散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

「隠し剣、鬼の爪」 恋愛ドラマとしての。

2017年03月29日 | ドラマ
映画「隠し剣、鬼の爪」を見ています。もう10回ぐらい見ています。

実にいい作品ですね。雰囲気がいい。監督は山田洋次さん。どうやら高校の先輩のようですが、むろん面識なぞありません。

役者さんもいい。永瀬さん、松たか子さん、吉岡さん、田畑さん。

松さんは、とびぬけて美人というわけではないが、上品で清楚です。特にこの作品のように、百姓出の純朴な娘を演じさせると、彼女の気品が生きてきます。

剣劇ドラマでもありますが、私は最高の恋愛ドラマだと思っています。

松さんは百姓出の下働きの女性。永瀬さんはそこの主人の下級武士です。

商家に嫁いで、鬼のような姑から奴隷のように使われ、死ぬ寸前の松さんを永瀬が助けます。

このシーンなんかは最高です。泣こうと思えばいつでも泣けます。泣かないスイッチをオフにすると、簡単に泣けます。

永瀬は剣の達人で、友人を藩命で斬りますが、極悪なのは実は家老で、その家老を「隠し剣、鬼の爪」で「成敗」します。

で、武士をやめて蝦夷へ旅たつ。

その途中で松さんの実家に行き、求婚をします。

松さんは答えます。「それは旦那はんのご命令でがんすか」

永瀬「うだ、おれの命令だ」

松さん「ご命令だば、仕方ありません」

ここも泣けます。泣かないスイッチをオフにすると、いくらでも泣けます。


「新選組が嫌い」なこと。剣のこと。

2017年03月28日 | ドラマ
剣、についての、素人のつぶやきです。何も調べていないし、本当にシロウト見解です。

剣道って変だなって思います。頭に当たっても一本とならない。「ちゃんと当たる」ことが必要なようです。実践で真剣つかって剣道をやったとすると、「同時撃ち」で二人とも死にます。

でもきっと剣道の達人と私が真剣でやったら私が負けて死ぬ。相手の頭にも私は当てられない。それは分かっているし、「剣道」が「道」なのも分かっているのですが、同時撃ちで「両方とも頭に当たっても」、「浅い」とか審判が言うと、笑いそうになります。「死んでるじゃん、実践なら二人とも」と。

