散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

西郷どん・最終回・敬天愛人・感想・無難にまとめたが、やっぱりトンチンカン。

2018年12月16日 | 大河ドラマ
西郷どん 最終回 感想

1、まあ無難にまとめた感じ。ところどころ評価すべきシーンもあった。

ここまで馬鹿なエピソードと大嘘で固めてきた「西郷どん」でしたが、最終回はそれなりに「無難にまとめた感じ」がします。

☆史実にこだわる気はないけれど。

1、西郷を明るく死なせたかったらしいのだが。

「明るく死なせる」はNHKも広報していたと思います。主演の鈴木さんが言っていたのかな。
だから最期の突撃のシーンでも「笑っている」わけです。お祭り騒ぎ。念仏踊りかな。
まあ「死を前にしてちょっと頭が変になったのかな」とは感じました。

2、なぜか切腹しなかった。

史実では別府晋助の介錯で切腹しています。介錯の時の別府の「ごめんなさったもんし」という言葉も有名です。しかし切腹もなく、ただ撃たれて死んでました。
どうやら物語の最後に「もうここらで良かろうかい」と西郷に言わせたかったみたいです。
その為には「首と胴がつながってないと言えない」わけです。だからと言って切腹カットはないでしょう。回想的に切腹のシーンを最後に持ってくればいいだけの話です。

3、いないはずの川路が桐野を撃っていた。

子供みたいな顔をした俳優が演じている川路。城山段階でもいて、桐野を狙撃してました。いません。鹿児島県民への配慮から彼は鹿児島に行くことを禁じられていました。
川路は警察制度を作った男です。日本の近代化が彼にとっては「命をかける仕事」でした。「西郷への恩は個人的なものである。日本の近代化は公のものである」が彼の立場でした。
川路的人間と西郷的人間の関係を深く掘り下げていけば、日本の近代化とは何かを考えることもできるのですが、むろんそんなことこの脚本家やプロデューサーに求めても無駄な話です。


4、西郷従道はどんな立場で鹿児島にいたのか。

そもそもいないと思います。東京で陸軍卿代理ですから。でもまあドラマなので。一時的に許可が出たのだっけな。
でも西郷自刃(自刃しなかったけど)前に、「東京に帰ります」と言って帰ります。
ふらっと鹿児島に来て、ふらっと帰れるのでしょうか。軍隊はフレキシブルタイム制度だったのでしょうか。

5、桐野がやたらと人を斬っていた

桃太郎侍か。といえるほどに人を斬ってました。まあ、いいですけど。よく斬るなーと感じました。「おいは人斬り半次郎じゃ」って、幕末は人なんかほぼ斬ってません。正確には「人を斬りそうな半次郎」なのです。幕末、薩摩は最終段階まで佐幕的でしたから、薩摩人には人を斬る必要がそれほどありませんでした。そもそも半次郎は「誰を斬った」のでしょうか。赤松小三郎?私は浅学で、それ以外知りません。桐野は弱かったとかじゃないですよ。人なんか斬ってない、というだけの話です。薩摩人だもの。慶喜は明治になってから言います。「長州は最初から反幕府が明確であったから恨みも薄い。薩摩はずっと味方のふりをして、最後に裏切った。長州よりよほど恨めしい」。薩摩はずっと幕府寄りのふりをしていたわけで、新選組に狙われるなんてことも(たぶん)なかったのです。

6、結局大久保はなんで暗殺されたのか。大久保の未練の死と西郷の潔い死。

死のシーンにそれなりの「時間をかけたの」は評価できます。ただ「なんで暗殺されたのか」がちっとも分かりません。
さらに大久保は「まだ死ぬわけにはいかぬ」と言って死にます。史実としては周囲の警告を受け入れず、警備増強を拒否して「天命に任せた結果の死」です。
しかも西郷と違って、実際にやるべきことがまだ沢山ありました。
西郷みたいに「そもそも斉彬に殉死したかった」「明治後は廃藩置県の他特に何もしていない」人間とは違うわけです。
「ここいらでよか」と潔く死ぬ西郷の「引き立て役」になっているとしたら、恐ろしいほど悪意に満ちた、しかも歴史の浅い解釈に依拠した、くだらない台本です。

7、「総攻撃をしましょう」「西郷さんの恩を受けていない人間はいるか」

総攻撃をしようという司令官たちに対し、山県有朋が「西郷さんの恩を受けていない人間がいるか」と言ってました。
山縣は山城屋の件で大恩を受けています。
でも司令官たちの中には長州出身者も多いから「わたし、少しも受けてませんから」という人間も多くいたはずです。
そもそも「恩義を感じていないからこそ」、「早く総攻撃をしよう」という言葉が出てくるわけです。実際、薩摩人を除いて山縣ほどの恩は西郷に感じていなかったと思います。長州人などむしろ西郷が大嫌いだった人間も多いわけです。なにしろ長州にとっては「薩賊」の親方である西郷です。山県は長州ですが、実際西郷に助けてもらっているわけで別格です。まあせめて「あれだけ汚職を嘆いていた西郷が、何故山県の汚職を許したのか。許すだけでなく、地位も保全したのか」に触れるなら、多少面白くもなったでしょう。でもそんなこと「望むだけ損」というものです。

8、内務卿から「総攻撃命令」とか「西郷助命」とか、指揮系統はどうなっているのか。

そんな山縣に内務卿の大久保から「総攻撃命令」がきます。軍隊なのに、指揮系統はどうなっているのか。せめて「政府から」でありましょう。首相格であろうとなんであろうと、「軍隊の命令系統を犯す」なんてことしたら国家の土台が崩れます。まさに国家建設をしていた大久保が「内務卿の立場で軍隊への指示の」電信など打つわけありません。
大久保は政府そのものだったと言われます。しかし大久保は制度を建設しているわけです。その制度を度外視して「内務卿の名において」軍隊に命令するなんてありえないということです。
大久保の考えだとしても「内務卿として命令」なんかするわけないのです。
また大久保の方から頼まれてもないのに「降伏すれば西郷を助ける」とか。そして西郷は「甘いな大久保」とか言う。そして桐野が「西郷先生だけは生きてください」とか言う。なんだそれ。
全くの史実無視です。逆です。全く逆。そもそも西郷の助命を嘆願したのは薩摩軍の一部幹部です。桐野なんかは西郷助命に絶対反対でした。これは大嘘で都市伝説ですが、助命を受け入れようとした西郷を「桐野が殺した」という「伝説」もあるぐらいです。

西郷の死で大久保を号泣させ「大久保の評価を多少高めた」ことは認めますが、軍隊の指揮系統無視なんてこと、あの厳格な大久保がするわけない。脚本家はそれが「重罪」だと分かっていないと思います。「天子様、天子さま」と一部ネットユーザーに媚びを売ることが大好きなシナリオでしたが、まあ敬天愛人の「天」を「天皇だ」としなかっただけでも良しなのかな。前も書きましたが、桐野たちは天皇なんかより西郷を選んで、天皇から任命された地位を放り出して鹿児島に帰っているわけです。その「痛い経験」から、山縣有朋は「軍人勅諭」を作成します。さらにそれが、「統帥権の独立」という悪夢的制度につながり、昭和期に「政府、陸軍、海軍」がそれぞれ独立に権力を持つ国家を出現させます。

