散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

真田丸  黄昏ほかこの数回の感想

2016年07月31日 | ドラマ
この数回は秀吉が老いていくことがテーマです。

「老い」はごく身近にあり、私自身だって少しずつ老いています。

だから、なんというかホームドラマを見ているような感じがします。

この数回、ずっと朝鮮と戦争中なわけですが、その辺りの切迫感は全くありません。

誰一人朝鮮侵略に反対しないし、陰で反対を口にしたりもしません。その点これまでの朝鮮の役の描き方とは全く違っています。

三谷さんがナショナリストのわけはないので、ナショナリストに媚びているのでしょう。あまり好きな姿勢ではありません。

「もし」を語っても仕方ないのですが、この晩年、秀吉は何をすべきだったのでしょう。

家康を殺せば良かったかというと、そうでもないでしょう。徳川家中は団結が強いですから、かえって逆効果だったかも知れません。

朝鮮との戦争をやめて、豊臣家中を一枚岩にすることに尽力する。

平凡ですが、それが第一だったでしょう。

五大老制も五奉行制もなくし、譜代相当の大名だけで政治の中心を固め、外様には政治に口出しをさせない。

つまり徳川がやったことですが、それが一番であったでしょう。

もっとも秀吉というのは日本史上初めて個人で専制君主になった人間です。歴史に過去の前例がなかった。

頼朝も清盛も前例にはなりません。「始皇帝」みたいなもんで、始皇帝がそうであったように、死ねば体制が崩壊してしまう。

もっともよいのは「あきらめる」ことだったかも知れません。

イレブンスアワーとブラックアウト

2016年07月26日 | ドラマ
イレブンスアワーというサイエンススリラーを見ました。かなり面白いが感想ですが、続編はないようです。こんなに面白いのになぜ打ち切りなんでしょう。

作成は2008年ぐらいのようです。ちょっと古い感じがするのはそのせいでしょう。

サイエンススリラーです。サイエンス。「サイコ」スリラーではありません。

Xファイルに似てはいますが、超常現象は登場しません。「科学者」が主人公で、一応科学的です。幽霊とか宇宙人は登場しません。

日本のドラマだと1995年放送の「ブラックアウト」に似ています。椎名桔平と高島礼子さんの出世作。あまり知っている方は多くないと思いますが。

以下、話が傍流に流れていきます。

主人公の科学者と組む相棒の女性FBI捜査官が「綺麗で色気があり」ます。レイチェルという名前です。

それで、ふーんと思いました。

女性捜査官が主人公のFBIものは少なくありません。フリンジなんかがそうですし、ウィスパーなどもそうです。

彼女たちは、「そんなに綺麗でもなく、色気もあまりない」のです。

街を歩いていて、すぐに男性に声をかけられるような、レイチェルのような女性ではないのです。

もっと綺麗な女優もいただろうに、と思っていたのですが、「イレブンスアワー」の綺麗な捜査官を見て、理由がわかりました。

捜査官というより女優に見えてしまうのです。「こんな綺麗で色気のある捜査官がいるものか」と非現実的に見えてしまう。

で、米国作品の女性FBI捜査官は「そんなに綺麗ではないが、意志は強そう」なんだと思います。以上です。




ビスタノートPCをウインドウズ10へ

2016年07月25日 | ドラマ
自作用のウインドウズ8があまっていた(すでに二台あって、三台目を作る必要がなかった)ので、

ビスタノートPCをウインドウズ10化しました。

ちなみにビスタの上書をする形でのアップデートはできません。上書アップデートはウインドウズ7からですし、「7」ならそのまま10にアップデートできるので、ウインドウズ8を使う必要もないのです。

ビスタノートをウインドウズ10にしても、特に動きがサクサクするとかは、ありません。でもウインドウズ8が一枚あまっていて、10への無償アップグレードが29日までなので、もったいないから、ノートを「ウインドウズ10化」しました。

具体的には、HDDにビスタOSが入っていない「パーテーション領域」を作ります。フリーソフトでもパーテーションは作成できます。

で、その領域にウインドウズ8をインストールします。つまり、ビスタOSも「残す」わけです。別に残さなくてはいけない、わけではありません。残すと「ダブルブート」というかたちになります。

そして、ウインドウズ8を「認証」します。普通は、すぐに認証できません。前に使っていると、二台に入れることになるので認証できないのです。

で、マイクロソフトに電話。一応無料です。それで細かな番号を色々入力。でも認証はできないので、「オペレーター」に変わります。

ここで「前に使っていたHDDは処分した」とか「前に使っていたHDDは起動しない」とか言います。特に嘘ではありません。嘘ついても二台に入れることはできないのです。
余計な説明はせず「前にこのOSを使っていたPCは既に壊れて起動しない」というのが簡単だと思います。すると向こうがこまかい番号を指定してきて、「認証」が完了します。
何度も言いますが、この段階ではノートPCにOSを入れた状態です。