新選組ってのは「剣が強かった」ことになってます。僕は新選組が嫌いなので、「複数で戦った」からだと思ってます。

または「殺人になんのためらいもなかった」から。

池田屋は少数でしたね。やたらと近藤が活躍して、土方は後で救援にやってくる。近藤も、土方も天然リシン流ですが、「気合いで押す」って流儀らしいです。

武士といっても江戸武士は人なんかめったに殺しません。町民だって殺したら、大変な抗議があります。切り捨て御免なんてことにはなりません。

「隠し剣、鬼の爪」の主人公が「武士といっても剣を抜くのは手入れの時ぐらいだ」と言ってます(時代設定は幕末)。

そうだろな、と思います。武士と言えども簡単に人なんか殺せるわけがない。殺した経験がある武士なんて江戸時代はめったにいない。

新選組には「正義」がありました。「正義」のためなら、人はいくらでも残酷になれます。近藤や土方が「強かった」とすれば、「迷いなく人を殺せた」からだと思います。

ちなみに僕が新選組を嫌いなのは「残酷」だからです。最後は内紛で新選組同志で殺し合いをします。人殺し集団、僕の中ではそんなイメージです。

戦国は、というと、もともと剣なんか使いません。基本はやりですね。剣は主に首を獲る時に使うものです。

司馬さんの「燃えよ剣」は何度も読みましたし、あの土方はかっこいいとは思いますが、やっぱり新選組は嫌いです。



終末論と「百億の昼と千億の夜」

2017年03月24日 | ドラマ
光瀬龍さん、「百億の昼と千億の夜」

本当に久々に読んでみました。昔は全くわかりませんでしたが、半分ぐらいわかりました。

テーマは終末論というか神というか。

超越的存在みたいなものが、地球の知的存在の発展を邪魔するというか、ある程度発展したら芽を摘む為に破滅させる、なんてことが書かれています。

プラトンが登場します。アトランティスの滅亡ですね。

次にナザレのイエス。キリスト教的終末論ですね。

さらにブッダ、阿修羅、そして弥勒。

プラトンのアトランティス伝説はプレート移動説によって現実には否定されていますが、まあ文明の滅亡の例としては有名です。

穏健なキリスト教は終末論をあまりいいませんが、キリスト教原理主義者は終末論が好きですね。やがて終わりの日がくるが、信じる者だけは、神の手によって引き上げられる。

このキリスト教原理主義に依拠したくだらない映画が、米国では繰り返し繰り返し、作られています。くだらなくても、固定ファンがある。

ニコラスケイジの「レフトビハインド」なぞは本当に最低で、各種最低賞を米国で受賞しています。お仲間のキリスト教原理主義者の一部からも「最低扱い」されています。

一番不思議だったのは「仏教に終末論なんてあったかな」ということです。

末法の世はありますが、仏教的終末論というのはあまり聞いたことがない。仏教が目ざす最高の高みは「涅槃寂静」。でもこれは終末とは関係ない。

で、ここが、百億の昼と千億の夜の注目点だと思うのですが、「弥勒」を持ち出すわけです。

弥勒が56億年後に人々を救済するなら、救済されるべき破滅的現実が前提にある、とこうなります。

あ、そういう論法かと、そこは面白く思いました。



「日本会議の研究」を読んでみた。

2017年03月19日 | 日記
菅野さんの「日本会議の研究」。アマゾンでは今新書部門で売れ筋トップです。が、私は前に図書館で予約していて、順番がきたので借りてきて読んでみました。

300頁ほどあります。扶桑社新書です。扶桑社はフジサンケイグループです。

まだ一回読んだきりで、しかも速読です。文体は「変に熱狂的ではなく」、言葉も簡素。政治本にしては読みやすいと思います。日本会議が誕生した「歴史」を追っています。

内容は

日本会議という保守の圧力団体が日本にはある。運動形態は草の根的で、一見すると民主的市民運動のようにも見える。安倍内閣のメンバーはほぼ所属していて、政権への影響力は大変強い。

彼らは運動や組織維持の手法を、左派の市民運動や、左派学生運動の失敗から学んだ。長老たちは右派学生運動の生き残りで、今も右派学生運動を続けているという見方ができる。「もっとも民主的でない考え方をする人々」が、民主的な市民運動の形をとって活動している。

日本会議の名を前面に出さない場合も多く、実際はこの会の活動を担っていながら、担っているという認識がない人も沢山いる。ただの市民運動だと思っている人もいる。

宗教団体生長の家の出身者たちが事務や勧誘を担っている。彼らは「生長の家」から飛び出した「生長の家原理主義」とも言える人々である。

宗教の「勧誘の力」が生かされている。したがって「若い人々がこの団体に入って」くる。あまたの政治運動団体が「高齢化」によって衰退しても、この団体が衰えないのは、若い力があるからで、具体的には「日本青年協議会」こそがこの団体の真の中心である。

彼らのカリスマは安東氏なる人物である。政治と宗教が融合しており、草の根運動(市民運動)の形をとったカルト集団という見方もできる。

彼らが最も興味をもつテーマは「憲法改正(改悪)」、「歴史認識」の変更、「夫婦別姓反対」「従軍慰安婦問題」「反ジェンダーフリー」である。この草の根ファシズム(極右)運動は極めて危険であり、健全なる市民運動によって駆逐しなくてはいけない。

以上。

よりにもよってなぜフジサンケイグループの扶桑社が、とも思いますが、考えようによれば、日本会議の宣伝にもなる。この本の趣旨は「日本会議批判」だけれども、その逆の効果がもたらせれる場合もある。この本で初めて日本青年協議会の名を知り、近づく青年たちも少なくはないでしょう。

そんなことを感じました。私自身は若くないので、こういう本を読んでも「高揚感」はありません。ただ色々知らない団体が沢山でてくることや、舞の海さんが会員とは興味深い、というのが今の段階での感想です。なにしろ速読で、まだ一回しか読んでないのです。

なぜ「左派の運動は一時的な盛り上がりしかしないのに、右派の運動は継続して元気なのか」の説明にはなっているようにも思えます。

私が幼児だった頃、日本には安保闘争という運動がありました。でも大学に入る頃には、左派の運動はすっかり大人しくなっていて、右派の運動も活発ではなかった。でも今では、少なくともネット上には、異常なほど「中韓の問題」「慰安婦問題」「歴史認識問題」に「敏感な人々」がいる。それが何故か、への「回答の一つの例」だと思いました。