平均視聴率はワースト3位だったようです。でも面白いという人もいるのでしょう。ネットを見るとそういう意見もあります。ただ「翔ぶが如く」層をほぼ敵に回しましたから、こんなもんでしょう。ちなみに最近の視聴率トップは「篤姫」みたいですから、視聴率だけでドラマの質を判断するのはやはり危険です。

とまあ、最終回はやや無難にまとめた部分もあるものの、最後の最後まで「トンチンカンな脚本」でした。終わって良かったと思います。



滝川一益・北条氏政・足利義昭

2018年12月16日 | 戦国武将
滝川一益・北条氏政・足利義昭、、「大河ドラマにはよく出てくるけれども、絶対に主役にはなれない人々」です。むろんそういう人物は他にも大勢います。

北条氏政は大河「真田丸」においては「主役級の一人」でした。高嶋政伸さん演じる北条氏政は「煮ても焼いても食えないような」人物に設定され、またそれを高嶋さんは好演しました。「怪演」とも評されました。

北条氏政の「愚鈍さ」を表すエピソードであった「茶漬けの茶の量を調整できない」という逸話も、三谷氏によって解釈を変えられました。

氏政は登場時からずっと茶漬けを食っているわけです。「こうして少しづつ湯をかけながら、少しづつ(侵略していく)のがわしの流儀じゃ」と言いながら食います。家康や昌幸の説得も受け入れず「あくまで関白に抗して死を選ぶ」人物として、初めて北条氏政は「主役級」になりました。個人的には草刈さん演じる昌幸の次に魅力的な人物だと感じました。

それまでの氏政と言えば、小田原評定で「ただ困っているだけの太った人物」でした。

真田丸においては滝川一益もかなり「人間味をもって」描かれました。

織田家には方面司令官は数人しかいません。

・柴田勝家
・滝川一益
・羽柴秀吉
・明智光秀
・丹羽長秀

の5名ぐらいです。前田利家などは与力に過ぎません。これに加えて「織田家当主の織田信忠」「織田三七信孝」そして「織田信長自身」の計8名ぐらいです。

滝川一益が相当な人物であったことが分かります。

が、ドラマでは「関東で負けて清州会議にも遅れる。または出してもらえない」人物として描かれるのが常でした。ただし「真田太平記」では「相当な武将」として描かれています。

結局秀吉によって殺される、わけでもありません。本能寺の変より数年生き、62ぐらいで亡くなります。晩年は秀吉の外交係になり、3千石。子の一時は1万2千石を与えられています。滝川家は江戸幕府においては減俸されたものの旗本です。

足利義昭は京都追放後毛利を頼り、鞆幕府なるものを開いて色々やります。ところが秀吉政権下においては将軍職を辞職。秀吉のお伽衆となり1万石。さらに准三宮という名誉も与えられました。

北条氏政は切腹します。しかし滝川一益や足利義昭は没落したわけでもなく、結構幸福な晩年を送っているのです。

日本の最初の天皇・日本最初の統一者・豊臣秀吉

2018年12月16日 | 豊臣秀吉
日本の最初の天皇はいうまでもなく天武天皇です。

それ以前は「そもそも日本という国号がなかった」わけですし、「天皇号」もなかったわけです。言葉の厳密に意味において「日本」もなく「天皇」もいなかった。

どんなに古く見積もっても678年が日本の成立のようです。また天皇という言葉の使用もどんなに古く見積もっても678年のようです。

だから日本の最初の天皇は天武です。「倭」のことは今は問題にしていません。「日本」の話をしています。

そもそも有史以来、日本は豊臣秀吉の登場まで「一回として統一されたことはない」とも言えます。これは土地所有について言っています。

673年頃、倭に天武帝が現れ、国号を日本に変え、律令国家のような形態を目指します。が、743年には「墾田永年私財法」ができます。

これは画期的な法令で、おそらく一回も実現しなかった公地公民制が、既にこの段階で公式に崩れます。

そして日本は荘園制へと向かっていきます。というか、そもそも地方には豪族がいて私的土地所有を行っていたわけで、これも荘園のようなものと考えるなら、ずっと荘園があって、墾田永年私財法はその現実をただ「追認しただけ」とも言えます。そして荘園制は平安時代にどんどんと発展していきます。

それから鎌倉幕府が出現したりしますが、日本はずっと荘園制国家です。鎌倉幕府というのは荘園の権利を認めたり、荘園に地頭をまあ「むりやり」置いたりする機関です。その機能は治天の君も持っていましたので、とにかく鎌倉時代と言うのは「中央集権」とはほど遠い政権でした。

足利幕府はさらに中央集権力が薄く、あの時「元寇」があったなら、どうやって戦っていたのだろうと思います。

日本の政権と言うのは、「土地が誰のものか」を承認する機関でした。

この荘園制は徐々に崩れていきますが、最終的には豊臣秀吉の統一を持ってほぼ完全に崩れます。豊臣秀吉には何の「先例」もありませんでした。有史以来、初めて日本を統一したわけです。

さらに江戸幕府は荘園制や個人の大土地所有を制限し、大名小名らにのみそれを認めます。しかも転封があります。大名の家来が土地を持つことも徐々になくなり、家臣たちは給料(米)をもらって生活するようになります。

ただし近代国家ではないので、「藩の政治」には幕府は基本不介入です。

荘園制が理解できないと、地頭の意味も理解できません。「治天の君」の意味も理解できません。南北朝の騒乱も理解できません。鎌倉地頭などというのは「荘園の管理人」です。「荘園領主」はまた他にいるわけです。鎌倉幕府には土地を取り上げる力もその気持ちもなく、ただ「管理人を押し付けた」わけです。

日本において個人の大土地所有がほぼなくなるのは、マッカーサーの改革以降です。ある意味荘園制は1945年まで「続いていた」のかも知れません。日本は「負けたからいい」ものの、戦勝国には「大土地所有制が残存」し、色々不都合がでているようです。

豊臣秀吉を「おそらく有史以来初めて日本を統一した人間」ととらえるなら、彼の貧弱な政治形態も「そりゃ最初だから仕方ない」と同情を持ってみることも可能になります。

善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや、、、の思い出

2018年12月15日 | 哲学
高校では「倫理社会」が一番好きでした、「倫理」とは道徳ではなく、実質的な内容としては「哲学と宗教」です。だから「哲学・宗教・社会」ということです。ギリシャ哲学とか仏教とかを教わります。