で、ウインドウズ8の認証が完了。すぐにウインドウズ10へのアップデートをする。で終わりです。

でも、特におすすめはしません。理由は、

1、CPUが非力。今は第六世代ですが、ビスタだと4シリーズという古いやつです。このCPUは「電気を消費するわりには全くの非力」です。特にディスプレイ機能が弱いのです。

2、メモリーが2Gぐらいしかない。当時は2Gで十分でしたが、ウインドウズ10に2Gはもの足りないわけです。

私の場合、「めったにノートPCは使わない。使わないのに、新しく5万円ぐらいだしてノートを買う気になれない」からウインドウズ10にしました。
ビスタのサポートは2017年の4月に終了です。

まあ、これでめでたく「ウインドウズ10のノートPC」となりましたが、まあネットを見るぐらいなら、問題はありません。CPUが古いので、ゲームとかには向きません。
特にサクサク動くわけではないが、これで壊れない限りは一応はネットにツナギ続けることのできるノートPCに変身しました。

エンドオブホワイトハウスとホワイトハウスダウン

2016年07月23日 | ドラマ
エンドオブホワイトハウスとホワイトハウスダウン

映画の題名ですが、似ています。内容も似ています。でもかなり違うとも言えます。

エンドオブホワイトハウス、は主人公の野性味が強い方です。とにかく殺しまくる作品。こっちをAとします。

ホワイトハウスダウンは主人公の娘が登場するややヒューマン色の強い方の作品です。こっちはBとします。

AとBでは、悪役の出身が違います。Aは単純で、北朝鮮(厳密には、北朝鮮からも外れたテロリスト、)。

Bはややこしくて、シークレットサービスの親玉が犯人。さらに黒幕がいて下院議長です。大統領は死んだことになり、副大統領も殺され、一時、下院議長が権力を掌握。クーデターものです。

Bの主人公は人の親で、スーパーマンでもなく、残忍ということもありません。犯人を撃つだけです。

Aの主人公はよくある「軍特殊部隊出身」で、かなり残忍です。犯人なんて簡単に殺すし、拷問もするし、裏切った仲間も躊躇なく殺します。ジャックバウワー型です。

まあ、どっちもありえない作品で、リアリティはないし、リアリティなど追及もしていません。

Aの方は大統領が地下に避難する時、韓国の首相だけでなく、首相のお付きも地下壕に入れ、結局その「お付き」が主犯です。ありえない。

Bの方は、大統領のせいで息子が死んだと思っている人間がシークレットサービスの親玉で、結局その人物が犯人です。ありえない。

というわけで、どっちもありえない作品ですが、ハードボイルドが好きな方はA、ちょっとはヒューマン色が欲しいという方はBでしょう。

時間があれば両方。娯楽作品としてはいい出来だと思います。


北条家、後北条家の大河ドラマ

2016年07月21日 | ドラマ
鎌倉の北条家も、戦国の後北条家も、それなりに面白い「素材」なんですが、あまり大河ドラマにはなりません。


「草燃える」は北条義時が主役級でした。「北条時宗」はむろん北条時宗、時頼が主人公です。これが鎌倉北条氏ですね。
それと「太平記」、時宗の孫である北条高時が重要な人物として登場します。演じたのは片岡鶴太郎さんです。

「後北条氏」が主役になった大河はありません。北条氏康、中井さんの「武田信玄」ではそれなりに重く扱われましたが、所詮は脇固め要員です。今回の高嶋さんの「北条氏政」。まさに怪演でしたが、やっぱり主役ではありません。

もっともこの怪演。三谷さんの脚本が苦手な私でも、見ごたえはありました。北条氏政、秀吉に謝れば許されるってのがこの作品の前提になっています。実際は許さなかったでしょうが、この作品の秀吉はそういう秀吉として設定されています。家康、景勝、真田昌幸の3人がその前提で説得しますが、氏政は「死を選ぶ」として、説得に応じません。

「ここまででござるか」という家康に、氏政は力強く「ここまででござる」と応じます。潔さが際立ったシーンで、なかなか見ごたえがありました。

北条時宗は、むろん全編がNHKに残っていますが、武蔵などと同じようにDVDになっていません。総集編のみです。まだVHSの時代だったので、個人的にも全編は有していません。

和泉さんが主人公だから、なのかなと邪推しますが、渡辺謙さんなども出ており、どうして全編がDVDにならないのでしょう。

まあ作品としては上出来とも言えないレベルではありました。前半は鎌倉幕府内部における権力闘争、後半は元寇ですが、肝心の時宗自身は鎌倉にいて動くことない。なかなか見どころのあるシーンは作りにくい作品でした。