さらに思うのは、「保守という連帯感」が一部の若い人々を引き付けているのだろうということ。昔も「左派という連帯感」がありました。今でもあるかな。でも、私のようなわがままな人間はそういう連帯が嫌いで、「自立」とか「孤独」の方に価値を見出していました。

考えてみると、宗教や政治やサークルに至るまで、色々な「勧誘」を大学では受けました。でも私は「連帯感」がどうも苦手で、入ったのは自主ゼミだけ。連帯感とかあまりなく、互いの研究を批判する場。そっちの方が性にあっていたのです。

今は「連帯感を希求する若者」が多く、「保守という連帯感。大きな組織への帰属意識」で心の孤独を埋めているとすれば、なかなか根の深い問題だな、と思いました。

また草の根ファシズムというのは歴史的にみて非常に厄介なもので、そう簡単に「対抗」できるものではない。今回の森友問題が、それを考えるきっかけとなれば、むしろ問題の表面化は日本にとって好ましい事態なのかも知れません。

速読ではなくちゃんと読んでみて、また「感想」を書きたいと思っています。

固有の領土、を英訳するとどうなるか。

2017年03月18日 | 日記
初めに書いておくと、私は領土問題にさほど興味はないし、「領土でエキサイトする」ような人間ではありません。

「固有の領土」

よく聞く言葉ですが、不思議な日本語です。どういう英訳になるのだろうと思って検索しても、なかなかヒットしません。

でやっと見つけたのがこの言葉。「外務省はこう英訳している」とのことです。

an integral part of Japan's sovereign territory

「主権国家である日本にとってなくてはらないパート」「日本の主権が及ぶテリトリーのうち、なくてはならない一部」

英語が苦手な私にはちゃんと訳せませんが、そんな感じでしょう。

「固有の」という言葉の主な英訳は、endemic; indigenousですが、そんな文字は使われていません。

なぜなら「固有の領土」という概念が、世界にはほとんどないからです。

北方領土は我が国固有の領土です、という言葉を少し詳しく訳すと、

日本は17世紀の初めぐらいから、あの辺に島があることを認識していました。正式に領土として認識したのは1855年の日ロ和親条約ぐらいからです。

とでもなるのでしょう。

征夷大将軍の「夷」は蝦夷地(北海道)だからもっと昔、なんて言うとややこしくなります。「夷」は蝦夷地ではなく、蝦夷(えみし)です。彼らは主に東北地方の人々ですが、大和朝廷への帰属を拒みました。固有の領土というなら、大和朝廷ではなく、蝦夷の固有の領土だ、というややこしい問題になってしまいます。仮に日本政府と大和朝廷に「連続性がある」とすると、「固有の領土ではなく、蝦夷の領土だった」という逆の結論が出てしまうのです。蝦夷も今は日本人だから同じこと、まあ、そうなるかは難しいところです。

などと言っても、先に述べたように、私は領土問題にはあまり興味がありません。

興味があるのは「固有の領土」という不思議な日本語表現です。

固有の、と聞くと神代の昔から、みたいですが、せいぜい遡っても江戸時代ですし、近代的領土観念から言えば、19世紀です。

領土問題にこだわるのは人々の自由で、それにとやかくは言いませんが、もっと正確な表現を使うべきだと思います。

足利将軍家のこと  花の乱

2017年03月13日 | 花の乱
大河「花の乱」は面白い作品です。画期的でもある。何が画期的かというと、大河ではほとんど「足利将軍家を描かない」からです。日野富子の描き方はいい加減ですが、それでも面白い。

大河が描く足利将軍の1番はおそらく最後の「足利義昭」でしょう。織田信長との「からみ」で色々な作品に登場してきます。

次はというと、足利尊氏が一回だけ主役。足利義政が一回だけ準主役。さらに13代の義輝がちらっと登場する程度でしょう。義輝は剣客で、最後は襲われて奮闘しますが、その奮闘が描かれる時があります。花の乱には他に義尚や義視なども登場します。