親鸞の歎異抄について知ったのも、この授業においてです。逆に言うなら、高校3年になるまで私は親鸞という人間をほぼ何も知りませんでした。

「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」、恩師の岡野先生は素晴らしく博識な方で、高校生向きの参考書なども出しておられました。「その参考書のみ」、今でも持っており、今私の膝の上にあります。

高校の時の記憶ではこう説明なさったと思います。「自分は善人だと思っている人間すら往生は遂げられる。まして自分を悪人だと思っている人間はなおさらである。」

ひどく興味深い内容だったので、高校生のバカな私は、バカなりに色々考えました。

そして、なんだか「無知の知」みたいだなと「ずっと」思っていました。ところが今日参考書を詳しく読むと、微妙に違っています。

「人間はどんなに努力をしても、しょせんは煩悩具足の凡夫であって、善人とはむしろ自覚の足りない人のことです」。なるほどと改めて思いました。

司馬さんに「浄土」という短文があります(以下無用のことながら所収)。司馬さんの解釈が載っています。

岡野先生の解釈に似ていますが、また微妙に違います。

「解脱できる人を善人と言っている」が前提で「親鸞はそんな人は絶無かめったにないと思っている。いくら学問があり、精神力があっても、解脱できる人間というのは、これは一千万人に一人です」

つまり人間はほぼ全て悪人である。そんな悪人でも往生はできる。それが司馬さんの解釈です。

司馬さんはもう一歩踏み込んで、善人、悪人というのは「倫理の問題じゃない」のだ。と言います。

ではなんで「倫理の問題」になってしまうのか。それはクリスチャンでもないのに、キリスト教的倫理意識をもって、というより西洋概念をもって物を見るからだ。悪人とはつまりは「普通の人」という意味だと書いています。

以下は余計な文章です。

大学時代、夏目漱石の「門」という「地味な小説」について考えたことがあります。素直によめば「門」が禅と深く関係する小説であることは高校生でも分かると思います。ところが私はずっと「門」とは「天国の門」だと思っていたのです。たしかに読んでいたはずなのに、「西洋概念で読もうとするから」、頭に霧がかかって全然読めていないのです。たしかに読んでいるのに、禅のことなんかちっとも考えられないのです。「先入観」とか「思い込み」、やや正確に書くと「なんでも西洋概念でとらえようとする囚われ」というのは、実に恐ろしいものだと思います。

さらに余計なことを書くなら、私は別に親鸞が偉大な思想家だとは思っていません。宗教とは哲学ではなく、もっとシンプルなものだというが今の私の考えです。「悟り」というのは単純に「心の平安」であると思います。なかなか得られないものです。「心の平安」が得られるなら、それがつまりは信心であって、キリスト教でもイスラム教でも仏教でもかまわない。誤解を恐れずに書くなら「金銭で心の平安が得られる」ならそれもまた「悟り」です。まあこれは非常に誤解を呼ぶ書き方ではありますが。

つまりは「心の平安」=悟りを得られるならいいわけで、「方法」は「極端に違法なもの」でなければ(覚せい剤とか、暴行とか)、基本なんでもいいのだ、と思います。少しラディカル(過激)に書くなら覚せい剤で心の平安を得ても悟りである、と書いてもいいのですが、永続性がないので、やはりそれは悟りとは言えないように思います。

小室哲哉さんを「是非に及ばす」応援したい気分

2018年12月15日 | 日記
この3か月ぐらい、どうも「歌詞のある音楽」を聴く気になれなくて、車では「語りもの」とか「ドラマの音声のみ」とかを聴いていたのですが、今日は久々に「歌詞のある音楽」を聴きました。

本当に久々に「マイレボリューション」を聴き、小室サウンドはやはりいいなと感じました。「是非に及ばす」応援したいと思います。「是非に及ばず」は信長最期の言葉です。私は「あの光秀が計画を立てて謀反した以上、逃げることはできまい。もはや善悪を言っていても仕方がない」という古くからの解釈を「だんぜん支持」します。

小室哲哉さんに「是非」があることは知っています。ただもはや是非を言う必要はないと感じます。

私は介護の言葉では言い尽くせない厳しさをよく知っているので「ケイコさんを介護していなければいいな」と思って、調べてみました。今はケイコさんは大分の自宅で介護を受けているようです。つまり小室さんは介護していない。それはそれで家族としては罪悪感があって辛いのですが、それでも「共倒れ」になるよりはましです。

小室さんの引退会見で、一番心に残ったのは「もはやこれまで」という言葉です。彼自身がウィルス性肝炎だったと思います。自分が病気を抱えて介護するというのは自殺行為で、彼が「もはやこれまで」と思った気持ちはよく理解できます。

「大人の女性と話がしたかった」とも言いました。彼ほどの人物の周りに「そういう大人の女性」がいないということにも驚きましたが、やはり心に残ったのは「もはやこれまで」という言葉です。

復活してほしいとか、元気になってほしいとは思いません。無理なことは無理なのです。

ただ思うことは「肝炎なら病気を治してほしい」ということです。病気は心をむしばみます。病気を治せば、「もはやこれまで」という気持ちが、「まだほんの少しはやれるかも知れない」という気持ちに変わるのでは、と思います。

とにかく、是非に及ばす、応援したい人の一人です。


「西郷どん」 「西南戦争」の「あらすじ」と感想と願い

2018年12月10日 | 歴史
西郷は武装決起します。村田新八らは「海路東京を襲撃する」ことを主張しますが、桐野ら参謀は「政府に尋問の筋これあり」が西郷軍の大義であり、堂々と熊本城の鎮台兵を叩くことを主張します。西郷は「尋問の筋あり」などと言うのは「戦の大義に過ぎず、実質は反政府武装蜂起である、戦は言葉遊びでやるものではない。殺し合いである。」と「心では思う」ものの、「すでの自分の体は預けた」という考えのもと、何も言いません。

桐野は「竹の棒一本あれば熊本城など叩きつぶせる」と後世に残る「名言」「迷言」をはきます。そして熊本鎮台の「谷干城」に対し、「西郷大将が行くから、お出迎えをしろ」という手紙を書きます。むろん谷干城は「激怒」します。「西郷はどこまで増長しているのか。大将などというのは位に過ぎず、軍隊の指揮命令系統とは何の関係もない」と正論を吐きます。

熊本鎮台の火力の前に西郷軍は城にとりつくこともできません。それでも桐野は「鎮台は本気でやる気だな。元気があってなかなかいい」と虚勢を張ります。しかしあえなく撤退し、西郷の神通力など一部薩摩士族にしか通用しないことを痛感します。

やがて舞台は熊本城の北方「田原坂」に。政府鎮台兵は薩摩の「抜刀隊」を恐れます。しかし川路が薩摩郷士からなる「警視隊」を投入すると、勝負は互角になり、やがて「火力に勝る」政府軍が西郷軍を圧倒していきます。政府に尋問などという「言葉遊び」は何の意味もなく、西郷軍は薩摩へ薩摩へと追い詰められていきます。

