散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

真田丸  信長みたいな豊臣秀頼

2016年09月25日 | ドラマ
真田丸「昌幸」

信長みたいな豊臣秀頼が出てました。

今回のメインは昌幸の死ですが、もう一つのメインが秀頼と徳川家康の二条城での会見です。

司馬さんの描き方だと、この会見で家康は「秀頼の体躯の大きさと若さに嫉妬」し、最終的に豊臣潰しを決めたという風に描かれます。

「若さに嫉妬」です。「城塞」を読めば分かりますが、司馬さんは武将としての秀頼なぞ毛ほども評価していません。

三谷さんの描き方も似てはいましたが「秀頼の威厳を恐れた」という風になっていました。

あまりに立派な二代目だったことが秀頼の不幸、と本多正信は言います。

そりゃ、立派です。信長、もしくは信玄あたりの若いころって感じです。家康のことも「江戸のじい」なぞと言わず「家康」と呼び捨てです。

でもあんなに立派にしたら、大阪冬の陣の「講和」はどうなるのかと思いました。

あれほどの人物なら茶々がなんと言おうと講和などしないでしょう。講和をしなければ堀も埋められないし、何年でも戦ができます。

そういえば茶々は全く出てきませんでした。おもしろい脚本です。

茶々をあくまで陰に回し、女城と言われた大阪城のイメージを崩すつもりでありましょう。

あんな立派な秀頼なら、幸村の積極出兵策だって採用するだろうし、徳川に勝ってしまいます。

そんなことを考えました。

真田丸 予言の的中

2016年09月20日 | ドラマ
別のブログなんですが、1月ごろ、こんなことを書きました。

以下自分のブログの引用。

かつて、大河の主人公たちは大きく「変貌」しました。

だいたいは「ワル」になって凄みを増すのです。

最も典型的な例が「草燃える」で松平健さんが演じた「北条義時」。

悩める青二才だった義時は、最後には大権力者になって、他の豪族を滅ぼしていきます。

史実不明なので、設定上ですが、実朝も見殺しにします。

逆にワルとして登場し、盗賊になりはて、殺人強姦なんでもありだった義時の幼馴染。

滝田栄さん演じる「伊東某」(名前が浮かびません)は、最後は琵琶法師になって世の無常を語ります。

この二人の「クロス変化」。善が悪となり、悪が善となる。子供だった私の心に突き刺さりました。

人生とはこういうものか、子供心にそう感じたのです。

さて真田丸。

現時点での家康は殺す価値もない「へなちょこ」として描かれています。

目指すは家康の首ひとつ、と言われても、あの家康を殺しては、温水さんを殺したように「かわいそう」ってことになります。

私に分かることが三谷氏に分からないわけないので、きっと家康はどこかで「変貌」します。

ワルになって凄みを増すのです。

以上、引用終わり。

当たった。と子供みたいに楽しい気分になったというお話です。ヨタ話にお付き合いさせて、申し訳ありません。

真田丸  真田昌幸の遺言

2016年09月20日 | ドラマ
以下は有名なエピソードなんですが、真田家に「うとい」方は、ネタバレして「わくわく感」がなくなってしまうので、読まないことをお勧めします。

別のブログで9か月前、私は「九度山はどうするのだろう」と書きました。

真田太平記なら忍者が沢山います(十勇士ではありません)から、幸村の代わりに彼らが活動できるのです。でも真田丸ではサスケぐらいしかいない。九度山の15年が持たないのでは、と思ったのです。