戦前は足利尊氏は逆賊として大悪人でした。明治維新の時、大村益次郎は「やがて九州から足利尊氏の如きものが出てくるかも知れない」と西郷を警戒していました。

また足利義満には帝位簒奪計画があったという「ウワサ」などもあります。

そういった背景もあってか、大河では「足利が描かれることが極めて少なく」、大河「太平記」で足利尊氏が主役になったのは、画期的なことでした。

足利義満、金閣寺を作った人ですが、全く登場しません。彼の生きた時代が描かれたことすらありません。大河「太平記」では二代目の義詮(よしあきら)までです。最後にこの後義満の時代に南北朝は統一されたという紹介が入るのみです。

今日、我々が日本文化として意識している文化の原型は多くが室町時代に作られました。私見では、中央集権や公の力が弱かったため、民衆文化が開花した、それが日本文化の原型になりました。

でも、日本人は室町時代のことをあまり知らない。ドラマきっかけで勉強する機会がないからです。高校の日本史の知識で終わってしまう。

ドラマになるようなロクな将軍がいない、のは事実なんですが、義満あたりは面白いと思うのですがね。

足利将軍家の力が弱かったと言っても、伝統的に日本という国は、ずっと貴族、豪族の連合体で、「鎌倉幕府」と言えども、文字通りの意味で全国を支配していたわけではありません。

天皇家による古代の中央集権も、すぐに貴族による政治に移行した。これは荘園制があるからです。

荘園が自治の単位であり、その荘園の連合体として日本という国があったというのが実態です。

「中央権力」がこの荘園レベルまで口を出せるようになったのは、秀吉の時代であり、徳川がそれを完成させました。(荘園の解体)

まあ「地頭」はありました。「地頭」って高校生には本当に理解が難しいと思うのですが、いわば「押しつけられた荘園の管理人」です。守護は、大きな犯罪だけをとりしまる治安機関です。

「管理人を置かせろ。置かせたら、その土地はお前のものだと認めてやる」というのが「鎌倉幕府のやり口」です。

守護地頭は、荘園制を前提になりたちます。領主である場合もありますが、基本的には領主ではなく「管理人」です。

なんだかまとまりがなくなってきましたが。要するに「もっと室町時代を描いてほしい」ということです。


キリスト教 人による人の支配

2017年03月12日 | ドラマ
有名な神学者がこんなことを書いています。

キリスト教は「神の支配」を目指したが、現実をみればキリスト教がもたらしたのは「人による人の支配だった」と。

慧眼だと思います。カトリックにおいてその階級制度はことに顕著です。

日本のキリスト教信者人口は、0.5%から多くて2%ぐらいと言われています。心情的にキリスト教に愛着を感じている、ぐらいの人ならもっといるかも知れません。

「少ない」と言えるでしょう。キリスト教は随分と日本の教育に貢献しましたが、その割には信者が増えることはありませんでした。ただ、明治、大正の知識人はキリスト教文化が西洋文化だと思っていましたから、キリスト教への意識はみんな今より「敏感」です。芥川も白樺派も、むろん夏目漱石もそうでした。

西洋科学史、西洋文化史の面からみると、キリスト教は文化抑圧的な役割を果たしてきた、と言えそうな気もします。ローマで国教となって以来、ルネッサンス運動が起きるまで、特に科学技術の発展はキリスト教によって抑圧されてきました。あの「暗い中世」の時代です。「十字軍の時代」でもある。医学も哲学も、その間はイスラム圏が伝承、そして発展させました。その土台の上に咲いた花がルネッサンスです。

みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、すでに心の中でその女を犯したのである。

マタイ福音書です。一世紀後半に「ギリシャ語で」書かれました。もとになったQ資料(キリストの言葉を伝承したとされ、多くの福音書のもとになったと想定されている幻の資料)には、載っているのでしょうか。Q資料は未発見なので、誰にも分かりません。

とにかく、この言葉は随分と明治の青年を悩ませました。志賀も芥川もそうです。日本はもともと「性におおらか」な国ですから、こんなこと言われれも困ります。「見る」ぐらい許してくれてもいいでしょう。でも明治の青年は本気で悩みました。なにしろキリスト教が西洋文化の中心と思っていたのです。実際そういう側面もあったのです。

これは「性の抑圧」ですが、キリスト教全体が持つ「抑圧感」が日本になじまなかったのかな、などと私は考えます。夏目漱石の「こころ」はキリスト教の「告白、懺悔形式」で書かれていますが、あれなども近年は「過度に禁欲的かつ抑圧的だ」なんて批判されることもあります。