総司令官的な地位にあった山縣有朋はそれでも西郷軍を恐れ、「鎮台は薩摩士族の敵ではないのか」と悲観的な意見を述べます。副司令官的地位にいた大山巌は「薩摩の戦いは、昔から勇猛である。しかし勇猛であるあまり、補給を軽んじ、後方をかえりみない。今鹿児島はカラになっている。そこをつくべきだ。田原坂の薩摩軍に対しては撃って撃って撃ちまくる。火力では政府が圧倒的優位に立っている。撃って撃って撃ちまくれば、勝利は必ず政府軍がつかむ」と山縣を諭します。

山縣有朋は言います。「思えば、村田先生(大村益次郎)は九州に備えて火力を増強せよと長州の山田に言い残して死んだ。薩摩人である君の前で言うのもなんだが、殺したのは薩摩人であり久光公側近の有村俊斎である。それから8年が経つ。村田先生は明治2年に死んだが、時を経て、今、薩摩の西郷さんと刺し違えようとしている。村田先生はまさに鬼謀の人であった」

そんな中、桂小五郎が結核でなくなる。亡くなる前「西郷君、もう分かった、もういい加減にせんか」と声を絞りだすようにして言います。

西郷軍に物質的な支援をしていた県令(知事)の大山は、カラになった鹿児島をついた政府軍によって囚われの身となります。そしてやがて東京で大久保と対面。

大山は言います。
「今度はおいたちも薩摩の怒りを抑えられなかった。しかし自分は久光公に対しても、西郷さーに対しても自分の役割は果たした。政府の方針を無視し、内務卿である一蔵(大久保)を散々苦しめたが、それがおいの戦いであった。一蔵どん、薩摩人の死を無駄にするな。おいたちの死を乗り越えて一蔵どんも自分の役割を果たせ。」
そして肩を強く握りしめてこう言います。
「役割を果たして、一蔵どんも早く楽になれ」

すでに自分が遠からず殺されるであろうことを予想していた大久保は黙ってうなずき、こう言います。
「自分と大山さーのことは、そして自分と西郷さーのことは、決して他の人には分からないでしょう。」
大山は「頑張れ」というように大久保を見つめます。

大山巌が西郷糸を訪ねます。大山巌は西郷隆盛、従道とは「いとこ」の関係でした。薩摩には警視隊の薩摩郷士を多く殺した西郷家を恨む声もあり、糸たちを保護することが大山巌の目的でもあり、西郷従道の願いでもありました。糸は言います。「保護は受けません。大将の妻として死んだ人たちの恨みは甘んじて受けるつもりです。うちの人や新八さーは、血気にはやるニセどんたちを必死になって抑えようとしてきました。その思いは、東京にいる慎吾どんも弥助さー(大山巌)も同じだったはずです。慎吾どん、弥助さーは政府の大官でありながら、何故この戦争を止められなかったのですか。大久保さーは、何を考えていたのです。」
大山巌は黙ってうなづき、子供たちの為の物品だけを置き、兵士たちに遠巻きに警護を行うよう指示して、西郷家を去ります。

一方島津久光のもとには勅使として柳原前光が派遣されていました。久光の上京をうながすためです。久光は中立を表明し、東京には忠義ら息子を行かせると言います。その上で、今までと同じ政府批判を行い、西郷暗殺計画についても触れます。柳原は毅然として言います。「維新では長州人がもっとも多く死にました。しかし今山口の県令は元幕臣の関口であり、山口県は何の特権も得ていない。なぜ鹿児島だけを特別に扱わなくてはいけないのか。大久保卿は長州の木戸さんに絶えず責められておりました。久光公、西郷さんはやがて戦死なさるでしょう。多くの薩摩武士も死にます。久光公は維新において大きな功績がありました。だから今後も政府は久光公だけは守ります。しかし鹿児島を今後特別扱いすることなどできません。時代は移っていくのです。もはや殿様などは無用の特権と思し召して、余生を風雅の中に送っていただきたく存じます」

そして西郷軍は敗退に敗退を重ねます。義軍を率いて熊本から参加していた宮崎八郎は「薩摩は勇猛と聞いていたが、ここまで近代戦を知らないとは思ってもみなかった」という言葉を残し、戦死します。西郷の末弟である西郷小兵衛も戦死します。

そんななか、転々と各地をさまよう西郷軍より「西郷助命の嘆願」が山縣に届きます。戦は自分たちが西郷をかついで起こしたにすぎず、国家のため西郷だけは殺さないで欲しいという内容でした。

「どうなさいますか、西郷を殺し、その首を江藤のようにさらしますか」と言う大山巌に対して、山縣有朋は半ば怒り、そして悲し気に言います。「自分は山城屋の件では西郷さんに生涯忘れてはならない恩を受けている。助けられるものなら私だって助けたい。西郷さんの死を悲しむ者は、君や大久保卿や西郷従道君だけではない。しかし、ここまで人が死んだ以上、助命はもはや無理である。自分は西郷さんを無残に殺したくはない。今となっては西郷さんに自刃してもらうほかない。それを願っている。」

西郷軍は人吉に移り、やがて宮崎、延岡そして長井村へと根拠を転々と移しながらさまよいます。その間、桐野たちは兵隊を強制徴用したり、「西郷札」という「空手形」を発行することにより、いわば民衆を騙して物資を補給します。このように桐野らが散々民衆を苦しめるのを見た西郷は「西郷軍解散」を決心します。そして今後は残った少数に対し、自分が指揮をとることを宣言します。すでに死を覚悟していました。西郷にとって問題なのは、いかに長井村から脱出し、薩摩に戻り、そして薩摩において死ぬか、もうそれだけでした。「自分が死んでも東京に大久保ある限り、日本は大丈夫である」、西郷は村田新八に対し静かにそう言います。「それにしても鎮台兵は強くなりました。これで外国との戦争も大丈夫ごわすな」、村田新八は微笑みながらそう言います。西郷も満面の笑みでそれに大きくうなづきます。「自分は後方では死なん。我がふるさと薩摩に戻り、そこで政府軍を迎えうち前線に於いて死す。さあ、行こかい」、西郷は立ち上がります。

やがて薩摩の城山に籠った少数の西郷軍を、膨大な数の政府軍が取り囲みます。西郷は最後の突撃を試み、2発の弾丸を受けます。「ここらで良かろうかい」、西郷はそう言い残して別府晋助の介錯で自刃します。桐野らは塹壕の上で政府軍に身をさらして、鉄砲を撃ち続けます。左右から政府の抜刀隊が桐野を狙いますが、桐野は立ちどころに相手を切り殺します。しかし政府の弾丸が桐野のひたいを撃ち抜きます。残った者たちも次々に自刃します。西郷軍の壊滅を見届けた村田新八も自刃します。最期の言葉は「ああ天命なり」でした。

