散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

西郷どん 川路利良・泉澤祐希・西郷と大久保を両名とも殺した大警視のこと

2018年11月05日 | ドラマ
川路利良は日本最初の大警視です。明治12年になくなりましたが、勲二等という勲章ももらっています。今でいう「警視総監」です。

薩摩の郷士、準士分ですが、西郷、大久保に見いだされ、明治4年より明治政府に出仕。警察制度の創設にかかわっていきます。この時40歳少し前という年齢です。

岩倉の西欧視察団に司法省より参加。(当時は警察は司法省・江藤新平の管轄、その後内務省・大久保利通など、今は内閣府の国家公安委員会の管轄)、フランス式の警察制度を導入します。

日本の警察制度を作った、で終わればいいのですが、西郷と大久保の死と深くかかわりを持った人物としても有名です。彼が直接両名を「殺した」わけではありませんが、「殺したようなもん」とされています。ただし、彼の名誉のために書いておくと、彼自身は「近代日本国家の建設」に深い情熱を持っていました。いや、過剰なほど持っていました。過剰すぎただけです。

簡単に書くと、

1、薩摩に下野した西郷を暗殺するため中原尚雄という刺客を送った。少なくとも薩摩私学校の人間は「川路が西郷を暗殺しようとした」と信じた。それが西南戦争の直接の契機となる。で、西郷は西南戦争で死にます。明治10年。

2、薩摩の黒田清隆が行った妻の殺害を隠蔽した。それが大久保暗殺の遠因となった。しかも川路は周りの忠告を聞き入れず、「大久保の警備」を強化しようとしなかった。で、大久保は死にます。明治11年。

3、本人も西郷、大久保のあとを追うようにして、病死する。明治12年。二代目の大警視は大久保巌である。

そういえば「西郷どん」に大山巌がでていないような気がします。理由もなんとなく想像がつきます。

さて、この「西郷どん」、私は散々「悪態をついて」きました。むろん他の方のブログをみると「感動した」という方もいます。私はそれを否定はしません。ただ、私が読んだ多くのブログでは「私以上の悪態をついている人々」が多かった。史上最低とはいいませんが、最低の作品の一つでしょうね。人物の描き方が「浅いにもほどがある」のです。

特に、明治後の大隈重信、江藤新平、伊藤博文、板垣退助といった人々の描き方が薄いし、誰が誰かもよく分かりません。正直、俳優さんの名前もわかりません。西郷の引き立て役というか、にぎやかしというか、「ひな壇芸人」というか、とにかく薄っぺらい人間として設定されていて、「かわいそうだな」と思います。

さて、西郷と大久保を死においやった「川路利良」ですが、「西郷どんの法則」からみて、「刺客を送った」とはされないと思います。まあ真偽は分かれていますから、「送らなかった」でもいいと言えばいいのです。でもそうすると「西郷には大恩を受けたが、近代国家の設立にとっては西郷はもはや障害である。西郷の命と近代国家の成立、どっちが重いかと言えば、間違いなく近代国家の設立である」という「川路の信念」もどっかに吹っ飛んでいってしまいます。乱を起こして死ぬ江藤だって、大隈だって伊藤だって板垣だって、それぞれの信念を持って生きていた。「人に対するリスペクトがなく、みんなを西郷の引き立て役」にしてしまうから、この作品は多くの批判を呼んでいるのです。

ちなみに前回では、島津久光が西郷を叱って、はげましていました。実際はあれを行ったのは板垣退助です。

維新後の西郷は一種のうつ患者でした。明治政府を作ったら腐敗だらけ。久光には不忠者とずっとなじられる。近代化派と武士ファースト派の間で板挟み状態。ある日、同じく参議をしていた板垣退助に、

「こんな政府を作って、旧幕府の方々にむしろ済まない思いすらする」と泣きつきます。

すると板垣退助は怒気を発してこういいます。

「そんなことで、幕末そして戊辰の戦争で死んでいった、多くの人々に申し訳がたつと思っているのか!」

西郷は膝を正し、板垣に謝ったそうです。これ、私はいい逸話だと思います。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