原始仏教は煩悩からの解脱を説きます。つまり煩悩(欲)そのものは普通の人間ならみな持つものと認めているのです。それを「罪」とはしません。煩悩(欲)から解放された存在が仏です。

面白いのは、煩悩から解放されたほうが幸せ、とも説かないことです。幸福の希求もまた煩悩、愛情もまた煩悩です。もっと原理的に突き詰めれば「解脱の追及」もまた「煩悩」です。このあたり凄みがあります。

お前は坊主か、と言われそうですが、悲しいかな、宗教的体質がなく、信心というものが私にはない。おかげで未だに煩悩だらけです。

「鎖国の消滅」とグローバル化または愛国心

2017年03月12日 | ドラマ
「鎖国」が教科書からなくなるようです。「幕府の対外政策」とするとか。なんでしょう「幕府の対外政策」ってのは。具体性を欠く分かりにくい言葉です。

そりゃ、家光の時代に鎖国という言葉はない。でも歴史を当時の言葉だけで叙述することなぞできません。そんなこと言うなら、天武天皇(7世紀後半)より下の時代の天皇には「天皇」が使えません。それ以前には、天皇号を「使った証拠」がありません。

話戻って、「鎖国」って言葉は「幕末にはありました」。19世紀のごく初めにはあったようです、当時の武士ってのはそんなに歴史に詳しくないから、幕府が始めたってことを知らない武士も多くいました。

神代の昔から続いていたと思っていた。天皇がはじめたと。そこで「尊王攘夷」となるわけです。やがて開明的な武士の間で「どうやら幕府が始めたらしいぞ」という口コミが広がっていきます。

攘夷は幕府の始めた制度。明治になってかつての志士たち(明治高官)はさっさと「攘夷」は捨てます。実際は幕末時点で捨ててます。幕府が作った仕組みなら捨てても問題ないと考えた、という面も「少しだけ」あるかも知れません。まあ攘夷は途中から討幕の手段(方便)となってましたから、ごく自然と捨てたというのが、ほんとのところでしょうが。


鎖国、実態としては「していた」でしょ、やはり。長崎での貿易は幕府が管理。相手は主に中国それとオランダ、あとは対馬で朝鮮と、薩摩で琉球と、松前藩で今の北海道と。

外国人の上陸はこの4地点以外認めない。貿易も認めない。

これは「鎖国」でありましょう。「幕府の対外政策」では何のことかわからない。少なくとも「幕末時点では」当時の武士たちも「鎖国」という言葉でこの状態を把握していました。

TPP、グローバル化の時代に日本が鎖国してたなんてのは恥ずかしい。そんな国にしたら子供たちの愛国心が育たない、とかなるのでしょうか。

なるわけない。大昔の話です。

昨今の研究成果をふまえて、なんでしょうか。でも出島で貿易してたってことは昔の教科書にも載っています。

なんで鎖国という言葉をそんなに消したいのか。

とにかく、日本史の教科書から鎖国の記述が消えて嬉しい、という方々がいるはずで、まずは「なにが嬉しいのか」から調べてみたいと思います。


聖徳太子の思ひ出

2017年03月11日 | ドラマ
日本の古代、古代って長くて平安も含みますが、もっと古代らしい古代、つまり飛鳥時代への興味が、いつの間にか自分の中で薄くなっているのを感じます。

数年前、奈良に行き、電動アシスト自転車を借り、石舞台とか法隆寺とか、東大寺に行きました。京都より少し面白かったけれど、高校時代のように古代ロマンに酔うなんて心境にはなりませんでした。

かなり前から、聖徳太子はいなかった、厩戸王はいたが、聖徳太子は後世の人々が作り上げた、一種の理想像ということがよく言われていました。

で、教科書でもその方向にいくというか、いかないというか。厩戸王という名前の方に傾いているようです。

「聖徳太子否定にはいかない」と書いたのは、憲法十七条とかはやっぱり聖徳太子(厩戸王)の功績とされているようだからです。

実は小学生の時代、それから中学、高校と、僕は「ちょっとうさんくさいな」と個人的に思っていたのです。

立派すぎる、が理由です。

その上何人もの声を同時に聞き分けたとか、嘘くさい伝説が多い。「空想上の人物だ」と誰に教えられなくとも、そう感じていた「思い出」があります。

日本史の中では最も聖人であるにもかかわらず、天皇(当時は天皇号はない)になる権利は持っているのに、天皇にはならないし、子どもはあっけなく殺されて、太子一族は滅んでしまう。