賊魁(ぞくかい)西郷死すの電信を大久保は受け取ります。大久保は涙を流し、心の中で自分に向かってこう考えます。
「後世、自分は英雄西郷を殺した男とされるだろう。そして人々に恨まれるに違いない。それは良い。しかし、自分と西郷さーの関係は、どんなに言葉を尽くそうと、後世の人間には決して理解できないだろう」

以上。

もちろんこれは「西郷どん」の「あらすじ」ではありません。「こう描くべきだ」という私の「願い」みたいなものです。「翔ぶが如く」のセリフも拝借しています。しかし実際は全く違うことが描かれました。無駄なエピソードばかりで、西南戦争の推移も全く描けていません。西郷軍の敗因すら分からない脚本で、残念な限りです。「ここらで良かろうかい」と西田さんは言いますが、「いいわけないだろ」と思います。

ツービートの破壊力、ぼんち、のりおよしお、の衝撃 M1グランプリ

2018年12月10日 | 日記
今のマンザイは「いろいろ制約がある」ように思います。「差別」「ハラスメント」「スポンサーいじり」「番組いじり」、そういったものができないわけで、そういう制約のもとで「破壊力」を求めるのはかわいそうかと思います。

「差別をしろ」とは言いません。「差別というより」、こんな感じのやりとり。

たけし「こいつは山形出身ですから」
きよし「いいじゃないか、いいところだぞ」
たけし「山形では、こいつのおじいさんの代ぐらいでやっと二足歩行をはじめたんですから」
きよし「やめなさい」
たけし「お父さんの代でも土器と石器を使っていたんですよ。こいつなんかいまだに紅茶キノコ飲んでるんですから」
きよし「よしなさいよ」

まあ「こんな感じの」やりとりをしていたと思います。それを聞いて客もゲラゲラ笑っていた。今ならすぐに苦情でありましょう。

さらにスポンサーにもコマーシャルにも「容赦がありません」でした。

たけし「なんだあの山口百恵のチョコレートのCMは。親しい人へのおもてなしとか言いやがって。おもてなしにチョコレートなんか出す馬鹿どこにいるんだ」
きよし「やめなさいよ」

たけし「CMなんてウソばっかりですからね。あの洗剤のCM。全温度チアーって何だ。ほら真っ白って。最初から汚れてないシャツ洗っているだけじゃねーか」
きよし「よしなさい」

これなんかは「スポンサーの理解」があれば今でもできると思いますが、それでも「不快に思う人」がいるのでしょう。「やりにくい」と思います。

ツービートの「破壊力」は群を抜いていました。紳助竜助というのは「意外と正統派に近い漫才」でした。「のりお」も「おさむちゃん」も凄かった。馬鹿なことやっているだけでしたが、とにかくしつこく「馬鹿をやって」いました。「おさむちゃんです」と言うことだけに20分ぐらいかけていた。「のりお」の「ホーホケキョ」とか「ツッタカ坊や」「冗談はよせ」とか、「何やってるかよくわからない」という点で衝撃でした。

漫才ブームの「漫才」は「あの当時」だからできたもので、今はできるとは思いません。ただし「おさむちゃんですに20分」は一応今でも可能でしょう。

M1グランプリは「なんとなく見た」だけですが、ほぼ「くすりとも笑えない」ものでした。彼らが悪いわけではない。上記のような「破壊力をもった漫才」つまりは「ナンセンス」で育った私は、今の漫才を笑う「感性」がないのです。ナンセンスがなく、優等生の漫才です。全てのグループが「古典芸」をやっているようでした。「おれ〇〇やるから、お前は〇〇やれ」。漫才ブームの頃、こんな古典芸をやっているのは「やすしきよし」ぐらいでした。

少し毒舌を吐きます。

多くの漫才師が「意味なくうるさい」、「ミキ」とかうるさい、「霜降り明星」もうるさい。「和牛」は「ただお上手なだけ」。

少し笑ったのは「かまいたちの客いじり」とジャルジャルの「ナンセンス芸」だけです。そして一番面白かったのは「審査員のナイツのはなわ」です。ただし「なんとなく見た」だけの人間の意見です。

根拠は書きませんが、審査員としては上沼恵美子も松本人志も巨人も志らくも礼二も「要らない」と思いました。「富澤」と「塙」の二人でやればいいと思います。これも単なる個人の意見に過ぎません。あなたも「そう思え」と言う気はさらさらありません。ちなみに「とろサーモン久保田」は上記の審査員以上に「苦手」です。M1グランプリは「とっとと和牛とミキを優勝させて」、「それで終わり」でいいかと思います。

京都五山と禅宗についての覚書

2018年12月08日 | 歴史
「京都五山」という言葉はよく聞きますが、別に「山の名前」ではありません。室町幕府の庇護を受けた「6つの寺」のことです。ややこしい。5山なのに6つです。

「三好三人衆」という言葉もよく聞きますが、これは3人です。でも何故か個人名で呼ばれず「三好三人衆」と言われます。個人名としては三好長逸(みよしながやす)、三好政康(みよしまさやす)、岩成友通(いわなりともみち)。これもやや「ややこしい」。岩成は三好姓ではありません。

さて京都五山。「位」がつけられています。

別格が南禅寺、第1位が天龍寺、第2位が相国寺、第3位が建仁寺、第4位が東福寺、第5位が万寿寺。

この内、2位の相国寺は室町初期は五山ではなく、存在もしていません。なぜなら三代将軍足利義満が作った寺で、義満の圧倒的な政治力のもとに「五山の仲間入り」をしたからです。

そうすると元々の5寺に加えて全部で6寺になります。それでも「京都六山」とはなりませんでした。南禅寺を「別格」とすることで、「つじつま合わせ」をしたようです。でもやっぱり「6寺」あるので、「辻褄合わせにもなっていない」感じはあります。

さてさて禅宗。

難しい言葉は抜きにして、大雑把に言えば、「断捨離」とか「シンプルライフ」を主張?する教えで、いかにも仏教的です。

一切皆苦→諸行無常→涅槃寂静。これも大雑把ですが、諸行無常を正しく捉え、やがて涅槃寂静の悟りの境地に至る、これが私の捉える「仏教のそもそもの姿」です。もちろん上座部仏教(小乗仏教)です。

個人救済と修行(座禅)の重視を特徴としている点で、禅宗は「初期仏教の流れ」かと思います。もっとも禅宗にも、いろいろな流れがあるようで、大乗的な考えをする宗派はあるようです。

そもそも私としては「大乗仏教か」「上座部仏教か」という点にはあまり興味がありません。「人間個人の救い」を問題としているか「鎮護国家を問題としているか」が多少問題のように思えます。もっとも「鎮護国家を問題として」いても、結局はそれが「人々の救済」につながるわけですが、それでも一つの指標にはなると思います。ただ例えば、空海の密教は明確に鎮護国家を問題としていましたが、それでも人間個人の救済を問題としていなかったわけではありません。学問的には難しい問題ですが、別に学問をする気はないので、まあ区別などは「いい加減」でいいのではと思います。

