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竹内まりや「プラスティックラブ」とかシティポップとか

2019年06月10日 | 好きな歌
日本のシティポップが海外でプチブームのようです。その代表歌が竹内まりやさんのプラスティック・ラブと松原みきさんの「真夜中のドア」

どちらも日本では特別に有名な歌ではありません。個人的には「真夜中のドア」は40年、ずっと聴き続けていて「この世界で最も好きな歌」なんですが、万人に受けた曲ではありません。

そもそもシティポップなんて言葉、当時は広くは使われていなかったと思います。

フォークがありニューミュージックがあり、テクノポップはあった。でもシティポップなんてジャンルは浸透してはいませんでした。

シティポップの代名詞である山下達郎さんの音楽は「山下達郎の音楽というジャンル」だったと思います。全くTVに出なかったので若い人しか知らない歌手であったような気もします。

1980年前後の時代は、今から考えると画期的でしたが、それは今になってわかることです。

70年代初頭はフォークの時代でした。拓郎、陽水。泉谷。さだまさし。でユーミンだけがフォーク的ではなかった。そしてユーミンが爆発的に売れるのは79年頃からかなと思います。

75年以降に甲斐バンドとアリスが売れます。フォークとロックと歌謡曲が混在した時代でした。

1978年にサザンが登場します。あれは画期的だった。拓郎陽水に匹敵するほど画期的でした。そしてYMOが認知される。小田和正さんも売れてくる。さらに「ザ・ベストテン」が始まる。漫才ブームが起きる。

ああ1978年という年は日本にとって特別な年だったのだなと思います。インベーダーゲームの流行もこの年だと思います。家庭用録画機が徐々に浸透しはじめたのもこの頃です。

さて竹内まりやさんの「プラスティックラブ」

「プラスティックラブ」そのものは山下達郎さんの歌なので知っていましたが、竹内さんが歌っていたのは数日前まで知りませんでした。海外で流行っていると知って初めて聴きました。

ユーチューブでは再生回数2500万とかになっています。山下達郎さんの曲としても有名な歌ではないので不思議な気分です。

それにユーチューブで使われている上記の写真は何なのだろう。明らかに若い日の竹内さんです。で、調べてみると別のシングルのジャケットです。でも当時の竹内さんの雰囲気をよく写しています。

実力のある女性シンガーは多かったけど、容姿と両立している方は失礼ながら多くはなかった。その中で竹内まりやさんは特別でした。あと松原みきさん。それと久保田早紀さん。

あれっと思って「異邦人」で検索してみましたが、いわゆるシティポップではないようです。そりゃそうですね、シルクロードのテーマです。

ちなみに久保田早紀さんで「精一杯に一番ポップな歌」は「オレンジ・エアメール・スペシャル」だと思います。


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