結論としては、「描かない」ようです。1話か2話で15年ということですね。

来週には真田昌幸が死んでしまいます。

真田昌幸は幸村に遺言を残します。大阪城は南が弱い、そこに出城を築けというもの。いわゆる真田丸です。

しかし同時にこう言ったとも言われています。

幸村ではだめだ。人は真田昌幸(自分)が徳川を二度破ったことは知っているが、幸村の名は知らない。幸村が作戦を進言しても、人はその案を採用しない。

結果はほぼその通りになりました。

ところが真田丸はかなり事情が違います。

なにしろ茶々と幸村は「かつて淡い恋仲」という感じの仲だからです。

茶々は「あなたとは同じ日に死ぬ」とまで予言しています。

大野修理なんぞより、幸村の方が茶々に近いともいえるのです。

さて、三谷さんは、真田昌幸の遺言を扱うのか。扱わないのか、幸村の積極出兵論を誰が退けるのか。

私はそんな点に注目して、今後の話を見ていこうと思っています。

真田丸 大谷刑部の最期

2016年09月19日 | ドラマ
本日の真田丸

大谷刑部の最期が描かれました。「治部、楽しかったぞ」が最後の言葉。

頭に「?」が浮かびました。何が楽しかったのでしょう。ちょっと意味不明です。

昔のTBS「関ケ原」では、「三成、地獄で会おうぞ」

これは、忘れられないセリフです。豊臣を滅ぼした罪の意識、戦国武将として最後は地獄という自負、そんなものが感じられます。

三谷さんは当然見ているでしょうから、故意に「楽しかったぞ」に変えたわけです。

その意図が、私にはちょっとわかりませんでした。

「幸福な死だった」ぐらいの単純な理由なのかも知れません。

このドラマが異色な点は主人公が「修羅道」を歩かないことです。

父親の草刈さんさえ、修羅道色は薄いと思います。

「子連れ狼」なんかは「冥府魔道の道」を歩んでいました。

あの当時は、それがシリアスでカッコよかったのですが、これも時代の変化ということでしょう。

一番歌がうまい女性アーティスト

2016年09月17日 | 日記
最初に書いておきますが、私の守備範囲はギリギリで吉田美和、中島ミカまで。たまーに西野カナも聴きます。2000年以降の歌手は基本わかりません。

普通で言うと、歌がうまい女性アーティストは吉田美和、ミーシャあたりなんでしょうが、個人的には違います。

結論から書くと、八神純子か渡辺真知子だと思います。あと条件つきで中島ミカ。ユーミンは作曲家作詞家として天才ですが、歌は決してうまくはない。

大橋純子も超うまいけれど、八神、渡辺には及ばないと思います。

声の透明さでいえば八神純子を超える歌手はいないでしょう。

また音程によって自在に声の音色を変えられるという点で、渡辺真知子に及ぶ歌手はいない。

中島ミカさんの場合、うまいとかうまくないを超えて、声が魅力的過ぎます。

音符通りに正確に歌うけど味がないメイジェイなんかと比べれば明確になると思います。メイジェイさん、たむらけんじみたいなこと言って、御免なさい。

容姿まで勘案するとすれば、歌は多少おとりますが、松原みきさん、久保田早紀さん。お一人は故人で、久保田さんは引退しているから「さん」づけです。

自分でも明確になってきましたが、私は1980年の心で書いているようです。

久保田早紀さんは「異邦人のみ」と思われているし、否定しませんが、私は今でもよく聴きますし、今でもファンです。

25時、オレンジエアメールスペシャル、上海ノスタルジーなんかは特によく聴きます。マニアックなところでは「碧の館」などもいい。別バージョンの「異邦人」もなかなかです。LPも大事に持っています。レコードだから再生はもうできませんが。

また松原みきさんの「真夜中のドア」はカバーまで集められるものは全て集めて聴いています。カバー、沢山あるのです。

あ、完全に1980年に「固着」「執着」している。自分でもわかりますが、いいものはいい、としか言いようがありません。一番多感な時代に聞いた曲だからでしょう。

ただ最近西野カナを車で歌ってみて、その超高音に驚きました。女性の歌はオクターブ下げればだいたい歌えます。けれど西野カナの「たとえどんなに」は歌えません。高音があまりに高いのです。

簡単なようで音程も非常にとりにくい。女性歌手、間違いなく進化してます。けど私はやっぱり1980年。これは誰でもそうで、仕方ないことなんでしょう。



真田丸 36回「勝負」に「なんでやねん」

2016年09月11日 | ドラマ
本日の真田丸をみて、思わず「なんでやねん」と思ってしまいました。関西人でもないのに。

なんで「関が原」をまともに描かない。CGなんだから金はかからないだろう。なぜ描かない。

主人公がその場にいないから、って、今までだって関係ないシーンはいくらでも描いていただろうが。

どこまで戦闘シーンを排除したら気がすむのか。

それにしても関が原をまともに描かないとは。

そういえば本能寺も描かなかった。いい加減にせい。

島津は出ていなかったから、正面脱出シーンはなくともいい。

でも金吾の裏切りと、それに起因する大谷刑部の死は描くべきだろうが。

金吾中納言も大谷刑部もさんざん登場していたのだから。

まったくわけがわからない。

漫才風にしめるなら、もうええわ。ええ加減にしろ。

サザンオールスターズが出てきた時

2016年09月11日 | 日記
サザンは革命的だった。と、こう書くと批判があるかも知れません。桑田さんはビートルズの影響を強く受けており、また加山雄三の影響も受けており、ある意味「古い」からです。

