散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

ターミネーターニューフェイト・ストーリーを予想

2019年05月31日 | ターミネーター
ターミネーター6が制作されるようです。予告編も作られています。

ターミネーター・ターミネーター2・ターミネーター3・ターミネーター4・ターミネーター・ジェニシス / 新起動 これで5作品です。だから次はターミネーター6 正式な題名はターミネーターニューフェイト。

今わかっている出演者は以下の通り。

T-800:アーノルド・シュワルツェネッガー
サラ・コナー:リンダ・ハミルトン
グレイス:マッケンジー・デイヴィス
Rev-9:ガブリエル・ルナ
ダニーラモス:ナタリー・レヴェス

1、ターミネーター2からの続き、ターミネーター3以降は全て「なかったことに」なる。

ターミネーターは3あたりから迷走して、ターミネーター・ジェニシス / 新起動も面白いとは言えませんでした。
ジェームズ・キャメロンが製作に復帰するようで、ターミネーター3以降は全て忘れて欲しいということです。まあ分かります。面白くない。

2、女性主人公の物語へ

そもそもターミネーターとはサラ・コナーの物語でした。2までは。新起動にもサラ・コナーは登場しますが、なんか変なお姉ちゃんになってました。

今回の舞台は2020年頃、サラ・コナー:リンダ・ハミルトンが復活します。62歳です。予告編を見る限り、老女戦士で派手にバズーカとかぶっぱなしています。

主役はサラ・コナーということでしょう。

がいかんせん年をとっている。だからヒロインはダニーラモスという南米系の若い女性です。彼女を守ることが今回の使命になります。どういう未来をもたらすのかは分かりませんが、スカイネットにとってまずい未来でしょう。だから抹殺指令が出て未来から液体型ターミネーターがやってくる。

ラモスを守る若いターミネーターがグレイス。若い女性で、半分人間という設定です。極めて人間的なターミネーター、もしくは極めてターミネーター的な人間です。

液体型ターミネーターが未来からラモスを殺しにやってくる。そのラモスを守るのが、グレイス、サラ・コナーとシュワちゃん。シュワちゃんはロボットですが老人です。ターミネーターを覆っている外側の有機物質は年を取るという設定。これは新起動でもそうでした。

ということでジョン・コナー、カイル・リースがいない。今の所いない。

まあストーリーも何も、守るものと殺そうとするものの戦い以外にスジはないのですが、後は細かい設定がどうなるのか。

・ジョン・コナーの物語はワキに追いやられる。世界はジョン・コナーが救うのではなく、サラ・コナーが救う。
・カイル・リースの扱いもワキとなる。
・ただし年齢的にサラ・コナー:リンダ・ハミルトンが、これ以降のシリーズに出演できるか分からない。
・従ってジョン・コナーの物語も一応は残す。

または
・ジョン・コナーの物語は終わったことにして、新たにダニーラモスと彼女が産むであろう子供の物語が始まる。

と考えられます。

T-800:アーノルド・シュワルツェネッガーの扱いも、今後シリーズを続けるなら、いつまでもシュワちゃんでもないだろうとなろうかと。

今回登場するT-800:アーノルド・シュワルツェネッガーは、いつの時点で現代に来て、サラ・コナーと出会ったのか。予告編はT-800:アーノルド・シュワルツェネッガーがほぼ出ていない為に予想不可能です。

白い巨塔・大河内教授について書く・品川徹さん

2019年05月31日 | 白い巨塔


唐沢版の大河内教授について書きます。

浪速大学医学部病理学教授です。おそらく鵜飼の前任の医学部長です。学士院恩賜賞受賞者でもあります。財前死後、解剖をするのもこの方です。

1、一番好きなのは財前に「何も言わない」シーン

基礎(臨床ではなく病理学のこと)の票は大河内が握っていると思った財前は、大河内に「相談」に行きます。教授になりたいわけでなく、医療の発展の為に教授になって力を発揮したいとか言います。が、大河内教授は何も言いません。5分ぐらい財前がただ話し、大河内は何も言いません。無表情で眺めているだけです。

このシーンが最高です。

そこに里見がやってくる。大河内は里見に講演を依頼する。だが「断ってくれてもいい」と言う。そして財前に向かって「もし本当にやりたくないのなら、まわりくどい遠慮はいらん。辞退したまえ。」と言います。あくまで里見と話しているのです。財前は歯が立たないことを自覚し、部屋から出ていきます。