話はあっちこっちに飛びますが、鶴ちゃんの「北条高時」、私は好きです。完全なる「バカ殿ぶり」でもないのです。バカにはバカの苦悩があるってことを描いています。鎌倉北条一門の最期ってのは壮絶で、六波羅北条も全滅ですし、鎌倉北条もほぼ全滅です。高時の息子は逃げて、あとで乱を起こしていますから、高時だって逃げられたはずですが、逃げずに戦い全滅していきます。「滅びの美学」ってほどじゃないですが、それに近い最期で、みどころはありました。

後北条氏、戦国北条氏ですね、主人公にできるとすれば初代北条早雲で、原作は司馬さんの「箱根の坂」でしょうか。
ただし最近は面倒です。「研究が進んで、早雲は単なる一介の名もなき男などではなく、伊勢氏であり、室町将軍とも近かった」ってことになっています。
「箱根の坂」は、「完璧に一介の名もなき男」説で成り立っているので、そのままでは、原作になりにくい。

なんかやたらと「研究が進んで」ってことになってますが、本当にそうなのか。
中には証拠といえば一枚の手紙だけなんてこともありますから、用心が必要です。


新約聖書はどうして読みにくいのか。

2016年07月21日 | 日記
幼稚園はプロテスタントでしたが、キリスト教に対する信仰的興味はありません。学術的興味は少しあります。日本の神学者、ほとんど知りませんが、「加藤隆」さんは面白いですね。どうして日本人には聖書が読めないのか、いや、どうして万人にとって聖書が難解なのかを説明してくれます。答えは4つの文章(新約聖書)+使徒列伝、パウロの手紙等がバラバラに書かれたから。バラバラに書かれたものを無理に一つの文章集(新約聖書)にしたわけで、「統一的理解」なんてできるわけない、というのが氏の学説です。「氏の学説」というより、かなり主流派的学説なようですが。

新約聖書は「古ギリシャ語」で書かれています。おそらく、キリストが文盲でなかったとしても彼には新約聖書は読めない可能性が高い。。キリストの母語はアラム語でこれは、ヘブライ語に近い言語です。少なくとも、ギリシャ語ではありません。イエスには、ギリシャ語が読めなかった、とは言い切れませんが、読めない可能性が高いですね。

ルカ文書、は新約聖書にとって非常に重要な文章集です。しかしルカとは誰でしょう。伝承ではパウロの「協力者」ですね。パウロ、は高名なキリスト教の聖人ですが、ルカ文書においてすら「12使徒の一員では」ありません。キリスト死後に教徒になったはずです。キリストの直接の弟子ではないパウロの、その協力者がルカです。

新約聖書は、ローマの民衆支配、帝国維持のために「国教」となります。その過程において様々な福音書が書かれ、それが選別され、今の新約の形がほぼ整ったのは4世紀後半です。「ほぼ」であって、今でも整っていない、という考え方もできます。12使徒の名前を冠した(模した)文章も沢山ありましたが、必ずしも採用されません。しかしルカ文章は採用されました。

バラバラに書かれた、と書きましたが、厳密には、つながりはあります。最初に「マタイ」がある。これははっきりしています。しかし「マタイでは十分ではない」、そう考えた人間によって、マルコ文書とルカ文書が書かれました。もうちょっと突っ込んだ言い方をすると、マルコ文書への「批判」として書かれました。「マタイで十分」なら、書く必要はない。十分ではない、そう考えた「誰か」が、マルコやルカを書きました。ヨハネはかなり変わった文章ですが、原理は同じでしょう。

バラバラである、だけでなく「互いに論争的」、そういうものがローマの都合によって一つの統一的な文章集とされました。そしてその論争性に言及することは、タブーとされたのです。

あれ、大丈夫かな、加藤隆さんの説はこれで合っているかな、そう思いながら書いています。

興味のある方は加藤隆さんの「新約聖書の誕生」「新約聖書はなぜギリシャ語で書かれたか」等の書物をお読みください。




ON異常犯罪捜査官藤堂比奈子 第二話

2016年07月20日 | ドラマ
ON異常犯罪捜査官藤堂比奈子

第二話、なんとか見たという感じです。それでも日本のドラマを第二話までみるのは珍しいのです。

第一話で感想を書きました。主人公の殺人への興味を「ただの興味」と書いたのは間違いのようです。

原作読んでないし、予備知識がないので、マトはずれも多い感想でした。

「自分が殺人者になる可能性を考えている」

ようです。

日本の猟奇ものにありがちな、自分が殺人にひきこまれる不安におびえています。子供のころのトラウマがあるようです。
いや「不安に怯える」のも、違っていそうだ。「自分が殺人者になるかに興味を持っている」という感じです。