でも彼らが出てきた1978年当時においては、画期的、革命的、どんな言葉を並べても表現しきれないほど「新しい音楽」でした。

新しい音楽、はその前にもありました。歌謡曲の時代からフォークソングの時代。拓郎、陽水が出てきます。

陽水のアルバムLP「氷の世界」は、日本で初めて100万枚を超えたLPで、まさに画期的で新しい音楽でした。

ところが私は小学生で、その革命性に気付くにはおさなすぎたのです。子供ながらに「いい曲だ」とは思ってはいましたが。

その後フォークとニューミュージックの「戦い」みたいのが起きます。フォークは貧乏くさい方で、ニューミュージックはややポップです。

フォークの象徴が「神田川」のかぐや姫なら、ニューミュージックの象徴はユーミンでした。

で、結局のところ、サザンがでてきてそういう「戦い」そのものを破壊してしまったような気がします。

フォークとニューミュージックは、底の方ではつながっていました。初期のユーミンはそれなりに「暗かった」のです。

けれど、サザンは全く違っていました。

デビュー曲は、勝手にシンドバット。これは「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバット」の合成です。

コミックバンドと誤解されていました。

桑田さんは今は国民栄誉賞なみの存在ですが、当時は短パンとタンクトップでした。

歌詞も曲も、それまで「聞いたこともない」もので、「根本的な新しさ」を感じたのをよく覚えています。

その後、40年近く一線で活躍するとは、、、、思っていないはずもなく、永遠に残る音楽だということは、そのころから気が付いていたような気がします。

吉田拓郎から遠く離れて

2016年09月11日 | 日記
吉田拓郎さんがソングスに出ているのをみました。リハーサル風景で歌っていた10曲ぐらいの歌、すべて知っています。

拓郎さんを最初に聞いたのは小学生の時で、それから中学にかけて、異常に濃密な影響を受けました。

濃密すぎたのでしょう。「明日に向かって走れ」以降の拓郎さんはほとんど聴いていません。

つまり

アルバムでいうと。

青春の詩

人間なんて

元気です

御伽草子

ともだち

今はまだ人生を語らず

明日に向かって走れ

以上が僕の中の拓郎さんのすべてです。その後も、キャンディーズに提供した曲なんかは聴いてましたが。

小学生ですから、すごく影響を受けました。本当にあまりに大きな影響で、不思議なことに、その後は聴かなくなっていくのです。あまりに影響が多き過ぎると、軽く聴いたり出来なくなるのかもしれません。

一番好きだったのは、たぶん「おきざりにした悲しみは」

これを小学生で歌っていたのです。「生きてゆくのは、ああ、みっともないさ。あいつが死んだ時も、オイラは飲んだくれてた」

こんな歌詞を小学生が熱狂的に歌っていました。

思いつくままに題名を書くと、青春の詩、川の流れの如く、人間なんて、どうしてこんなに悲しいんだろう、御伽草子、落陽、ともだち、ペニーレーンでバーボン、ある雨の日の情景、雪、
灰色の世界、今はまだ人生を語らず。

特に聴いたアルバムは、「元気です」。名曲がそろっています。

拓郎ちゃんも70歳のようです。私は遠く離れていますが、納得のいくまで歌ってほしいと思います。元気で。

クロッシングラインは素晴らしい作品だ。

2016年09月07日 | ドラマ
ブログを書く前に予備調査として「クロッシングライン3」を検索したら、「超つまらない」というブログがあって、正直びっくりしました。

「クロッシングライン」はもちろん「3」も「1」も「2」も「素晴らしい作品」だからです。

スケールが大きいし、なにより「徹底的にシリアス」です。いわゆる「笑える部分」が「まったくない」のです。「リアル」ではありません。未来マシーンのような状況分析装置が出てきたりもします。あくまでシリアス。もっと簡単に言うと捜査官たちがみな「まじめ」です。基本的には、笑うことすらありません。

真田丸を面白いと思いながらも、「どうみてもコントじゃん」とも思っている私にとって、「こういう骨太なドラマ」は実に魅力的です。

例えばCSIなんかは最初の方で、「必ず遺体をテーマにしたジョーク」が登場します。

「彼は太陽を手に入れようとして、地下に転落し、そうして二度と太陽を拝めなくなったわけだ、イカロスのように。」とかいう感じです。

しゃれたこと言ってるつもりでしょうが、やや不謹慎です。

多くの米国ドラマを見ています。多くには「笑える部分」があります。「NCIS」もそうですし、「クリミナルマインド」にも笑えるキャラが出てきます。

「CSI、マイアミ、NY」もそうですし、「メンタリスト」や「ボーンズ」などは過剰と言ってもいいほど「笑える部分」があります。

が、クロッシングラインは違います。最初から最後までずっとシリアスで、事件が解決しても、特に笑顔とかはありません。殺人そのものが解決しても、その背景にある社会矛盾は解決することはないからです。真正面から「社会的正義」を描いているわけですが、社会的正義は一つの殺人を解決したぐらいで実現しないし、永遠に実現しそうにもない。だから、笑顔はありません。