何も言わない演技で、ここまで緊迫した雰囲気を作れる。すごいとしか言いようがありません。

2、裁判では公正無私

・がん転移は死の直前に起きたものではない
・起きた時期を確定はできないが、手術以前であったことはほぼ間違いない
・手術をしたということは、転移の発見が不可能であったからと考えるのが妥当
・しかしもし、全身状態を確認せず、局所的な手術に踏み切ったとすれば、臨床医としての自覚に著しく欠ける

大河内が発言するだけ不利になると思った及川弁護士は「解剖医の意見は必要ない」と反対尋問をしません。財前に不利な証言もしていますが、誰も責めません。それほど巨大な存在と言えます。

3、里見に対して極めて理解がある

真実を証言したことで職場を追われた里見の身を案じ、近畿がんセンター第一診断部次長(唐沢版では千成病院内科医長)のポストを紹介する。岡田版では「関西がんセンター」であったが、大河内が紹介したとされてなかったような気がします。

4、最後に財前の願いを叶えるのも大河内である

財前の願いとは「解剖して医学の発展に役立てて欲しい」というものです。解剖室の前で、財前の遺体を引き受けるのも大河内です。ただし岡田版では大河内がいなかった。


まあ、実際は観てもらうしかないのです。むろんスーパーマンではない。前任の医学部長でありながら、大学の改革には成功していません。孤高過ぎる側面もあります。里見の未来の姿という感じもあります。品川さん演じる大河内の凄さについては、これはもう本当に観てもらうほかありません。文字では表現できません。

司馬作品が次々映画化・峠・燃えよ剣

2019年05月30日 | 司馬さん
司馬作品が映像化されるのは嬉しいのですが、

燃えよ剣は岡田、原田コンビで「関ヶ原」と同じです。嫌な予感がします。

峠は役所広司です。素晴らしい役者さんですが、年齢が違います。峠の河井継之助は幕末段階で41歳です。役所広司さんは63歳です。41というと山本耕史さんとかオダギリジョーさんの年齢です。
長谷川博己も41歳。

燃えよ剣は何回か映像化されています。峠は初めてでしょうが、河井継之助自体は何度か描かれています。

燃えよ剣は新選組ですね。唐突ですが、新選組ものが苦手です。内部抗争ばっかりなのです。仲間同士で殺し合いばかりしている。殺伐としています。

峠は河井継之助だけだとちと華に欠けるというか。

敵に華があればいいのですが、敵は山県有朋と岩村と江戸の村田蔵六です。西郷が行った時には北越戦争は終わっています。

史実のしばりがあるので、冒険もしにくい。

十一番目の志士あたりならば、主人公が架空の人物なので冒険もできます。




岡田版・白い巨塔に感謝する・いいところを書く

2019年05月30日 | 白い巨塔
いだてん、を見ていないので、ネタに困る感じもあります。そういう時に「現代ドラマの大河ドラマ」とでもいうべき「白い巨塔」をリメイクしてくれたことに大いなる感謝です。ついでに唐沢版も早送りながら見たので、楽しめました。

感謝の気持ちで岡田版の「いいとこ」を書きます。

1、音楽にもいいところが

私は音楽に詳しくないのですが、ピアソラ風の部分はいい。ピアソラなのか兼松さんの作曲なのかはわかりません。「ラビリンス」という桜井幸子さんのドラマを思い出しました。

2、里見先生の優しさと自然体

社会派ドラマとして「見ない」ならば、里見先生は自然体でいい感じです。江口さんは財前とともに主演なので熱かった。
特に最終話。なんで他の病院の内科医がずっと財前専属で診ているのか、という疑問は残りつつも、実にいい先生だった。ヒューマンドラマとしては最終話は大成功です。
柳原に対しても学位の面倒をみると実に親切。東佐枝子の告白を、それとわかりつつ、自然に受け止め受け流す感じも良かったと思います。

3、柳原先生

伊藤英明さんは、本当のことを言った後もずっとオドオドしてました。満島さんはふっきったように信念を取り戻し、原作通り無医村に行きます。
その前に野田華子と深い関係になるのですが、「すみません」「いいえ」という演出。野田華子さんの包容力、母性が魅力的でした。
昭和の昼メロみたいでしたが、実は昭和の昼メロを見たことがないので断定はできません、ただ「懐かしい感じ」がしました。

4、東佐枝子

矢田亜希子さんは好きですが、唐沢版の佐枝子さんはデリカシーに欠ける部分があります。奥ゆかしさにかけている。自然と自己中心的なのです。で、里見妻は苦悩します。
飯豊まりえさんの佐枝子は奥ゆかしい。最後に日本から出ていくことを前提に(田宮版ではネパール)、里見に愛を「遠まわしに」告白します。
「そこには里見先生のような方もいるかも知れない」
少しまごつく松山さんをまっすぐに見つめ、「さようなら、里見先生」、、、実にいい演出です。

