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終戦のエンペラー・昭和天皇の戦争責任・統帥権の独立・マッカーサー

2019年01月02日 | ドラマ
映画「終戦のエンペラー」は不思議な作品です。一番不思議なのは「日本語吹き替えがない」ことです。

さらに不思議なのは「日本人の企画」だということ。監督は米国人。原作は日本人。アメリカで公開。当然こけた、全く人気なし。日本でもさほど話題になりませんでした。

「何の為に作られたのだろう」と実に不思議です。

さて終戦の昭和天皇。マッカーサーのかなりウソくさい回顧録にはこうあるようです。

「陛下はまず戦争責在の開題を自ら持ち出され、次のようにおっしゃいました。これには実にびっくりさせられました。すなわち「私は日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について、貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分にとって問題でない。構わずに総ての事を進めていただきたい」これが陛下のお言葉でした。

これを聞いてマッカーサーは「非常に感動した」と書いているようです。

まず怪しいのは「政治家の行為」について責任をとると昭和天皇が言うか、という問題です。

天皇は明治憲法下にあっても「政治的権力が制限された立憲君主」です。「制限されていても責任がある」と言われればそうかなと思いますが、一般的には責任はさほどないはずです。「政治家の行為」が何を指すのかはあいまいですが、「国会」ということなら、さほど責任はないでしょう。「詔勅」に対し責任があるというなら、まあ分からないでもないですが、「詔勅」も内閣が製作するものですから、やっぱり第一の責任は、内閣と国会にあるはずです。

というと昭和天皇を擁護しているように感じるかも知れませんが、「政治家の行為」についてはさほど責任はないだろうと言っているだけです。

その前の「軍事指揮官、軍人」の行為について「責任がある」というのは「全くもってその通り」です。これは「憲法上その通り」なのです。

明治憲法には「統帥権の独立」という項目があり、軍隊は直接天皇に属していることになっていました。そして、ここが肝心なのですが、東条は実際毎日のように参内して、軍事行動に関する許可を天皇から得ていました。拒否権がなかったなんても伝説で、サンパン陥落、さらにインパールの大失敗というか「自国兵の虐殺」で天皇は東条を切り捨てます。「東条にだまされた説」もありますが、そんな「バカ殿」でもありません。ちなみにインパールにおいて独断撤退をした師団長、佐藤幸徳は「大本営、総軍、方面軍、第15軍という馬鹿の四乗がインパールの悲劇を招来したのである」と言いましたが、そのインパール作戦だって昭和天皇は「ちゃんと東条の説明を聞いて許可」しているのです。

内閣は軍事行動に関する予算権を持つのみでした。矛盾だらけです。権力が3つもある。内閣国会・陸軍・海軍です。で総理大臣と陸軍の軍事行動の決定者を「同じ人物にする」ということになり東条が総理になります。それでも東条すら海軍の軍事行動には口出しできません。海軍のトップは東条の子分でしたが、それでもできないことも多かったようです。

明治憲法では、憲法上「軍事行動は天皇の支配下にあった」わけです。だから「軍人の行為の責任は私にある」と昭和天皇が言ったとしても「当然のこと」をただ言っているだけということになります。


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