波瑠さんじゃないと、主演はいけないのかなと思いました。そういう主人公になるには、彼女の顔は純朴すぎます。

社会病疾性というのは、誰もが多かれ少なかれ持っていますが、誰もが殺人者になるわけではありません。

アメリカのウォール街で成功した人間の大部分は社会病疾者だという説もあります。

日本の場合はトラウマ決定論的であり、アメリカの場合はDNA決定論的です。

このドラマ、折角なので見たいとは思いますが、正直面白味や新鮮味はない。早送りで見るのが精一杯かなと思います。




幻解超常ファイル、または「ノストラダムスの大予言」

2016年07月19日 | 日記
日本にはオカルト(否定)世代というべき世代がいるように、思います。ノストラダムスの大予言が発売された1973年当時、少年少女、また思春期だった世代です。またはユリゲラーの登場、1974年にその世代だった子供または学生。1年しか違いません。

多くの子供たちは、当時、予言を信じたり、スプーン曲げを信じたりしていました。で、大人になった今になって、嘘だったということが完全に分かっています。50代でしょうか。そうなると、今度は「オカルトへの懐疑」を大人として、きちんと伝えないといけないという気になる。

NHKは「幻解超常ファイル」など、やたらと超常現象を扱いますが、私のいう「オカルト世代、またはオカルト否定世代」が決定権のある立場についているからだと思います。今は、スピリチュアルブームで、まあ騙されている人も多いでしょうが、そんなに「大きな問題」にはなっていない。それでもなお、オカルト(否定)を積極的に扱うのは、オカルト(否定)世代が社会の中枢にいるから、だと思います。

私も子供の頃は、信じてました。ノストラダムスもスプーン曲げも、結構なブームでしたから。

ただし、ノストラダムスの場合は、「本を読まないと」いけません。あれは一種の「小説」で、子どもにとってはそれなりに難しい内容です。でもまあ、小学生の私が解読できたのですから、実際はそんなに難しくなかったのかも知れません。

そういえば、作者である五島勉さんはどうしてるのだろう、そう思って調べたらまだ存命なさってました。1999年に新聞に出た「危機は回避された、あれは文明への警告だった。実害があるなら謝罪する。」という文章は読みましたが、その後16年間、一切興味もありませんでした。

今は一貫してアメリカ同時多発テロを「空から降ってくる恐怖の大王だった」と主張しているようです。ノストラダムスとオウムの関連性を指摘する方も多いのですが、それはバタフライ効果であって、直接的な関係があるわけではないですから、ご自由に、という他ありません。ただし、松本死刑囚がノストラダムスの熱心な「信者」だったことは確かです。

終末論はキリスト教色が薄い日本では大きな波とはなっていません。アメリカの映画などを見ると、キリスト教原理主義の終末ものが実に多いことに気が付きます。一定以上のファンがいて、ファンとは終末論者ですが、ある程度の観客動員がのぞめるので、繰り返し、繰り返し作られるのです。トランプ氏を支持している人の中にはそういう人も多いでしょう。トランプなら、いかにも終末を呼び込めそうです。

今は1ミリも信じていませんから、むしろ「幻解超常ファイル」でさえ、ちょっと危ういと思います。最終的には否定するにせよ、前半では、色々なオカルト説が紹介されます。あの時点で子どもがTVを消したら、否定の部分は見ないわけですから。

もっとも子供のころ信じていた私が、高校ではすでに脱却して、今は1ミリも信じてないのですから、危険がないと言えばない。ただ、たった一人の松本死刑囚でも、生み出す可能性があるとしたら、少し危ういという指摘はしてもいいように感じています。

ただし、当時は「終末論が流行する社会背景」がありました。一番大きいのは冷戦で、米ソがいつも核のスイッチに手を置いていました。「猿の惑星」だって、核戦争後の地球がテーマです。もっともあの映画、実に変な映画です。だって猿たちは英語を話しているのです。にもかかわらず、主人公は最後に地球だと気が付く。どこかに行って、みんな日本語を話していたら、普通は日本だと思います。

そして二番目に大きいのは公害。今の中国北京状態です。世界が滅びるのを信じるのは、それなりの背景があるのです。あれがなければ、いくら子供でもそう簡単には信じたりはしなかったでしょう。

クリミナルマインドについて

2016年07月19日 | ドラマ
私にはずっとやってるブログがあるのですが、そっちの方は「歴史偏重」になっています。そうなると「自分で自分を縛ってしまう」ところがあり、「海外ドラマの話」とか書けなくなってきます。どうせ熱心なファンがいるわけじゃないので、何を書いてもいいのですが、自分で自分を縛ってしまうわけです。というわけで、こっちのブログでは本当に自由気ままに何でも書きたいと思っています。