5、亀やん 地に生きる庶民

風と共に去りぬの主人公は、最後に「タラの大地とともに生きる」ことを誓います。
この亀山君子の旦那、町工場の亀やんはまさに「大阪の大地とともに生きる庶民」です。
人間は金でなんとなると思っている財前又一の首を締め上げ「正々堂々生きてきた俺はお前らみたいなやり方は大嫌いなんじゃ!」と叫びます。
地とともに生きる庶民の正直さ、清廉さを象徴していました。

というわけで、いいとこも多い。岡田版白い巨塔に感謝です。

財前教授の総回診です。白い巨塔。現実にはどうなのか。

2019年05月30日 | 白い巨塔
特に唐沢版では、総回診がクローズアップされます。毎回、教授の総回診ですという出だしで始まります。

長いこと大学病院に入院したことはありません。家族もない。だから実際が分かりません。

実際の外科医が書いたものを読むと、総回診はある、そうです。

ただし
①アナウンスはない
②横に広がるなんてありえない
③先頭は教授ではない
④階段ダッシュで教授を追いかけたりはしない
⑤厳粛な雰囲気ではない
⑥患者の前で治療方針を論議したりしない

そうです。

横に広がらないのは「通行の邪魔」だから。リハビリで歩いている人。点滴つけて歩いている人がいるわけです。横に広がったりすると「先生邪魔」と看護婦に注意されるそうです。

実際は「細長く縦になって、廊下のはしを歩く」そうです。カルテはノートパソコン、ノートパソコン載せて歩く姿は僕も総合病院で見たことがあります。

患者の前で論議をしない、なんてのは当然ですね。そんなことされたら不安で仕方なくなる。

手術で「メス」とかもないそうです。メスは丁寧な扱いが必要だし、そもそも「メス下さい」「メス返します」と敬語を使うそうです。特にメスは落としたりすると怪我をするので、下さい、返しますと貴重品のように扱うようです。

前に小さな手術を局部麻酔で受けました。そういえば医師と看護師の会話はなかった。自然と計画通り器具を渡して返していたのだと思います。

開けてみたら術前診断と違って病巣が広がっているなんてこともほぼないそうです。むろん急に術式を変えたりもしない。ほぼ計画通りの病巣で、計画通りに手術をこなすようです。

「細長く縦になって歩く」のは当然ですね。病人がヨロヨロ歩いているのだから、広がるわけがない。しかしそれでは「ドラマにはならない」わけです。

昨日見た夢を漱石風にアレンジしてみる

2019年05月30日 | 日記
気がつくと僕は女をおぶって歩いている。香水の香りがする。どうやら若い女らしい。背中に豊かな乳房の重みを感じる。でも女は顔を僕の首筋にぴったりつけているので顔も見えないし、誰かもわからない。
「バラが綺麗ね」と女が突然言う。
まわりは暗闇である。バラが見えるわけはない。と思って見てみるとまっくらな闇の中でバラの赤い色だけがはっきりと見えている。
バラを見ていたら是非とも女の正体を確かめなくてはいけない気がしてきた。たしかめないとこの先生きてはいけないような気がしてきた。
「君は誰だい」と僕は聞いてみた。
「誰って、わかってるじゃないの。あなたは精神科医でしょ」と女は言う。
「精神科医だってなにもかもがわかるわけじゃない」
「ふーん、そう」と言ったきり女は黙っている。
しかたないから僕は女をおぶったままバラの咲く道を歩き続けていった。
「明美だったんじゃないの。あたしは。」と女はまた突然言う。
そういわれると明美のような気持ちになってくる。
明美は友人の紹介で出逢った女だ。たしかIT関係の会社で営業をしているとか言っていた。凄く綺麗な子で、話が面白かった。
「精神科の医者なんかやってると自分もおかしくなるでしょ」
と女は急に変なことを言い出した。
するとだんだん不安になってくる。僕は正常なのか。異常なのか。判然としなくなってくる。
とにかくおかしな女だ。
きっと明美じゃないのだろう。だから。
「君は明美さんじゃないだろ。嘘をいってはいけないよ」と僕は言った。
「嘘って、嘘をついてるのはあなたじゃない。あの時は傷ついたのよ。物凄く。」と女は静かに言う。
こうなると、たまらなく女がこわくなってきた。早く目的地について女を降ろしたいのだが、自分がどこに向かって歩いているのかもわからない。前を見ると小さな光があって、道の周りのバラは今度は黄色い色に変わっている。
「いったいいつになったらこの道は終わるんだい」と僕は聞いた。
女は首筋のあたりで、にやりと笑って、その後少しすすり泣いた。
それから首をぐいと伸ばして顔を僕の正面に向け、あの女の声でこう言った。
「終わるわけないじゃない。まだはじまったばかりなんだから」
するととたんに、女の体がふっと軽くなった。と思ったら、すぐにズンと重くなって、僕の罪が全て分かった
僕は限りない哀しみに涙をながしながら、重く切ない女の体を背負って、今度は紫色に光始めたバラの咲く道を、どこまでも永遠に歩き続けていた。