仏教というのは、これもまあ大雑把ですが「いかにして悟るか」を説く宗教です。「悟りへの方法の違い」があるだけです。「いかにして心の平安を得るか」が問題なわけです。

キリストを信じて、キリスト教の仲間と交わることによって「平安を得られる」なら、それは悟りです。イスラム教を信じて平安を得られるなら、それも「悟り」です。

浄土衆の場合は念仏を唱えて浄土を信じることで「平安を得よう」とします。日蓮宗はまあ攻撃的で、なんとなく平安とはほど遠い感じもしますが、「まず社会を平安にし、そのもとで個人が平安を得る」という「宗教であろうか」と思います。日蓮宗について調べたことがあまりないので自信はありません。

さて禅宗の場合は、「捨てる」ことによって平安を得ようとします。

妄想を捨てる、、過去や未来について想像し、心を乱すことなかれ。
情報を捨てる、、「知識」によって心を乱すことなかれ。

総じていうなら「心配事で心を乱すなかれ」という宗教のように思います。その一助となるのが「捨てる」という動作です。

と「わかったようなこと」を書いていますが、もちろん私は専門家ではないので、「なまカジリの知識」です。ただし仏教的に書くならば「専門家かそうでないのか」にこだわることもまた「無明」であり、そんな「権威」は所詮は「虚仮」に過ぎません。

100回でも見直したい大河ドラマ・もう二度と見たくない大河ドラマ

2018年12月03日 | 大河ドラマ
大河ドラマファンは「おもしろくても、おもしろくなくても」大河を見る。そういう人間が多いようです。私もその一人です。

もう二度とみたくもない大河ドラマ(これは嫌いな順です)

(私は男女差別論者ではないのですが、やはり女性主人公大河は苦手です)
1、「お江」、、、地獄です。見直すのは拷問です。
1、同率1位「西郷どん」、、、地獄です。男性主人公の中では最悪最低な作品です。
2、「篤姫」、、、視聴率は高かったようです。私はこの作品、ダメです。
3、「花燃ゆ」、、特に印象もなく、記憶も薄く。
4、「新選組」、、人殺し集団のお話です。
5、「義経」、、、つまらない。ただし女性たちの着物は綺麗だった。
6、「利家とまつ」、、見ている時は面白くも感じました。ただ録画を見直したことはありません。トレンディ大河です。
7、「春日局」、、先日見直してみたのです。「おしん」と同じ構造を持っています。「不幸の連続攻撃」です。見ていて気持ちが落ち込みます。
8、「秀吉」、、、見直したことはあります。キャストが嫌いです。
9、「龍馬伝」、、画面は汚いし、面白くありません。
10、「平清盛」、、設定が気持ち悪い。

100回でも見直したい大河(こっちは順番に特に意味はありません)

1、「真田太平記」、、実は大河じゃありません。「NHK新大型時代劇」です。幸村が草刈さん、昌幸が丹波さん。素晴らしい作品です。特に女忍び「お江」がいい。
2、「草燃える」、、、永井路子さん原作です。実は全話残ってはいます。ただしNHKが家庭の録画を集めまくって、なんとか「復元」しました。北条義時が最高です。
3、「国盗り物語」、、大河最高峰です。ただし総集編しか残っていません。NHKが重ね録画をして、「消去」したのです。文化破壊です。
4、「新平家物語」、、仲代達矢さんが清盛です。総集編しか残っていません。
5、「翔ぶが如く」、、1990年以降の大河では最高峰です。
6、「真田丸の前半部分」、、家康の上洛前はまでは素敵な作品です。
7、「功名が辻」、、、ちょっと古臭い作風ですが、そこそこいい大河です。
8、「花神」、、、幕末もの最高峰です。総集編しか残っていません。
9、「花の乱」、、、唯一「まともに戦国以外の室町時代を描いた」作品です。
10、「北条時宗」、、悪い作品じゃないのだが、主役がその後残念な感じになってしまいました。
11、「毛利元就」、、、中国地方のことは知らないので、勉強になります。
12、「信長」、、、面白いのだが、役者のセリフ回しが全員同じ。
13、「太平記」、、、足利幕府の初期を描いた唯一の作品。面白い。
14、「風と雲と虹と」、、「最も古い時代」を描いた大河。キャストが素晴らしい。
15、「徳川家康」、、、ここまでウソにウソを重ねてくれると逆に面白い。
16、「黄金の日々」、、懐かしさで泣きそうになる。

そこそこ良い、悪くはない大河

1、「天地人」、、、結局誰が「天と地と人」に恵まれたのかが分からない作品
2、「八重の桜」、、会津ものはちょっと苦手かな。
3、「軍師官兵衛」、、いいシーンもあります。でも結局は秀吉の関白に至るまでの功績は、本当は全て官兵衛の功績であるというドラマです。
4、「風林火山」、、もう少し頑張りましょう。
5、「葵 徳川三代」、、キャストがよくない。
6、「武田信玄」、、、暗い。ただい勘九郎の今川義元はよい。
7、「八代将軍吉宗」、、「見せ場」がない。

その他の作品、、、可もなし。不可もなし。「おんな城主直虎」とか。悪い作品じゃないが、特に見直したいとも思えません。


西郷どん 45回 西郷立つ 感想  翔ぶが如くとの比較

2018年12月03日 | ドラマ
西郷どん 45回  西郷立つ  大河「翔ぶが如く」と比較しながら書いてみようと思います。

大まとめの感想としては「史実通りに描く必要はない。ウソも許される。しかしもっとリアリティのあるウソをついてくれ。あれ史実なのかな?と思わせるようなウソをついてほしい。見た瞬間に、ありえないだろ!と思うようなウソはやめてほしい。時代劇だから嘘も許される。しかしそれに甘えてはいけない。史実を踏まえてウソをつくとか、もっとうまくやってくれ。何が重要で、何が重要でないのか。ついていいウソとダメなウソの境界線はどこか。最低限、それぐらいは考えてほしい。あと若僧に明治国家の大官を演じさせるのはやめてくれ。」となります。

1、西郷は家にはいない。

西郷どん、では、西郷は家にいて家族を大切にしています。でも家にはいなかったはずです。吉田村にいたと思います。鹿児島中心部(都市)にいると、暴発士族に「かつぎだされる」心配がありましたから、いません。だからあんな風に家族と幸福な日々を過ごしたりはしていません。

2、廃刀令

廃刀令に関して桐野が大山に「食ってかかって」ました。明治9年に刀を差していたのでしょうか。「るろうに剣心」じゃあるまいし。

大河「翔ぶが如く」では、、、もちろん桐野たちは刀など差していません。「すでに刀なぞ差してはおらんぞ」というわけで、「いまさら廃刀令もないもんだろ」という感じで受け流します。
明治9年ですからね。刀なぞ普通の生活においては差していないでしょう。村田新八なのかな。誰が誰か分からないけれど、洋装で刀二本を差している人物もいて笑えました。
そりゃ西南戦争の「戦時においては」、差していたかもしれません。日常の生活を送っているのに、明治9年か10年段階で洋装二本差しって。いたとしても「ちょっと痛い人」扱いでしょう。