彼の死後の事実と、聖徳太子の偉さとの間の「つりあい」が実に悪いのです。なんで一族は滅びるのか。小学生の時、本当に疑問でなりませんでした。

教科書にはそこまでの記述はありません。でも学研の「学習」には「山背大兄王が殺され、太子一族は滅んだ」と「さらっと」書いてありました。「え、なんで」と強く思ったのを記憶しています。

さすがに憲法十七条も創作だ、とは子どもだから考えません。でも今なら、後世の創作説を支持するでしょう。証拠は出せないにせよ。

古代大和政権を作り上げたのは立派な人だったんだ、と「そうしたい」方々の心情はよくわかります。

でも「あんまり立派にしてしまうと」、子どもって案外鋭いのでうそに気が付いてしまう。少なくとも僕は子供のころ「架空の人物に違いない」と思っていた。

だからあんまり立派にしないほうが、むしろ子どもはきちんと受け止めるかも知れません。


明治維新を朝鮮に輸出したかった日本

2017年03月11日 | 日記
韓国の大統領が罷免されました。それはさておき、朝鮮(韓国、北朝鮮)に戦争責任はあるでしょうか。

私は偏った人間ですが、右翼的な人間ではありません。さほど左翼的でもありません。「朝鮮にも70年前の戦争の戦争責任がある」なんて、過激なことを言いたいわけではありません。「限りなくない、もしくは全くない」ことは分かっています。分かっていて、あえて「あるとしたら」という思考実験がしたいだけです。

福沢諭吉が何故「脱アジア」を唱えなくてはいけなかったか。

歴史に詳しい方は、もう既に私が言いたいことは分かってもらえたはずです。

もし朝鮮と中国がもっと早く近代化をなしとげて、近代的な法制度と軍隊を持ってくれていたら、日本はロシア、ソビエトに対する恐怖に怯えなくても良かったかもしれません。

日本の仮想敵国は明治から冷戦時代まで、ずっと、ロシア(ソ連)でした。とにかく怖くてしかたなかった。でもそれを口にできなかった。

明治時代には恐露病という言葉すらありました。ロシアに恐怖するという意味です。

日露戦争は勝ち(実質的には引き分け)ましたが、その後、ノモンハンではロシアから生まれ変わった新生ソビエトに手ひどくやられます。ノモンハン事件は国民に伏されました。

日本、朝鮮、中国が団結して、列強に立ち向かう。福沢諭吉や島津斉彬ら、そういう構想を持った人間が日本には少なからずいました。

「明治維新を中国、朝鮮に輸出する」。

そういうおせっかいを日本がやらざるえなかったのは、ひとえに「列強に対する恐怖」からです。明治維新を朝鮮に輸出しないと、ロシアは朝鮮を通って、日本に来る、そう信じていました。

しかしそういう試みはことごとく失敗し、福沢が育てた朝鮮留学生は、あるいは迫害され、あるいは殺され、福沢はついに「脱アジア」を唱えるに至ります。

その後、あろうことか日本が列強の一員に加わり、と誰でも知っている不幸な歴史がはじまります。

西郷は征韓論を唱えたと言われます。彼は征韓とは言わず、遣韓と言っていました。言葉がどうあろうと、「戦争になる」と止められました。

しかし西郷は言います。「もし自分が死んで、日本と戦争となれば、朝鮮はいやでも近代化をせざるをえない。そして朝鮮にも志士の如き者があらわれ、維新が起きるにちがいない」と。

西郷に随分と「やさしい」考え方ですが、「自分が朝鮮にとっての黒船となる」という意識は西郷にあったと思われます。日本、中国、朝鮮の団結による列強への対抗、これは西郷の師であり主君である島津斉彬が唱えた構想だからです。西郷自身はアジア的教養人で「ぎょうしゅんの世」なんかが好きなんです。本当は近代化は嫌い。でもアヘン戦争の現実がある。なにより大師匠、大恩人である島津斉彬が近代化推進派である。島津斉彬の構想を実現させること、それが斉彬の死後も彼がこの世に留まった理由です。人間としては矛盾に満ちた存在が西郷です。