というわけで「クリミナルマインド」のお話。DVDの宣伝じゃないから、誤解なきように。

今11シーズンのようです。WOWOWですね。私はWOWOW契約してないので、やっとシーズン9の最初の方を見ているわけで、随分と遅れています。

アメリカの猟奇殺人もの、です。「あのアメリカの、猟奇殺人もの」なんですから、「ひどい」の一言に尽きる殺人ばかりです。

捜査官の一人、モーガンなどもよく「ひでえな」とつぶやきます。本当に「ひどい」のです。

「ボーンズ骨は語る」の場合は、遺体がひどい状態なのですが、「クリミナル」の場合は、犯人がひどいのです。救いようがない。救いようがないから、最後はだいたい射殺か、自殺です。

ではどうして「見ていられる」のか。「ON異常犯罪捜査官藤堂比奈子」のことを書いた時も、触れたのですが、「捜査官が動揺しない」からです。

日本の猟奇ものは、刑事が事件に引きずられる場合が多いのですが、FBIですから、そうはなりません。TVで見る限り、FBIの刑事は絶えずメンタルチャックを受けていて、事件に引きずられるような捜査官は、事件からはずされます。本当のFBIがどうなっているかは、知りません。

特にチームリーダーのホッジ(アーロンホッジナー)なんかは、鉄の意志です。CMで「犯人を拳銃で狙っている時と、会議をしている時の顔が変わらない男」と紹介されていました。その通りです。海老蔵を上回る目力を持っていて、およそ動揺することはありません。もっとも家族が狙われて、奥さんが殺されたエピソードがあり、その時ばかりは取り乱しました。そこでも取り乱さなかった、むしろ見ていられないと思います。

この番組は精神状態が悪い時は見る気もしなくなるのですが、見る時は「捜査官の側に自分をおく」ようにします。まあ、犯人の方におくなんてのは元来無理です。私は自分では社会病疾者ではなく、まあまあ健全と思っていますから、とてもじゃないが犯人に自分を寄せるなんてことはできません。

遅れた言及になりますが、プロファイリングものです。もっともよくよく見ていると、犯人を最終的に確定するのはいつもコンピューター担当のペネロープガルシアです。プロファイリングに基づいてクロス検索をすると、だいたい犯人が絞れる、というのがお決まりのパターンのようにも思います。

不安定な刑事もほとんどいません。ドクタースペンサーリード。ドクターは「博士」です。ちょっと不安定でよく頭痛を訴えますが、事件に引きずれはしません。この人は天才で「博士くん」です。日本だと、こういうタイプは必ず犯人に引きすられますが、この番組ではそうはなりません。

犯人は同情の余地もない悪で、捜査官は鉄の意志をもつ正義。単純な図式ですが、そういう構造です。そういう構造でなければ、とても見ることができる番組とはならないでしょう。


真田丸 石田三成と大谷刑部

2016年07月18日 | ドラマ
真田丸、出てくる人がみんな「いい人、それなりの人物」として描かれています。真田を描くなら、家康は普通は悪者になってしまうのですが、全くもって「憎めない弱虫家康」です。

秀吉も冷たいけど、いい人。秀次もいい人。真田関係者はもちろんいい人。茶々もいい人。ねねもいい人。上杉景勝も、北条氏政も、みんなみんな「いい人」です。

そして石田三成も「いい人」です。考えてみると、一番ワルとして描かれたのは、武田勝頼を裏切った「温水さん」じゃないかと思います。それぐらい、誰もかれもがいい人です。

石田三成という人は、戦後一度として国民的人気を得たことがない人です。司馬さんは「義の人」として三成を「救済」しましたが、その作品。「関ケ原」はNHKでは映像化されていません。TBSの特番で昔映像化されましたが。このあたり、チェックが厳しい場合もあるので触れておきますと、「功名が辻」の石田三成、橋之助さんが演じた三成は、「司馬関ケ原の三成」です。「功名が辻」自体が司馬さん原作ですから当然なんですが、あれが司馬さんが描いた三成です。

江戸時代、家康と戦った三成はタブーであり、評価できませんでしたが、それに代わって、家老級だった「島左近」が評価されていました。武士の鑑とまでされました。

が、今は島左近にも特に人気はありません。「真田丸」にも一回も登場していません。TBSでは三船敏郎が演じたと言えば、扱いの大きさが分かるはずです。

それでも秀吉に絶大な人気があった時代は、最後まで豊臣を裏切らなかった人物として、三成は評価されていました。

ずっと子供の頃から、三成の最期のシーンとか、知っていました。漫画に出てきたのだと思います。

「水が欲しい」「水はない柿でも食え」「柿は胆の毒だ」「いまから死ぬのに毒もあるまい」「下郎め、英雄は最後の最期まであきらめたりしない、貴様のような下郎に英雄の心がわかろうか」

