

でもそうは言わない。すでに「本姓と名字の区別など形骸化」していることを知っているからです。だから「羽柴から豊臣に変えた」というのは「完全な間違いでない」、どころか、学者はみんな「豊臣」を「名字扱い」してきたのです。

さて、徳川家康。

最初は「藤原」を名乗っていました。本姓なんてどうでもいいのです。どうとでもなる。新しく豊臣という「本姓みたいなもの」を創設だってできる。実にいい加減です。朝廷のいい加減さに即して、いい加減になっているのです。

政権をとった段階では「源」でした。そして「将軍は源氏しかなれない」という間違った説が流布します。「藤原将軍」「親王、天皇の子供将軍」だっていくらでもいます。

そもそも「幕府は源氏しか開けない」という表現が変です。「幕府」なんて言い方、当時はしてないからです。一般的になるのは江戸も相当後期になってからです。

つまり「幕府を開くぞ」という表現が「ありえない表現」なので、「幕府は源氏しか開けない」という表現も「当然成立しない」のです。「幕府」という呼称を使っていなかったからです。

朝廷なんて実にいい加減な組織なわけで、原理原則なんてあった言う間に覆してきました。そんな朝廷を前提にして「幕府は源氏しか開けない」なんてのは変な話です。「開けない」わけないし、「そもそも幕府を開く」という概念がないし(例えば足利幕府の人間が、自らの政権を幕府と呼称したことはない)、百歩譲って「源氏しか開けない」なら、「源氏になればいい」だけの話です。簡単です。「源氏だ」と名乗ればいいのです。秀吉は源氏になれなかったから幕府を開かなかったわけではなく、幕府を開くという考えもないし、幕府という概念が一般的ではなかったし、開く必要もなかったから開かなかっただけです。

「オクニョ 運命の女」の面白さ

2019年11月05日 | 韓国・朝鮮
オクニョ、運命の人は韓国時代劇で、16世紀半ばを描いています。もっとも史実性は薄い作品です。

明宗の時代ですから、1545-1567ですが、最終回でユンウォニョンという歴史上の人物が死にますから、最終回は1565年ということになります。

この時オクニョは30才ぐらいの設定でしょうか。

オクニョは刑務所で産まれますが、母親は囚人ではありません。たまたま逃げてきた女性です。実は女官で、王の子を身ごもっています。母は死にますが、女の子が生まれます。これがオクニョ。

つまり王の娘ですから王女です。が、彼女はずっとそれを知らないし、知ってからも王女にはなりません。

で、何になるかというと、最初は「商団の主」です。これをヘンスと言っています。

で、最後に何になるかというと「弁護士」です。むろん弁護士という言葉はありません。が、弁護をする人ですから、弁護士です。

刑務所で育った名もなき女性が弁護士になる、、、というお話。というとまたちょっと違います。弁護士を目指すのは最後の方で。あとはずっと「悪人と戦って」いるわけです。

この「悪人」が大妃の弟である、ユンウォニョンとその妻。この二人は実際に存在した人物です。

この二人と大妃が組んで、王である明宗の政治を邪魔する。明宗はオクニョの兄なのですが、そうとは知らず、知り合いになり、王と親しくなり、、、、。

ここでまた解説が必要なんですが、無論、王とは知りません。従って彼女は彼女の戦いをするわけです。別に王のためではない。でも結局は王の為になり、知らず知らずに王と組んで戦うという構図になっていきます。

ここで「王に見出されて側室となり」だと「トンイ」の構図になりますが、そうはなりません。だって王とオクニョは兄弟だからです。兄弟と知らずに変な関係にならないよう、オクニョには「想い人」がいることになっています。幼馴染で、ユンウォニョンの庶子です。この庶子、途中で権力欲に取りつかれた感じになりますが、結局はオクニョたちの元へ戻ってきます。

韓国時代劇というのは、「リアル」に描くと、重くなりすぎます。朝鮮王朝実録がありますから、かなり「リアル」に描くことも可能なのです。

「龍の涙」なんかがそういう作品です。家臣をどんどん殺していくという悲惨な作品になります。

オクニョは、彼女の設定自体が完全なるフィクションです。明宗も出てきますが、リアルではありません。

オクニョは、イメージとしては「現代の活発な女性」です。ジメジメした感じがない。恋愛もなんだかドライです。そこがいいですね。そしてやたらと強い。武術の達人です。さらにやたらとデカイ。167センチありますから、でかいのです。

ストーリーはお決まりの、最後はオクニョが勝つというものですが、負けるユンウォニョンもなんだかかわいそうです。徹底的な悪ではないのです。むしろ多少ユーモラスに描かれています。とにかくオクニョが「圧倒的に強い」ので、悪人がなんだかかわいそうにも見える、そんな作品となっています。


さて、

時代は明宗の時代です。彼もオクニョも中宗の子供です。

韓国はイソンゲという男が作りましたが、彼の5男がクーデターで王権を奪取します。イバンオンです。徹底的に政敵を殺していきます。次の王が「イド」、これがハングルを作った大王世宗です。15世紀初めの人。

この大王世宗、後継ぎ選びに失敗し、病弱の長男が王となり、でも死んでしまいます。すると世宗の息子同士の戦いが起こり、勝利するのが世祖です。甥を殺して王となるので、かなり評判が悪い。

世相の次の時代に、インス大妃などの政治があり、結局、燕山君というインス王妃の孫が王となりますが、こいつが徹底した悪政を行い、臣下に殺されます。まあ実際は遠流地での死です。

で、彼の弟の中宗が王となりますが、ほとんど実権はなかったと言われています。

この最後の数行は、明宗とオクニョの父である「中宗」とはどんな人物かの解説です。


でもオクニョは史実にこだわりを持っていないので、かなり明るい作品となっており、面白いと思いました。