その後、長い年月と悲惨な歴史を経て、韓国は近代化、民主化しました。北朝鮮は工業的な近代化はなしたものの、政治の近代化である民主化はなされずにいます。

これは誰の責任なのか?むろん答えはでるわけもありません。また「責任を問うべきこと」なのかも分かりません。

民主化をしないこと自体は罪ではないからです。民主制度なしに「うまくやっている国」は現在の世界にもあります。

「近代化をなさなかったからいけないのだ」。

そう言い切れれば簡単なのですが、近代化をしないこと自体に責任があるわけもなく、日本だって、アヘン戦争さえなければ(列強への恐怖さえなければ)、太平の眠りの中でまどろんでいたかったのです。

難しい問題ですね。

柴田淳さんの歌のこと 久々に聴ける歌を見つけた。

2017年03月10日 | ドラマ

この15年。つまり2002年以降。新しい曲が聴けない、聴く気がしない、覚えられない。何曲かは覚えたけど、別に好きで覚えたわけでもない。

もともと歌は好きだった。特技が歌詞の暗記。サザンとユーミンと井上陽水なら、今でもかなり暗唱で言えると思う。フォークギターだって弾くことができる。コードだけだけど。

最後に本当に好きで聴いたのは、鬼束ちひろさん、シャインとか月光、流星群とか。月光はドラマ「トリック」の主題歌。仲間さんもまだ20歳ぐらいだった。

映画「トリックラスト」では、トリックの第一話のシーンが再現されていた、馬鹿な話だが、思わず泣きそうになった。懐かしさだ。

柴田淳さんの歌、久々に聴いていられる。しかもなんとも心地いい。ちょっとだけ「発音がふんわりして抜ける」感じもいい。声もいい。

歌詞はよく分析してはいない。でも明るくない。明るいはずもない。聴いていられる。

育ちのいい鬼束ちひろさん、みたいな感じだ。むろん鬼束さんだって育ちはいいだろうが。

だけど、その後鬼束さんはちょっと違う路線になってしまった。残念だが今は昔の歌しか聴けない。中島みゆきさんの歌も「怨歌性」が強くて、安心して聴くことができない。結構疲れる。

柴田淳さんの歌は、静かで寂しくて、いい。

柴田淳さんの歌は70年代カバーアルバムから入った。選曲が「まっとう」だった。マイペースの「東京」まで入っていた。まっとうだ。

22才の別れも歌っていた。まっとうだ。ちゃんと弦を指ではじく、ピチカートかな、編曲にも忠実だった。むろん私が未だに大ファンである久保田早紀さんの異邦人も入っていた。まっとうだ。

それからオリジナルも聴くようになった。

さっきまで「それでも来た道」を聴いていた。ユーチューブ。

今は「月光浴」を聴いている。鬼束さんの「月光」のような破壊力はない。「月光浴」なのだ。「月光浴」のように、静かに、癒される感じ。月光浴したことないけれど。

自分も年をとったせいか、こういう曲の良さが少しは分かるようになったきたのかもしれない。「子供向けの使い捨てのような抒情なき歌詞」しかないようなこの世界にあって、非常に貴重なアーティストだと思う。

蛇足
今は「ひこうき雲」のカバーを聴いている。「海をみていた午後」のカバーも歌っている。「ユーミンは本当は暗くて抒情性があるのだぞ」ってことが分かっている。まっとうだ。


私の超常現象

2017年03月10日 | 日記
中年まで生きてきて、本物の超常現象とか体験したことはありません。

浪人時代は馬鹿なのに勉強しすぎて、精神不安定になって、よく「金縛り」に遭いました。脳の現象です。ほぼ解明されています。

「金縛り」は発展するのです。体が宙に浮いて、天井にぶつかったこともありました。天上の灯りを突き抜けて天井に当たり、ドスンと落ちます。ドスンという音も聞こえます。

昼間、世界史の勉強をしていて、ちょっと横になったら金縛り、男の声で戸の向こうから「まだ生きているか?」という声がしました。

全部脳の現象です。大学に入ってからは一度もありません。ついでに言うと「幽霊が枕もと」もあります。全然怖くなくて「あ、幽霊だな」と思いました。それぐらい浪人中は勉強に疲れていたのです。幽霊を見ても、幽霊だな、としか感じないぐらい、感情が変な動きをしてました。太宰の小説で、石ころが歩いていたが何も感じなかった、という風なのがありますが、ちょっとだけ似た感覚です。

