散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

呉座勇一「応仁の乱」と市川森一「花の乱」・足利義政・日野富子

2019年03月30日 | 花の乱
室町時代を描いた最もポピュラーなTV作品は「一休さん」です。つまり「室町時代」は「ほぼ全くドラマに描かれない」のです。

実写版の「一休さん」もあるようで東山紀之が「足利義満」を演じたみたいです。再現VTR以外で「足利義満」を演じた俳優は東山さんぐらいでしょう。

少なくとも「大河ドラマ」には「足利義満」は1秒たりとも登場しません。「太平記」には初代足利尊氏、二代足利義詮が登場しますが、義満はいません。ナレーションで「やがて義満によって南北朝の分裂が統一された」とあるのみです。

ドラマから歴史を学ぶ、ドラマを見る→本を読む→史実を知るという「過程」が「ない」わけです。だから多くの日本人は「戦国時代はよく知っている」「幕末も知っている」けど、「平安時代は知らない」「室町時代は知らない」となるのかなと思います。むろん全ての人間が「ドラマ経由で歴史を学ぶ」わけではないでしょうが、多くの人はドラマきっかけで「史実も学ぶ」のではないでしょうか。

大河他が「室町時代を描かない」から、日本人の多くは室町時代を知りません。私の中においても「知識が薄い部分」です。「日本文化の源泉」はこの時代にあるのに、深くは知らないのです。

だから、呉座勇一「応仁の乱」は売れたのかなと思ったりします。さっきも少し読んでいたのですが、相変わらず「知らない名前のオンパレード」です。

呉座さんも、応仁の乱を描いた大河「花の乱」は「ドラマとしてはよくできていた」のに、視聴率が低く残念だったと書いています。

さて呉座さんのご本。知らない名前ばかりなので数回読まないと頭に入りません。「花の乱」を見ていたので知ってるかなと思ったのですが、みんな「細川」「畠山」「山名」等で、「同じ名字が多すぎる」のです。今回は「足利義政と日野富子の評価」だけに注目して読んでみたのですが、「意外と登場しない」のです。あくまで応仁の乱の主体は山名宗全と細川勝元という立場であり、この二人と、それぞれに属した大名たちの行動を追うことが多く、足利義政はともかく、日野富子は意外なほど登場しません。

呉座さんの評価としては、
足利義政は「真に無為」だったわけでない。それなりに少しはやっている。
日野富子の政治には「限界」があった。評判も良くなかった。ただし蓄財は幕府財政の支えにもなった。特に「応仁の乱和平段階」では活躍した。

ということです。従来の評価は「間違ってはいないが、そこまでひどくはなかったよ」ということです。

さてドラマの「花の乱」、

日野富子は三田佳子さんで主役。足利義政は先代市川團十郎、ちなみに「若い義政」は市川海老蔵(現団十郎)です。富子の若い日は松たか子、日野富子の「真の父」は松本幸四郎「現白鸚、市川染五郎)です。松たか子さんのお父さんです。歌舞伎役者総出演です。細川勝元は野村萬斎、山名宗全は萬屋錦之介、日野勝光には草刈正雄。「ザ大河、ザ伝統芸能」という顔ぶれです。さらに一休宗純には奥田瑛二。森侍者(実は本当の日野富子だが失明して資格を失った)は檀ふみです。足利義視は佐野史郎さん。

呉座さんも言うように「ドラマとしては実によくできている」のです。市川森一の才能を感じます。草刈正雄は「クールな二枚目ではなく悪人役」で、いい味だしています。

三田さんの「日野富子」は「鬼の子」という設定です。日野家の女子を酒呑童子(松本幸四郎)がかどわかして、そして生まれた子が日野富子です。(本当の日野富子は檀ふみ、しかしトンデモ性は極めて薄い。むしろ日野富子の行動を理解する上で鬼の子という設定が重要な要素を果たしている。檀ふみとの対比も非常に重厚である。)