3、密偵「中原」を拷問したことで西郷どんは怒り爆発「これは国家への反逆じゃ」

なんで一人の薩摩人を拷問すると「国家反逆」なのか。中原はポリスとして活動していたわけもないないし、1人の薩摩人をいじめたぐらいで国家反逆罪にはなりません。

翔ぶが如くでは、史実通り、西南戦争の直接のきっかけは、薩摩私学校生徒が、政府の「弾薬撤去」に抵抗し、「弾薬掠奪事件」を起こしてしまったから、となっています。弾薬掠奪事件は明らかな国家反逆です。国家反逆を行った私学校生徒を、政府に渡すことができなかったため「やむなく立った」とされています。

西郷どんでは、密偵事件→弾薬掠奪事件となっています。これは逆です。時系列でいえば、弾薬掠奪事件が先にあり、その後密偵の摘発が行われます。西南戦争のきっかけは、私学校生徒が起こした国家反逆事件である弾薬掠奪事件なのです。戦争の大義を得るため「西郷暗殺計画を作り上げた」という説もあります。「シサツ」が「刺殺」なのか「視察」なのかも、この作品に限ってはもうどうでもいい気がします。真面目に考えることを「放棄させる」力をもった作品。それが「西郷どん」です。ウソばっかりです。

4、桐野や村田新八は何をしていたのか。

薩摩の不満士族を「私学校」という集団に属させ、暴発を防ごうとしていました。しかし彼らは農民生活をしており、普段は鹿児島中心部(都市)にはいません。桐野があんな風にギャーギャー騒ぐドラマを初めて見ました。ウソが多すぎて泉下で桐野も泣いています。

5、大久保はどう対応したか。

それにしても瑛太の大久保の「威厳のなさ」「小者感」はどうにかならないものか。

西郷どんでも翔ぶが如くでも「薩摩に行って西郷に会う」と言います。しかし周りにとめられます。西郷どんでは「止められておわり」です。

「翔ぶが如く」では大久保はこう言います。

「自分が何のために鹿児島に行って殺されたのか。西郷も大久保が死にに来たと分かってくれるはずだ。そうすれば私学校から離れて、脱出するか(または死んでくれる)に違いない」

6、桐野が大久保を「大久保」と西郷の前で呼び捨てにしていた。

ありえません。先輩です。それこそ「西郷激怒」です。陰でならともかく、西郷の前で、そして人々の前で、大先輩である大久保を呼び捨てにするわけがありません。「大久保さー」です。

「桐野、年かさの一蔵どんを呼び捨てにすっとはなんごとか!いつからお前はそんなに偉くなった。二度と許さんぞ」と西郷は叱るはずです。



翔ぶが如くを見た人間からすると、「西郷どん」は漫画に毛がはえた程度の作品です。どうしても悪口が多くなります。

西郷どんの主役は最初堤真一に依頼がきました。が彼は断りました。(一応、子供が生まれるからとかいう理由が取り沙汰されています)

でも「出たくなかった」のだと思います。

ある程度シナリオができていて、どんな作品かも分かり、だから断ったと思います。堤真一は大河「翔ぶが如く」後半で重要な役を演じています。彼にしてみたら、翔ぶが如くというA級の大河で準主役を演じた自分が、どうしてこんなC級の大河で主役をしないといけないかと思えたことでしょう。

西田さんや鹿賀丈史さんは「翔ぶが如く」では主役そのものでした。彼らの「西郷どん」への出演は「NHKに拝みたおされて、仕方なく」というところだったと思います。

映画「関ヶ原」再考 「石田三成は十分に成功した」はずなのに。

2018年12月03日 | ドラマ
小説を映画にしても、「小説を上回る」ことは少なく、どうしてもみたいわけでもなかったのですが、レンタル料も安くなってきたのでやっと「関ヶ原」をツタヤで借りて見てみました。

いきなり淀とか寧々が「変な殿上眉」(ひたいに眉を書く、貴族風の眉)をしていて、「キモチわる」と思いました。映画「清州会議」も同じでしたが、見る者にわざと違和感を感じさせるため、そういう「悪意」をもって、こんなことをしているのでしょうか。

たぶん「リアリティ」の追求なんでしょうが、空回りしています。後半は全部戦闘シーンなんですが、ここでも足軽が槍で「叩きあって」いました。槍は本来「突く」ものではなく「叩くもの」という説を採用したんでしょう。当然のことながら戦闘シーンは美しくなくなり、泥くさくなります。運動会の棒倒しのように、わいわい集まって騒いでいる感じです。それとやたらと大砲の砲弾が「爆発」している。リアリティを追求するならあれはない。当時の弾は「爆裂弾」ではなく「金属のかたまり」です。着弾しても「爆発はしない」のです。

その他「人買い」のシーンを登場させたり、つまり「戦国本当はこうだった」的な描き方をするわけですが、一方で「忍者」を登場させたりもしています。リアリティを追求したいのか、それともしたくないのか。うーんどうも中途半端、惜しいと思います。

とはいうものの、

この映画には原作に忠実に作られた部分も多く存在します。語りが「そっくりそのまま司馬さんの文章通り」だったりもします。

「少なくとも原作を忠実に再現しようとする気持ちはあるのだろう」

ということは分かります。

しかし重要なところでは、2つの点が変更されており、どうもその変更(つまりこの映画オリジナルの部分)が成功しているとは思えないのです。

1,初芽が忍者にキャラ変更されている。しかも「私は拾った犬とでも思ってください」という言葉を繰り返す。自虐的というかドMである。有村架純にドM言葉を言わせるのは「監督の趣味なのか」と思われて気持ちが悪い。さらにこの頃の有村さんは「朝ドラの主人公で、田舎娘を演じていたため、故意に太っている」。だから「ぽっちゃりドM女忍者」になってしまっている。

2,裏切り金吾中納言、小早川秀秋が「悩める純粋な青年」となっている。「家臣団」が家康に調略され、秀秋の意図に反して裏切ったとなっています。そのことを最後に小早川秀秋は石田三成に詫びます。→こういう設定だと三成の「裏切り金吾中納言の名は、人の世が続く続く限り語りつがれる。わしが鬼となって後は、おぬしを地上に生かしてはおかぬ」という「三成最後の名シーン」がなくなってしまいます。実際なくなっている。実に惜しいと思います。