有名なこのシーンです。小学校低学年で知っていました。何の漫画に出てきたのか、記憶にはありません。

秀吉人気というのは、帝国軍隊によって意図的に作られたところもあります。だから段々と下火になってきて、今は信長や龍馬に比べれば、かなり下のように思います。秀吉とともに人気だった「西郷さん」なんかも、今は龍馬暗殺の黒幕だ、なんて言われることもあり、昔の勢いはありません。

まあ、やはりここぞという「関ケ原」で、見事なほどの敗北をしたことが「人気がでない」原因でしょう。

官僚としては優秀だが、武将とはいえない。「のぼうの城」なんかでも「損な役回り」ですし、どう考えても、国民的人気というのはちょっと集まりそうもありません。

その代わり、前述した「島左近」とか、「関ケ原」の結末を見抜いていたといわれる「大谷刑部」とかは一定の人気があるようです。

特に最近は大谷刑部に対する高い評価をよく聞きます。実際映像化された「関ケ原」(司馬さん)なぞを見ても、かっこいいのは「大谷刑部」です。

金吾中納言、小早川秀秋の裏切を予期しており、最後まで戦い、いさぎよく自決する。

ドラマの方では最期にこう言います。

「三成、地獄で会おうぞ」

何も悪くないのに、なぜ地獄なのか。解釈は色々できますが、とにかく極楽往生できるとは思っていない。戦国武将ならみな「かくあってほしい」という期待の地平を裏切らない、見事なセリフだと常々思っています。

史上最高の「徳川家康」 誰が一番よかったか。

2016年07月18日 | ドラマ
題名は、大げさにつけていますが、まあこの40年ぐらいの「徳川家康関係のドラマ」を、私は7割は見ていると思います。で、誰が一番か。

それは単なる個人的感想になるわけですが、一つの判断軸として、山岡荘八の「徳川家康」をどう考えるか、があるでしょう。

ただし、1983年の大河「徳川家康」は、今ではあまり話題になりません。山岡さんは「とにかく尊王の聖人君子である徳川家康を描く」ことに懸命になった人です。「尊王の聖人君子である家康のイメージ」、かつては「ないことはない」って感じでした。

大河「徳川家康」。あそこまで聖人君子にすると、やっぱり違和感は覚えますが、「偉人伝」としては上出来だと私なぞは思っています。嘘を承知だと、それなりに楽しめます。

しかし、今は基本的には「たぬき親父のイメージ」ですね。

山岡さんが「偉人伝」みたいな、「あまりにも嘘ばかりの家康」を描くもんだから、「反発が強くなって」しまい、その後の家康の描き方は、山岡さんの「真逆をいく」ってことになりました。

司馬さんが一番正面から家康を描いたのは「関ケ原」ですね。謀略家の家康です。ただし、司馬さんは家康を評価していないわけではなく、三方ケ原の敗北などは高く評価します。

三方が原は、家康が信玄にコテンパンに敗れた戦いです。信長を裏切っても良かったのに、家康はそれをせずに、信玄に挑みます。「若い頃、家康は律儀と勇気を人々に感じさせた。それがあったから、関ケ原の策略も成功した。」というの司馬さんの見方だったように思います。

いかに知略があろうと、臆病と言われたのでは天下はとれない、三方が原の敗北で家康が勝ち取ったものは、天下という場所で勝負するためには、何よりも大切な「信用」というものであった、とこんな感じのまとめになるかと思います。

史実としての家康は、悪の中の悪でもなく、聖人君子でもなく、一種の「知識人」でした。本が好きな「歴史主義者」ですね。源頼朝を尊敬し、頼朝を手本として政治を行います。「御家人」なんて言葉も、よく登場するのは「鎌倉時代」と「江戸時代」です。

近年は、そういうバランスのいい、歴史主義者としての家康という描き方は少ないですね。「功名が辻」の西田敏行さん。まあ「たぬき親父そのまんま」です。

「葵三代」等の津川さん。「政宗」なんかではそれなりのバランスがありましたが、ちょっとエキセントリックな、激情的な家康すぎるかなという感じがします。

松方さんなどもよく家康を演じます。スペシャルドラマなどでは「あまりにありきたりな家康」でしたし、「天地人」では漫画の中の人物みたいでした。

今度の真田丸の内田さん。弱虫の家康です。でも段々変化してきて、最近は凄みも出ていますから、かなりいい線いっていると考えます。

で、色々考えて、もっとも家康のイメージと合致するな、と思えるのは、「真田太平記」の中村梅之助さんです。どこが、というのは書くと長くなります。見ていただく以外ありません。

あとで加筆するつもりですが、今はここまでです。





秀吉を描くことの難しさ

2016年07月17日 | ドラマ
秀吉を描く、のは難しいですね。例えば司馬さんの「新史太閤記」は「家康の上洛」で終わっています。秀吉の死の10年以上前です。侵略者秀吉を描かなかったという批判は当たってなくて、「描けなかった」が正解だと思います。大河「秀吉」(竹中直人)でも、朝鮮侵略や秀次切腹、側室皆殺しはまともには描かれません。