白い巨塔の感想を、沢山書いて思ったこと。

2019年05月30日 | 白い巨塔
私のように、基本的に文字だけで、考察や感想を書いている人間は少ないようです。

・ツイッターの感想が多い。
・ツイッターの感想を「まとめ」ている方も多い。
・白い巨塔に特化して、画像を用いながら、考察や感想を書いている方も多い。
・最後は宣伝につなげる方も多い。

「文字だけで」感想を書いている方の意見を参考にしたかったのですが、少ないですね。

私もツイッターのアカウントは持っていますが、ほぼ使いません。字数制限が面倒だからです。

あと画像もどうもうまく載せられません。テクニックの問題です。

ネットは進化してるのか、退化しているのか、と考えました。

白い巨塔・遺言のパロディ・同意はしないが面白い

2019年05月30日 | 白い巨塔
どなたかの投稿の中におもしろいものがありました。
わたしはジャニーズにはこだわらないので、同意はしませんが、面白いので転用させていただきます。

フジテレビへ

このドラマをもって僕の局としての最後の仕事とする。
まず、僕の失敗を解明するために、TBSに本作の視聴をお願いしたい。
以下に、ドラマについての愚見を述べる。
ヒットドラマを考える際、第一選択はあくまでジャニーズである
という考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には僕自身の場合がそうであるように、
キャスト決定の時点でミスマッチや設定との齟齬をきたした作品症例
がしばしば見受けられる。
その場合には、脚本を含む設定改変が必要となるが、
残念ながら未だ満足のいく成果には至っていない。
これからのドラマの飛躍は、ジャニーズ以外の起用の発展にかかっている。
僕は、君がその一翼を担える数少ない局であると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
君にはドラマの発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、ジャニーズよる主演がこの世からなくなることを
信じている。
ひいては、僕の屍を解説の後、君の月9の一石として役立てて欲しい。
屍は生ける師なり。
なお、自らドラマ製作の第一線にある局が上手く映像化できず、
五夜連続で死すことを心より恥じる。                     

テレ朝

なお、原文は以下の通りです。

里見へ

この手紙をもって僕の医師としての最後の仕事とする。
まず、僕の病態を解明するために、大河内教授に病理解剖をお願いしたい。
以下に、癌治療についての愚見を述べる。
癌の根治を考える際、第一選択はあくまで手術であるという考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には僕自身の場合がそうであるように、
発見した時点で転移や播種をきたした進行症例がしばしば見受けられる。
その場合には、抗癌剤を含む全身治療が必要となるが、
残念ながら未だ満足のいく成果には至っていない。
これからの癌治療の飛躍は、手術以外の治療法の発展にかかっている。
僕は、君がその一翼を担える数少ない医師であると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
君には癌治療の発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、癌による死がこの世からなくなることを信じている。
ひいては、僕の屍を病理解剖の後、君の研究材料の一石として役立てて欲しい。
屍は生ける師なり。
なお、自ら癌治療の第一線にある者が早期発見できず、手術不能の癌で死すことを心より恥じる。

岡田准一主演・映画関ヶ原・わかりにくいで正解 

2019年05月28日 | 徳川家康
映画関ヶ原。岡田准一主演。監督原田眞人。感想をみると「おずおずと」わかりにくいと書いている方が多いのが分かります。

関ヶ原という小説を読んでいないから、という遠慮もあるようです。そんな遠慮はいらない。つまらない映画はつまらない。

十回以上読んでいる私が見ても、わかりにくい。何描いているのか分からない。それが正解だと思います。

司馬さんの設定を変えた所、つまり初芽の扱い、小早川秀秋の扱い。まったくなっていない。

初芽が忍者になっていて、出来の悪い忍者ものに変わっていたり。小早川秀秋が苦悩して騒いでいるが、何騒いでいるのか全然わからない。

そもそも司馬さんが避けて絶対描かなかった「秀吉の老害」シーンから始まるわけです。

関白秀次関係者の虐殺。

こっから始めたのでは、秀吉は残虐なる独裁者になるし、事実しつこいほど秀吉の残虐さを描いています。

なんのために? 