文句は実はたくさんあるのです。小説のファンなのでどうしても文句が多くなります。

・宇喜多秀家、細川忠興、黒田長政などが「その他大勢」扱いになっており、はっきり区別できない。あれ黒田長政はどの人物だ?という感じです。

・声がこもっていて、何いってるか分からないシーンが多い。

・時間制限でもあるのか、登場人物が家康を除いて「異常なほど早口」である。その為、言葉に「重みも、わびもさびも」なくなってしまっている。

・戦闘シーンと忍者の格闘シーンに力を入れ過ぎている。アクション映画みたいである。

そして最大の文句が、小説における最後の、そして最も重要な「三成観」を示した部分が「ばっさりカット」されていることです。

カットされた文章が「コレ」です。

(黒田如水の心の声として)
秀吉の晩年、もはや大名から庶民にいたるまで、その政権が終わることをひそかに望んでいたにも関わらず、あの男(三成)は、それをさらに続かせようとした。すべての無理はそこにある、と如水は言いたかったが、しかし沈黙した。かわりに
「あの男は、成功した」
と言った。ただ一つのことについてである。あの一挙(関ケ原)は、故太閤へのなりよりもの馳走(贈り物)になったであろう。豊臣政権のほろびにあたって、三成などの寵臣までもが、家康のもとに走って媚びを売ったとなれば、世の姿は崩れ、人はけじめを失う。かつは置き残していった寵臣からそこまで裏切られれば、秀吉のみじめさは救いがたい。その点からいえば「あの男は十分に成功した」、と如水は言うのである。

これが原作の「三成観」なわけですが、ばっさりカットです。

ちなみにTBSドラマ「関ケ原」ではカットされていません。ただしそう言ったのは黒田如水ではなく、本多正信です。本多正信はこの作品(小説)のサブ主人公でもあるのです。映画「関ケ原」でも、謀略の友とはされていますが、どうも動きが軽すぎて、本田正信らしさがありません。

TBSドラマ「関ケ原」は、語り手を原マルチノにした以外は、ほぼ原作を踏襲しています。従って素晴らしい作品となりました。人間も描かれていて、誰が誰なのか、ハッキリと分かります。映画「関ヶ原」は原作に忠実であろうと「努力」はしているようです。ただ肝心な点を変更したり、カットしたりしているように感じられ。そこがいかにも「惜しい」気がします。

ウルトラQ・4KウルトラQ・総天然色ウルトラQ・ウルトラQカラー版・2020年の挑戦

2018年12月02日 | ドラマ
ウルトラQ、1966年ですから52年前に作られた「伝説の特撮番組」です。モノクロでした。TV局はTBSです。

NHKが4Kリマスター版を放映するようです。うまいところに目をつけたものです。50代、60代の人間なら「思わず見たくなって4Kチューナーを買う」かも知れません。
ただし私はまだ「4Kに飛びつく必要」を感じていません。チューナーが必要です。8Kともなると「新しいアンテナ」も「たぶん」必要です。
4Kチューナー単品なら一万円以下で買えます。録画用となるとアイオーデータが最安でしょうが、それでも三万円ぐらいです。

それに4K独自の番組はまだほとんどないはずです。「4Kだけで」で「かつて大河ドラマ」を次々と放映するというなら、今すぐ飛びつきますが、そんな気配はありません。

さて「ウルトラQ」。伝説の番組だけあって、色々なリマスターが存在します。ハイビジョンリマスター版、それに色をつけたカラーリマスター版。

色をつけたカラー版のウルトラQが「総天然色ウルトラQ」です。WOWOWで前に放映されたので、その時だけ契約して録画しました。あの番組に色がついているのです。さぞ大変な作業だったでしょう。

脚本は主に故金城哲夫さんでした。凄い才能だと思います。

思いつくままに、記憶に残ったタイトルを挙げてみます。

1、2020年の挑戦 
人々が「なんかの液体」で次々と消えるやつです。2020年のケムール人の仕業となっていました。未来からの攻撃です。で、2020年の挑戦、内容から言えば「2020年からの挑戦」です。天才すぎる(半ば狂人扱いの)博士が作った装置で、東京タワーから電波を発信して倒しました。
2020年の挑戦、なんともうすぐ2020年です。びっくりです。

2、悪魔っこ
父親に催眠術ばかりかけれていたサーカス団の小さな女の子が「幽体離脱」を起こす物語です。幽体の方が、本物の方を「線路に誘導して殺そうとする」というもので、シリーズの中でもっとも「怖い」作品です。一の谷博士が作った装置によって幽体は消えます。どんな装置なんだ。その後父親は催眠術をやめ、ピエロに転進します。ピエロってのも結構怖い。

3、東京氷河期、ペギラが来た
「冷凍光線」を発する怪獣ペギラが東京を襲い、東京のみが氷河期になります。ある種のコケから抽出されたペギミンHによって撃退されました。伝説の0戦パイロットで、今は酒びたりとなり、犯罪者に落ちぶれている中年男性が登場し、その男が「特攻攻撃」で自らを犠牲にして退治します。その男(父親)を捜して東京にきた男の子が最後は遺骨を抱いて故郷に帰っていきます。単なる怪獣ものではなく、「もの悲しく切ない」物語に仕上がっています。

4、鳥を見た
田舎の孤独な少年がかわいがっていた小鳥が、実は古代の怪獣だった(巨大化する)という物語です。それでも男の子にとってはその鳥だけが「友達」なのです。これも切ない少年ものです。一度見ると「鳥を見た」という短い言葉が妙に心に残ります。鳥を見た、鳥を見た。

5、ガラダマ、ガラモンの逆襲
一度見たら忘れられないような「容姿」を持った怪獣「ガラモン」が登場します。実は怪獣ではなくロボットです。頭脳は別にあって、その頭脳から発する電波をとめると「なぜか泡を吹いて」活動停止となります。これはカラー版で見るより、白黒版で見たほうがいい気がします。

6、マンモスフラワー
ビルを突き破って、古代の巨大草花が出現します。なぜか根っこが「吸血」なのです。一の谷博士は「掃討」を主張しますが、別の科学者は「保存」を主張し、口論となります。

7、バルンガ
宇宙開発によって、地球に「バルンガ」がやってきます。空に浮かんで「すべてのエネルギーを吸収する」のです。病院も活動停止となり、大怪我をした「一平くん」が危機に陥ります。空に人工太陽を作って、宇宙に誘導します。それによりバルンガは「本来の食べ物」に気がつきます。本来の食べ物とは「太陽そのもの」です。明日空の太陽を見てください、それはもしかすると太陽ではなく、バルンガなのかも知れません、と石坂浩二さんのナレーションが入ります。

その他富士山噴火に着目したタイトル、過剰な人口増加に着目したタイトル、金銭第一主義に着目したカネゴンが登場するタイトル、と「現代社会の問題をえぐる」ような作品が並びます。とても子供向きとは思えませんが、僕個人としては「あれこそ子供向き」と思っています。幼稚さだけが子供の特徴ではないからです。我々が思っているほど、「子供」とは幼稚でもなく、シンプルな頭を持った存在でもありません。十分に考える力は持っています。