一つには韓国との関係もあるでしょう。ただし司馬さんが「太閤記」を書いた時、日本と韓国の国交は「あってなきようなもの」で、ある意味今より簡単でした。朴政権が暗殺によって倒れたのが、1979年。あの頃は実質断絶状態でしたから、今より難しくなかったのです。対話がないのですから。

韓国では秀吉は大悪人ですね。今は秀吉をどう描くか、に興味をもっている韓国の方も多いでしょう。それから逆に、反韓国の人も国内にいます。そういう人たちも秀吉の描き方を厳しくチェックするでしょう。一言でいえば「政治性をはらんで」しまう。

だから秀吉の描き方は難しいのです。

大河「秀吉」では大政所の「なか」が、唐入り(朝鮮出兵)に大反対します。他の人々もそうです。最近までの朝鮮出兵(侵略)の描き方はだいたいそうでした。しかし、「真田丸」はそこをスルーしています。大政所は全くの田舎の老女で、秀吉に意見する人間として設定されていないのです。だから当然のごとく、秀吉が気絶したという伝説がある、有名な「大政所の死」も描かれませんでした。

まあ、この文章だって、唐入りと書いたり、朝鮮出兵と書いたり、朝鮮侵略と書いたり、用語が定まらないから、色々書き方が変わっています。

秀吉が目指したのは「明の征服」です。「朝鮮は通り道」ぐらいの認識でした。だから「唐入り」、「明出兵」が正確なのかもしれませんが、明には全く届かず、朝鮮で秀吉は敗れます。

三谷さんも苦労しているように思います。

秀吉は「もうろく」して出兵した、ってのは国内の受けが悪いので否定します。そして秀吉は国内の戦意を他に向けるために出兵、とします。後者は普通の説ですね。今までは「かなりもうろくした挙句、国内の戦意を他に向けるために出兵」ってのが通説でした。前者のみ否定します。

利休切腹、これは韓国とは関係ありません。今までは三成らの策謀。今回は三成を「よく描く」わけですから、「利休が敵にものを売った。それを大谷刑部が政治問題化した。」ってことにされています。

秀次切腹、これは秀吉のもうろく、それから三成、茶々ら近江派がそこにつけこんで行ったという風に描かれることが多かった。今回は、秀吉も秀次も、三成も茶々も「よく描く」ことになっているようで、「誰も悪くない。秀次が勝手に不信、不安に陥って切腹」となっています。秀吉はかわいさあまって憎さ百倍、側室子供を皆殺し、と全然筋の通らない行動をとります。史実と「よく描く」という方針の間で苦労し、かなりというか全くもって無理な脚本になってしまいました。「かわいかった」なら、なんで「側室子供皆殺し」なんでしょうか。

難しいのだな。と思います。

どうも「まとめ」ができないので、新史太閤記(司馬さん)の終わり方に触れておきます。

家康上洛で、終わることはもう書きました。家康は秀吉に羽織をねだり、「自分が戦をする。二度と殿下に陣羽織は着させません」と言います。有名なシーンです。

新史太閤記は「その夜」で終わります。

ねね、が言います。よく徳川殿がそのようなことを申されましたね、と。

それに対して、秀吉が応じます。「なに、狂言よ」

そして、秀吉は自分の今までの人生がずっと狂言であったように感じた。

新史太閤記の終わり方です。まとめがない文章ですが、眠くなってきたので以上です。

真田丸のルソン助左衛門

2016年07月17日 | ドラマ
ルソン助左衛門には「思い入れが強い」ので、二度目の投稿です。

真田丸のルソン助左衛門の人物像は、ほぼ昔の大河の人物像と同じです。「力を持つと人は変わります。手前はそのような無理無体に対して、常に戦いを挑んできました」、こう助左衛門は言います。

黄金の日々は1978年の放映で、「強いものにつく」ことが「かっこ悪かった」時代です。今とはだいぶ違いますね。

「このルソン助左衛門、あらゆる弱き者たちの守り神でござる」とも言います。(真田丸の中で)

それはちょっと、でしょうか。なぜなら「助左衛門自身がずっと弱き者」だったからです。「黄金の日々」とあるから主人公が黄金の生活をしているかと言えば、全く違います。最後の最後まで、彼は社会の底辺近くにいますし、豪商となってからは、権力者の迫害を受けて、結局日本を脱出します。

「黄金の日々」は実に不思議な大河ドラマでした。ほとんど架空の存在であるルソン助左衛門が主人公。副主人公が二人いて、一人は信長を撃ったといわれる杉谷善寿坊(川谷拓三)、もう一人は石川五右衛門(根津甚八)です。