残虐な秀吉から始めたのでは、石田三成の義もなにもあったもんじゃありません。悪の独裁者に義を貫く義の主人公、三成では、わけが分かりません。

重要な人物である本多正信、黒田長政、加藤清正、福島正則、細川忠興、、、、役者が無名過ぎる上に、誰が誰を演じているのかちっとも分からない。

金かけて、男たちと忍者が、ただギャーギャー騒いでいるだけの映画になっています。

「おずおずと批判」しなくてもいいと思います。関ヶ原なら二年に一度ぐらい読み返している私が見ても分からない。「ひどいな」と思うのみです。

白い巨塔・最終回・感想・おぼろげに見えてきた脚本意図

2019年05月28日 | 白い巨塔
それにしても我ながらこの作品が好きです。もう何本もブログに感想を書いています。

私は、どうも社会派ドラマとしての「白い巨塔」にこだわりすぎた気がします。そこにこだわらないなら、脚本意図はおぼろげに見えてきます。

ただ「おぼろげ」です。

・なんで里見が財前の治療するのだろう。(唐沢版ではしない。というか他病院の医師である里見が仕事を休んで財前の治療をするのは強引な設定である。)
・どうして東があんなに財前に寄り添うのだろう。
・そもそも財前の罪とは何なのだろう。
・なんで財前はあんなに弱気になり、不安を訴えるのだろう。(唐沢版では死に至るまで強気)

岡田版でそれを考えると、岡田版における財前の罪とは、

つまりは「執刀医が患者に寄り添わなかった罪」だということが「おぼろげ」に見えてきます。

唐沢版では「説明をしなかった罪」でした。

唐沢版、弁護士の関口は途中で「裁判の争い方を変え」ます。「難しい医療議論をしても水掛け論になる。もっとも大切なのは、財前が患者と家族にきちんとした説明をし、選択をさせたかだ」と気がつくのです。

唐沢版の場合は「はっきりと気がつくシーンが描かれている」ので、わかりやすい。当時はまだ説明責任という言葉は今のように多用はされてはいない時代だったかなと思います。

しかし今回はそういう「気付き」のシーンはなかったと思います。

それでも最終回を見るに、「とにかく里見は最後の最後まで財前に寄り添う」わけです。こんなセリフもあります。

東「ずっと僕が往診に来るから」
財前「執刀してくれた医師がみてくれるというのは、こんなに安心なものなんですね」

白い巨塔というと「現代医療に切り込む」という社会派ドラマを期待します。しかし今回はもっと「原点にもどった」作品だったような気がしてきました。

非常に簡単にいうと「優しいお医者さんが必要」ということです。「親切なお医者さん」でもいい。

実際問題としても、現実に医者によって「親切、親切じゃない」ははっきりしているように思います。「安心を与えてくれるお医者さん」が望まれているように思います。

財前は最終回では「親切なお医者さん」に変化しています。

そして自分が患者となり「親切なお医者さん」、里見と東に治療されながら死んでいきます。最後のシーンはベッドにいる財前を、里見がそっと「見守る」シーンで終わります。

主題を「親切で優しく、患者に寄り添う医者が必要」ととらえれば、この脚本の「意図」もおぼろげに見えてくるような気がします。

岡田版「白い巨塔」・まとまりなく感想を

2019年05月28日 | 白い巨塔
白い巨塔については7つぐらい感想を書いています。良かったらトップページに戻ってお読みください。「考察的」なのが多いのですが、ここでは「まとまりのない感想」を書きます。

1,岡田、頑張ったけど。

最終回は頑張ったけど、この作品、医療に斬り込んでいない。患者に「寄り添うことの大切さ」を訴えている。白い巨塔じゃないのだよな。「医者は患者に寄り添わないと」という主題。それはそれで非常に大切なんだけど、別の作品になってしまった。

白い巨塔の象徴である鵜飼教授はなんかいい人。最後には里見と一緒に財前の手術を東に頼みにいく。唐沢版から見れば天地がひっくり返ってもありえない。「大学病院の意味ないプライド」を描かない。それじゃあ白い巨塔ではない。鵜飼は他病院の内科医である里見に治療させるなんて絶対ない。手術は専門医として東に依頼もできようが、内科はありえない。