私にとってこれほど「面白いドラマ」はないのに、「つまらない」という人もいる。

感じ方は様々だと、思う、というより驚いています。




アップグレードしたウインドウズ10の「再認証」は実は簡単。

2016年09月07日 | 日記
ウインドウズ7から10にアップグレードしたパソコンの「レジストリ」を間違って「いじって」しまいました。

そしてたらウインドウズアップグレードが「失敗するように」なってしまったのです。

しかもリフレッシュ機能も働きません。

で、再インストールということになったのですが、「認証はどうなるんだろう」という危惧がありました。

この「危惧」は実は「杞憂」でした。

ウインドウズ10を一度インストールしたHDDには「認証情報」が残っており、これはパーテーションを削除しようとなくならないのです。

もっともパーファクトな「フォーマット」なぞしてしまうと消えると思いますから、それは厳禁。「クイックフォーマット」なら、たぶん消えません。

私の場合、再インストールの際に「一度パーテーションを全部削除」しましたが、「認証情報」は消えませんでした。

要するに(自作PCの場合は)

1、ネットからマイクロソフトにつなぎ、ウインドウズ10のISOを持ってきて、DVDに焼く。

2、使っていたHDDに普通にインストールする。パーテーションの削除もできる。ただし、たぶん「完全なるフォーマット」は厳禁。クイックフォーマットはOK。

3、あ、ファイルはバックアップしておく。プレインストールアプリは分かりません。私の場合自作PCなのでプレインストールアプリは「ない」からです。

4、でネットにつなぐと、すでに認証が終わっている。

ということです。HDDそのものがクラッシュしないかぎり、再インストール(クリーンインストール)における認証は簡単というより、「しなくてもいい」のです。

HDDのクラッシュに備える場合は、クローンを作っておくか、システムイメージをバックアップしておくことです。一番安心なのはクローンを作っておくことです。

NCISは面白い。

2016年09月07日 | ドラマ
米国のドラマ「NCIS」を見てしまうと、日本の犯罪ドラマなぞとても見られなくなります。

よく米国NO1視聴率と言われています。「米国No1ドラマ」をうたうドラマは沢山ありますが、個人的には本当にNO1だと思います。

今シーズン13まで進んでいます。13年間やっているわけです。CSIは15で終わりですから、あと2シーズンで追いつきます。

主役のハーモン(ギブス)が現実社会において亡くなったりしない限り、きっといつまでも続くでしょう。

この方の出演料は「1作5000万円」だそうです。1シーズンではなく、一話につき5000万。そりゃ、日本のドラマが敵にならないのは当然です。

シーズン3から、たしか11までレギュラーだった「ジヴァ」が交代し、最初からシーズン13まで、ずっとレギュラーだった「ディノッソ」が13で勇退しました。

レギュラーは6人程度なので、ジヴァとディノッソの交代は「大事件」なんですが、それでも「ギブスが健在」なら、この作品は終わらないと思います。

思えば最初からのレギュラーはこれでギブス、アビー、ダッキーの三名です。マグギーも長いのですが、最初からではありません。

NCISは海軍所属の「連邦捜査局」で、米国でも無名だったようですが、ドラマのおかげで知名度はうなぎ上り、今は知らない人はあまりいないそうです。

もちろんフィクションです。シビアに考えれば、矛盾はいくらでもあります。例えば検視官(ダッキー)が一人だったり、科学捜査官が一人(アビー)だったり。

しかもその二人がギブスチーム専属だったり。他にもチームはあるようですが、出てこないので見かけ上はこの二人は「どうみても専属」です。ありえません。

でも「面白さ」は群を抜いています。

しかも米国賛美の要素、海軍賛美の要素は目立ちません。だって基本的には出てくる軍関係者は犯罪者ってことになるからです。「軍人がらみの犯罪」を調査する組織ですから。

どこが魅力なんだろ、と考えると、スケールの大きさかな、と思います。

でてくる犯罪は「人情がらみの個人的殺人」から「テロ」まで様々ですが、「国家レベルの犯罪」が出てきますから、おのずとスケールは大きくなるのです。

あと、ギブスの人間像、なんといっても魅力的です。徹底的に「冷徹」で、徹底的に「優しい」のです。

それと、最後は正義が貫かれる点も魅力です。

13シーズンを全部見ているわりには、バカみたいな感想ですが、シーズンが13まであると、そんなに簡単に魅力は語れないのです。

とにかく、NO1のドラマだと思います。願わくば、吹替がシーズンに追いついてほしい。13まであるのに、日本語になったのはやっとシーズン5までです。なぜなんだろ?