杉谷善寿坊なんて「信長公記」にちょっと出てくるだけの人です。よくもまあ、副主人公に据えたものです。最期はのこぎり引きで死刑。そりゃ悲惨なシーンでした。石川五右衛門は暴走する権力者、秀吉暗殺をくわだて、釜茹でとなります。

当時は大学生にもなってませんから、そんなに深く考えませんでしたが、あの大河はなんだったのでしょう。

今、DVDを見返してみると、「自由都市堺が主人公だ」ということはわかります。中世近世において、日本が自由貿易を行ったごく「短い期間」、それを原作者、脚本家は「黄金の日々」としたのです。

最後の最後、ルソン助左衛門たちは、堺を離れ、ルソン移住を決意します。(何度も書きますが、史実とはNHKも言っていません)

堺を焼き、堺を離れるとき、助左衛門はこう言います。「自分たちは堺を捨てるのではない。自分たちが境を持ち去っていくのだ。堺とは場所ではない。自由に貿易ができるところ、それがわれわれにとっての堺なのだ」と。

「黄金の日々」という作品の主題は、ほぼこの言葉に「濃縮」されていると考えます。




真田丸 黄金の日々 ルソン助左衛門

2016年07月17日 | ドラマ
真田丸で松本幸四郎さん演じる「ルソン助左衛門」が復活しました。

私は三谷さんと同世代ですから、その気持ちよく分かります。

ルソン助左衛門、大河「黄金の日々」の主人公です。極めて特殊な作品で、全編がほぼ架空というドラマです。

主人公も架空ですし、その他の人々の描き方も「史実はあえて無視する」という姿勢でした。

長大な恋愛劇でもあるのです。松本幸四郎(当時市川染五郎)さんと栗原小巻さん。二人の身分を超えた愛情関係がずっと描かれ、そして最後は「結ばれない」のです。「来世では私の女房になってください」「はい」というが最後の二人のシーンです。

思春期だったので、この長大な恋愛劇には心を動かされました。

私は中学生ぐらいで、ゴールデンウイークのことを「黄金の日々だ」と言って友人と笑っていた、なんて思い出もあります。

今、配役を調べてみました。よくよく見ると、松本幸四郎さん以外、露出がないか、亡くなった人ばかりです。

亡くなった方。秀吉の緒形拳さん。利休の鶴田さん。豪商今井の丹波さん、林隆三さん。副主人公、杉谷善寿坊の川谷拓三さん。
夏目雅子さん。

引退された根津甚八さん。ほとんど露出がなくなった栗原小巻さん。ちなみに栗原さんは、吉永小百合さんと人気を二分した美人女優です。

今でもよく見る方は、石坂浩二さん。竹下景子さん。あと鹿賀さんというような方々でしょうか。そういえば鹿賀さんも最近あまり拝見しません。

自分では若いつもりですが、こう考えると自分がいかに「古い人間」かがわかります。

話は飛びますが、当時の竹下景子さん。まだ子供風であどけなく、実にかわいい方でした。石坂さんはこの作品の遥か前に「天と地と」で大河の主役をやっています。そして今も活躍している。凄い方だなと思います。

栗原小巻さんを拝見したいな、と思います。それから露口茂さん。露口さんは「太陽にほえろ」の「山さん」ですが、大河でも欠かせない俳優さんだったのです。

流石に松本幸四郎さんも年をとりましたが、あの「ルソン助左衛門」をこうしてみることができるのは、嬉しい限りです。

真田丸 受難 感想

2016年07月17日 | ドラマ
自分の意見を書く前に、内容をちょっとだけ「まとめ」ます。あと、基本「真田丸」は「おもしろい」とは思っていることも承知しておいてください。

まず、秀次は秀吉に対する不信が高じて、まあ勝手に切腹したことになってます。秀吉は本当は秀次がかわいかったのですが、親の心、子知らず、可愛さあまって憎さ百倍。で、側室と子供たちを皆殺し。今回はねねも積極的には止めません。秀吉は三成に、「私が高野山に追放し、切腹させたことにしろ」と命じます。(何故?)
ただし、娘の一人だけは、幸村(信繁)が助け、ルソン助左衛門に頼んで、ルソンに逃がします。

まあ、こんな内容です。

でNHKのテレビ欄をみると「秀次切腹の真相」と書いてあります。

三谷さんはいいのです。脚本家なんだから、どう書こうが自由です。

でもNHKの「真相」はないでしょう。良心があるなら「この番組はフィクションであり」とすべきです。

歴史を何にも知らない子供たちが、「本当に真相だ」と思ったどうするのでしょう。「フィクションだ」なら許せますが、「史実だ」というなら絶対にありえません。

当時のどんな資料(手紙とか公文書とか日記)を見ても、そんなこと書いている資料はありません。

三谷さんがどんな脚本を書こうが、それは自由。でもNHKがそれを「真相として宣伝」するのはアウト。それが私の意見です。