そもそも東はどっかの医院長のはずだし、里見にも仕事はある。それらをずっと休んで、財前専属で治療する。そんなこと普通の感覚でもありえない。

脚本のわきが甘いというか、誰でも気がつく矛盾に目をつぶれという台本。面白くないとは言わないけど、荒が目立つ。

最後の岡田さんの死。頑張ってるんだけど、なんで背もたれがあの傾斜角度なんだ。体がずり落ちていて、変な姿勢で亡くなった。「荒が多すぎる」のだよ。

2、金井准教授、熱心に治療していたけど。

佐々木さんの治療。金井准教授が熱心に診ていた。影薄いので准教授に見えないが、診ていた。で、金井は財前不在時の「全権を握っていた」はず。じゃあどうして「肝臓の影」を柳原は言わない。柳原はずっと気がついていたのに、なぜ現場責任者の金井に言わない。里見は里見で、どうしてルートを通さない。「正式に金井准教授に自分の見解を述べて、検査を求めればいい」。それを小物の柳原に意見するだけ。文書で申し入れよ。鵜飼教授は今回はいい人だし、肝臓に影があったと言えば認める。唐沢版ですら「影があるのになんで手術なんかした」と怒っていたのだ、あの伊武さんですら。

里見は金井の前で触診だってしていた。なぜ言わない?

このぐだぐだの二人、里見と柳原が死期を早めた。そりゃ、もう手術をした段階で、というか手術をしてことによって、佐々木さんの余命はなかったのだが、とはいえ、肝臓を疑っていた二人が、責任者である金井に何も言わない。脚本に荒が多いなんてもんじゃない。この二人が早期に殺したという風にしか見えない。

こういう「ありえない設定」を採用されると、疑問の方が先にきて、ドラマにのめり込めない。そりゃ唐沢版も似たり寄ったりだが、それでも「里見を外科から締め出す」ぐらいの設定はしていた。それから柳原、伊藤英明は圧力で錯乱状態だったから、苦しいながら一応の「説明はつく」台本になっていた。

3、名誉教授のピエロ白塗りはなんだったのだ。

おそらくあの白塗りに意味はあったのだろう。しかし編集でカットになった。だから見ている人間には全然意味がわからない。少しぐらいは前提を説明せよ。ナレでもいいから。雑過ぎる。

4、女性教授も意味ないな。

野坂教授。設定を女性に変えたのに、キャラに変化はなく腹黒い。女大河内教授にしたら深みが出たはず。それが無理なら米倉涼子にして男性陣を斬らせる。設定変えてキャラ同じが一番悪い。

5、「悔しいなあ、お前ほどの才能のある医者が気づけなかったなんて。」

里見の言葉。よくとれば「動転して子どもに戻ってしまったのか」、、、でもこれは「言わない方がいいセリフ」、沈黙で表現してほしい。

最期の「これが死か」もいらないな。小学生じゃないのだから、言わなくても行間は読める。というか行間を読ませてほしい。

十分に楽しませてはもらったけど、粗雑過ぎる。疑問のオンパレード。十分に楽しませてもらったからまあいいけど、演出はホント酷かった。

白い巨塔・最終回・感想・白い巨塔は描かない・タンカを切る亀山

2019年05月27日 | 白い巨塔

1、もがき苦しんで死んでいく岡田・財前

唐沢版はある意味「美しい死」なのです。最初から財前は「諦めている」からです。里見に「僕に不安はないよ、、ただ、、無念だ」と言います。

今回の岡田版では財前は「生きようと」します。生きる可能性を追求します。東教授の執刀も積極的に頼むし、里見の治療も望みます。

美しい死ではなく、リアルな死です。ただし最期は死を覚悟して受け入れています。

どうしてこういう描き方になったのかについて多少考えるところもありますが、うまくまとめられないので、以下「おもいつくままに感想」を書いていきます。

2、白い巨塔に踏み込まない演出

唐沢版では里見の治療は受けません。「大学教授の僕が小さな民間病院の医師の治療を受けることは、組織が許さない」と言います。その組織こそが白い巨塔であり、その象徴が鵜飼教授です。財前は白い巨塔を自分のものにしようとしながら、一方ではその醜悪さに気がついてもいます。里見を新しい大病院に呼び寄せようとしますが、見方によっては、財前は白い巨塔を乗っ取った上で、理想を求めようとしたともとれるのです。白い巨塔に挑もうという姿勢もなくはない。死を「無念だ」というのは、そのせいでもあります。