日野富子は「主人公」なので当然「善の部分」も持っています。ところがしばしば「鬼の部分」が出てくる。上記の設定が活きてくるのです。

足利義政はトラウマを持った人で、たびたび傷つき、そして政治への関心をなくしていきます。

で、ここが書きたかったのですが、

日野富子は応仁の乱を「金によっておさめ」ます。呉座さんも金の力は大きかったと書いています。

で、荒廃した(または自らが荒廃させた)、京都の町を少しは救いたいと思います。「炊き出し」をしたりするのです。

それに対し足利義政は「無駄だ」と批判するというより、怒るのです。

義政に言わせれば「人間がそんなことで救済できるか。永遠に炊き出しができるのか。なまじ仏心を出すのはかわいそうである。真に救うということを考えよ。そうすればそれはできないという絶望に行きつくはずだ」

とまあ、細部は違うのですが、「義政の心情」が「うまく描かれて」います。むろん史実ということではありません。

救済をしようとしてもできない無常の世、足利義政の「無為」の源泉をそう描いただけでも、この「花の乱」は素晴らしい作品だと思います。ちなみに日野富子の「美化」も「必要最低限」に抑制されています。

足利将軍家のこと  花の乱

2017年03月13日 | 花の乱
大河「花の乱」は面白い作品です。画期的でもある。何が画期的かというと、大河ではほとんど「足利将軍家を描かない」からです。日野富子の描き方はいい加減ですが、それでも面白い。

大河が描く足利将軍の1番はおそらく最後の「足利義昭」でしょう。織田信長との「からみ」で色々な作品に登場してきます。

次はというと、足利尊氏が一回だけ主役。足利義政が一回だけ準主役。さらに13代の義輝がちらっと登場する程度でしょう。義輝は剣客で、最後は襲われて奮闘しますが、その奮闘が描かれる時があります。花の乱には他に義尚や義視なども登場します。

戦前は足利尊氏は逆賊として大悪人でした。明治維新の時、大村益次郎は「やがて九州から足利尊氏の如きものが出てくるかも知れない」と西郷を警戒していました。

また足利義満には帝位簒奪計画があったという「ウワサ」などもあります。

そういった背景もあってか、大河では「足利が描かれることが極めて少なく」、大河「太平記」で足利尊氏が主役になったのは、画期的なことでした。

足利義満、金閣寺を作った人ですが、全く登場しません。彼の生きた時代が描かれたことすらありません。大河「太平記」では二代目の義詮(よしあきら)までです。最後にこの後義満の時代に南北朝は統一されたという紹介が入るのみです。

今日、我々が日本文化として意識している文化の原型は多くが室町時代に作られました。私見では、中央集権や公の力が弱かったため、民衆文化が開花した、それが日本文化の原型になりました。

でも、日本人は室町時代のことをあまり知らない。ドラマきっかけで勉強する機会がないからです。高校の日本史の知識で終わってしまう。

ドラマになるようなロクな将軍がいない、のは事実なんですが、義満あたりは面白いと思うのですがね。

足利将軍家の力が弱かったと言っても、伝統的に日本という国は、ずっと貴族、豪族の連合体で、「鎌倉幕府」と言えども、文字通りの意味で全国を支配していたわけではありません。

天皇家による古代の中央集権も、すぐに貴族による政治に移行した。これは荘園制があるからです。

荘園が自治の単位であり、その荘園の連合体として日本という国があったというのが実態です。

「中央権力」がこの荘園レベルまで口を出せるようになったのは、秀吉の時代であり、徳川がそれを完成させました。(荘園の解体)

まあ「地頭」はありました。「地頭」って高校生には本当に理解が難しいと思うのですが、いわば「押しつけられた荘園の管理人」です。守護は、大きな犯罪だけをとりしまる治安機関です。

「管理人を置かせろ。置かせたら、その土地はお前のものだと認めてやる」というのが「鎌倉幕府のやり口」です。

守護地頭は、荘園制を前提になりたちます。領主である場合もありますが、基本的には領主ではなく「管理人」です。

なんだかまとまりがなくなってきましたが。要するに「もっと室町時代を描いてほしい」ということです。