滝川一益。織田家の数少ない司令官でありながら、大河等ではあまり報われた描き方をされません。
「真田丸」では、段田安則さんが演じて、一定の存在感を持って描かれました。三谷さんの滝川一益への「愛着」のようなものを感じました。
織田家、本能寺段階では、方面司令官は数人しかいません。
・滝川一益
・羽柴秀吉
・明智光秀
・織田信忠
・織田信孝(丹羽長秀が補佐)
ぐらいです。滝川一益は「東国奉行」というかとにかく東国の方面司令官でした。秀吉に最後まで抵抗した北条氏も、この時は一益に屈服(信長に屈服)しています。
織田家の上洛段階から織田の司令官として登場します。もっとも上洛段階では信長も34歳ぐらい。一益も30歳ぐらいです。しかしかなり古い家臣と言えましょう。忍者だったってのは根拠がないようです。
ここから後の滝川一益の「戦歴」を並べていたらきりがありません。大きな戦いにはほぼ全て参加しています。
本能寺の変で没落、と思われがちですが、没落はしていません。賤ケ岳の戦い段階では、柴田権六勝家に味方し、最後は孤立無援になって、伊勢の城で秀吉に対抗します。天正11年、4月までには味方した柴田勝家も織田信孝も自害しますが、7月まで一益は抵抗しています。
その後、蟄居謹慎となって丹羽長秀に預けられます。
しかし小牧長久手の戦いには呼び戻され、秀吉方として調略等を行います。もっとも城をとったはいいが、最後は反攻され逃走します。嫡男の一忠は謹慎となりますが、戦後次男の一時には一万以上の領地が与えられています。一益自身も秀吉のお伽衆となり3千石です。
小牧長久手の戦いは、「引き分け」でしたから、戦前の約束は守られました。見方によって家康勝利ともなりますが、調べれば引き分けだと分かります。
一益はその数年後、天正14年に死亡します。本能寺の変から4年です。
一益の長男の一忠という人の長男が滝川三九郎です。特に有名な人ではありませんが、「真田太平記」では主要な登場人物として大活躍します。
「真田丸」では、段田安則さんが演じて、一定の存在感を持って描かれました。三谷さんの滝川一益への「愛着」のようなものを感じました。
織田家、本能寺段階では、方面司令官は数人しかいません。
・滝川一益
・羽柴秀吉
・明智光秀
・織田信忠
・織田信孝(丹羽長秀が補佐)
ぐらいです。滝川一益は「東国奉行」というかとにかく東国の方面司令官でした。秀吉に最後まで抵抗した北条氏も、この時は一益に屈服(信長に屈服)しています。
織田家の上洛段階から織田の司令官として登場します。もっとも上洛段階では信長も34歳ぐらい。一益も30歳ぐらいです。しかしかなり古い家臣と言えましょう。忍者だったってのは根拠がないようです。
ここから後の滝川一益の「戦歴」を並べていたらきりがありません。大きな戦いにはほぼ全て参加しています。
本能寺の変で没落、と思われがちですが、没落はしていません。賤ケ岳の戦い段階では、柴田権六勝家に味方し、最後は孤立無援になって、伊勢の城で秀吉に対抗します。天正11年、4月までには味方した柴田勝家も織田信孝も自害しますが、7月まで一益は抵抗しています。
その後、蟄居謹慎となって丹羽長秀に預けられます。
しかし小牧長久手の戦いには呼び戻され、秀吉方として調略等を行います。もっとも城をとったはいいが、最後は反攻され逃走します。嫡男の一忠は謹慎となりますが、戦後次男の一時には一万以上の領地が与えられています。一益自身も秀吉のお伽衆となり3千石です。
小牧長久手の戦いは、「引き分け」でしたから、戦前の約束は守られました。見方によって家康勝利ともなりますが、調べれば引き分けだと分かります。
一益はその数年後、天正14年に死亡します。本能寺の変から4年です。
一益の長男の一忠という人の長男が滝川三九郎です。特に有名な人ではありませんが、「真田太平記」では主要な登場人物として大活躍します。