今回の鵜飼教授は伊武雅刀さんと違ってわりといい人なのです。白い巨塔に「踏み込まない」という演出意図は明らかです。社会派ドラマにするつもりは最初からなかった。「軽さ」はこんな面にも表れています。

岡田くんも唐沢と同じく最期に鵜飼に向かって「出て行け」と言いますが、観ている人間も、鵜飼の松重さんも「なぜか分からない」はずです。だって松重さんはなんとなくいい人だからです。

伊武雅刀は最後、見下すように笑みを浮かべて財前の病室を去りますが、松重さんは「なんで僕が出ていくの」という感じです。彼が白い巨塔を象徴してはいないからです。

里見と共に新しい医療を目指すなんて設定もありません。里見は反白い巨塔の象徴のはずなんですが、そこを深く描きません。

3、財前の死因

病気は怖いのであまり書きたくないのですが。原作では胃がん、唐沢版では肺がん、今度が膵臓がんと合併症
どんどん「見つけにくいがん」になっていきます。まあこれぐらいで。

4、敗訴後、逃げ回る財前

敗訴後、岡田財前はマスコミから逃げ回り、その渦中で倒れます。
これは唐沢版が良かった。

「何が悪い、わたしは患者を治そうとしたんだ、何が悪い。国立大学の医者だから厳しく責任を問うとはなんだ。法の前には何人も平等ではないのか」と言いながら倒れます。

里見「もう話すな財前」
財前「里見、君の指示は受けんよ」

非常に見どころのあるシーンです。しかし今回の財前は敗訴後、特に病気発覚後、非常に弱気になります。そして救いを求めます。

今回は「財前は病気になって急に弱くなる。しかしその不安を親切な医者である里見と東が支える。患者に寄り添うことが大切」という風に描きたかったのでしょう。敗訴後、強気が消えていきます。

5、タンカをきる亀山夫

ネットでも話題になっていますが、町工場の男である亀山夫が財前又一たちを斬り捨てます。

正々堂々 生きてきた俺はお前らみたいなやり方は大嫌いなんじゃ!

スカッとするシーンです。こういうタンカを里見などにもきらせれば良かったのに。

6、スポンサーや医師会、薬会社の圧力はあるか

白い巨塔に踏み込まない理由。スポンサーが気になりました。損保会社かな。わざわざ岡田くんをCM起用してました。あとホンダ。ソフトバンク。日清オイリオ。タケモトピアノ。トヨタ。ライオン。花王。

まあ「製薬会社はないんだな」と思いました。花王、ライオンは多少製薬的ですが、歯周病のCMをうってました。

白い巨塔というのは非常に狭い意味では「医局員制度」です。「教授が王様で、医局員は奴隷状態」。実態としては、どこまで改善されているのか。多少は改善されているようです。

しかし広い意味で言うなら「白い巨塔とは現代医療制度そのもの」です。当然「製薬会社の力」も大きいわけです。

白い巨塔に踏み込むというのは「医師会、大学病院、製薬会社の問題点を指摘する」という行為でもあります。そこまでの踏み込みがテレ朝になかった。


あとは追記します。

白い巨塔・感想その4・唐沢版について

2019年05月26日 | 白い巨塔
白い巨塔・岡田版の悪口を随分書いてきました。とくに脚本です。なんか違うなと思えるのです。

まずは鵜飼教授の設定が変なのかなと思います。唐沢版では白い巨塔の象徴として実にいやな演技をしてくれています。それが松重さんの場合は、なんかユーモラスです。俳優を責めているわけじゃなくて、この点が唐沢版と岡田版の脚本の違いの「キモ」のような気がします。

財前と里見の関係性も違います。お互い尊敬しあっている。そこが描かれていないというか、薄いですね。

里見の島流しを知っても、財前にあまり変化がありません。唐沢版だと実はとても気にしていると描かれます。

以下、基本唐沢版のお話です。

里見には部下もいます。部下というか医局員。佐々木蔵之介さんが演じる竹内です。ドライな人間で、大学病院の醜さも飲み込んでいる人間です。

里見が大学を去ると知って、散々悪態をつきます。先生のような馬鹿を受け入れてくれる次の病院などないとまで言います。

しかし最後にはこう言うのです。「やめないで欲しい。先生の代わりなどとてもできない」。里見のことを深く尊敬しているのです。

こういう具合に、表面的には批判をしていても、心の底では尊敬している。そういった人間関係が多く描かれます。

柳原の理解者もいます。亀山君子で西田尚美さんです。未婚という設定で、柳原とは多少恋仲でもあります。これが実に魅力的な女性であるし、最後の証言のカギを握る人物でもあります。岡田版だと原作に近いのか、既婚です。さほど柳原ともからみません。これは惜しいですね。

東教授のことも財前は実は尊敬しています。最後に自分の手術を頼む。まあこれは岡田版でもそうなるでしょうが、今までの描き方で、寺尾東教授は「手術執行の体力もない」となっているのです。大丈夫かなと思います。

財前は里見と対立し、しかしそれでも、一度は断った少女の手術を引受け、少女の命を救う。そんなヒューマンな面も描かれます。

里見は大学病院を去りますが、財前には彼を引き戻そうという計画もありました。しかし病に倒れます。

人間の描き方が重層的です。やはり半年ぐらいかけないと無理な作品なのかも知れません。

以下、唐沢版の雑感
・石坂浩二さんの東教授は、実に似合っている。
・矢田亜希子がまさにお嬢様だ。
・上川さんの関口弁護士、登場段階では詐欺師的なことをやっている。が、裁判で彼も更生する。
・伊藤英明と西田尚美の関係が非常に素敵である。

白い巨塔・感想・里見、僕に不安はないよ、、ただ無念だ 

2019年05月26日 | 白い巨塔
白い巨塔唐沢版には財前が里見に自らの診断を求めるシーンがでてきます。ドラマ史に残る名シーンです。

大学病院は財前の症状が末期であることを財前に対して隠します。しかし気がついた財前は別の病院にいる里見に診断を求めます。

里見「君の診断は正しかったよ。転移も起こっている。」
財前「それで余命は」
里見「長くて三ヶ月だろう」

里見「おれは君を助けたいんだ」
財前「おれは助からないよ」
里見「おれが君を助けたいんだ。君の不安を受け止めたいんだ」

ここでドラマ史に残る名セリフが。

「里見、ぼくに不安はないよ、、ただ、、すまん、、、ただ無念だ」

財前には里見と手を組んで「がんセンター」を運営していこうという構想がありました。

ただ単に「裁判に負けたから無念」というわけではないのです。財前は「白い巨塔の権化」ですが、批判も実は秘めており、見方によっては大学病院の体制「白い巨塔」「白い虚塔」に挑もうとしていたとも言えます。「見方によっては」です。

それが自らの死によってできなくなる。それが無念なのだと私は考えました。

最後の死のシーン。うなされるままに鵜飼教授を「出て行け」と怒鳴りつけ、手を上に伸ばす。その手を里見が握りしめます。鵜飼を突き飛ばして、握りしめるのです。

それを見た西田さん、財前又一は「みんな病室から出よう」と言います。財前と里見の強い絆を財前又一は実は知っていたわけです。東教授以下みんな去り、鵜飼も侮蔑の笑みをたたえて去ります。

鵜飼が象徴するものは、言うまでもなく「白い巨塔」「白い虚塔」です。財前は最後の最後に「白い巨塔」の象徴である鵜飼を拒否し、里見と手を握り合います。

唐沢版白い巨塔の録画を見直していますが、疲れます。自然と泣いてしまうし、胸が揺すぶられるし、感動で疲れるという状態になります。岡田版の感想はこちら

白い巨塔・第四夜・感想その3・大河内教授・岸部一徳の名演技

2019年05月26日 | 白い巨塔
第三夜までで「大河内教授・岸部一徳はミスキャスト」と書きましたが、前言撤回です。第四夜ではいい味だしてました。

そもそも「悪人ばっかり、善人の里見は弱い」というこのドラマにあって「強い善人」は大河内教授だけです。「救い」みたいな存在です。

ただ「善人」とも言い難いのです。研究者として医者として「ひたすら客観的」なわけです。

裁判で大学側に不利な証言をするのは里見も大河内も同じですが、大河内は責められません。教授だからでもありますが、大河内に「作為」がないからです。

証言はひたすら客観的で「わからないことはわからない。しかし財前が術前の全身状態に疑いがあるにもかかわらず、全身検査をしないで局所だけを手術したのであれば、注意義務を怠ったと言わざるを得ない」というのが主旨です。

過失とも言わず、注意義務怠りと言っています。

どっちにも偏らず、真実だけを追求しようという大河内を、あのクセが強い岸部一徳さんが、堂々と演じてなんの違和感もありませんでした。あの何考えているか分からない無表情が活きていました。

そして解剖を研究目的だという弁護士を、きっぱりと斬り捨て、医学を何もわかっていないと叱りつけます。

ミスキャストではなかった。岸部一徳はやはり名優でした。