それより不思議なのは「小学校時代の火の玉」です。

公園で野球をして、帰りに「お墓のそばの階段」を降りているときにみました。

その階段は危険なので、小学校で使用禁止になっていたのですが、近道なので通ったら、火の玉が浮いています。

4名で見たのですが、転がり落ちるようにして逃げました。でも使用禁止の道ですから、4人で「内緒にしよう」となりました。

そんなの不思議でも何でもありません。火の玉なんて怪談世界では冗談みたいなもんです。

不思議なのはこっから。

それが小学校3年の出来事。それから4人みんな同じ中学に行きました。

なにかの折、本当に偶然に廊下でその4人で話したことがありました。中学2年ぐらい。私は「あ、火の玉の4人だ」と気が付き、「あの時は怖かったなあ」と言いました。

ところが「他の3人は」は「そんな話全く覚えてないし、そんな記憶はない。お前の夢だ」というのです。

私は帰ってからお祓いのため、自分のグローブに手製の「お守り」まで貼ったのです。そのグローブでずっと遊んでいたのです。私は夢をみて、その夢のお祓いのために、わざわざお守りを作ったのでしょうか。

でも「外の3名は」、全く記憶にない。夢だと言います。私はぞっとしました。現実とはなんだ、正常なのはこっちなのか、あっちなのか。現実めぐってあんな不思議な感覚になったのは、あれが初めてですし、あれ以降も一回もありません。

火の玉より、3人の記憶がなくなったことの方がずっと不思議です。あれが私の夢だったとした、さらに不思議です。

今日、車で聴いた曲 久保田早紀さん

2017年03月10日 | 日記
気が付くと家に「スピーカー」がない。昔は「家具のように大きなスピーカー」があったのだが、今の「小さな家」を建てた時、捨ててしまった。

PC用のスピーカーはある。昔買った。結構高かったので捨ててない。でも使ってもいない。

最近のスピーカーは小さい。昔は小型の冷蔵庫ぐらいの大きさだった。技術改良で、あんなでかくなくても「いい音」を出せるようになったらしい。

でもそれを買ったとしてもアンプがない。

というわけで、音楽はもっぱら車で聴いている。前の燃費の悪い車は頑丈で、大きな音をたてても、外に漏れなかった。今のプリウスは鉄が薄く、大きな音をたてると外に「だだ漏れ」である。でも大きな音をたてている。歩行者は少し迷惑だろう。

CDで聴くわけでもない。SDメモリーで聴いている。32GにMP3。死ぬほど曲が入る。

今日は久保田早紀さんを聴いた。いつも聴く。よく聴く。好きなのだ。

異邦人とかは聴かない。異邦人聴くなら別バージョンの異邦人を聴く。「サウダーデ」に収録のファド?バージョン。サウダーデって郷愁という意味らしい。今知った。30年以上たって今初めて知った。

「真珠諸島」

ハイテンポな曲。ポップ調。でも悲しい詩。「二人づつの一つの影が、次々と去って、私一人が潮騒の中、真珠アイランド」、曲がポップなのにこの悲しい歌詞。好きだ。

「天界」

「運命とは星のめぐり、名も知らぬ同士が引き合い引き寄せられていく。エルムーズファルダ。エルムーズファルダー。」

エルムーズファルダー、はペルシャ語で、「今日と明日」。昔は不思議な呪文だと思っていた。ペルシャではどう使われたのだろう。もしかすると、不思議な呪文なのかも知れない。

声がいい。歌詞がいい。こういう世界観で曲を作る人は現在はたぶんいない。で、いつも聴く。飽きない。

高校時代、凄く好きだったのは、井上陽水さん。久保田早紀さん。松原みきさん。松原みきさんは故人になってしまった。久保田さんも引退して今は音楽宣教師。でも今もこの二人の曲はよく聴いている。むろん陽水さんも。

私の好きな時代劇番組は

2017年03月09日 | ドラマ
私の好きな時代劇番組は、という「課題に参加しては」という項目を目にしたので、参加することにしました。

まず大河ドラマでは
1、「花神」 2、「国盗り物語」 3、「翔ぶが如く」

このうち、全部が残っているのは「翔ぶが如く」だけです。あとは総集編だけですが、総集編でもぐっときます。

大河で名作だと思うのは
「草燃える」「新平家物語」「風と雲と虹と」「元禄太平記」「黄金の日々」「徳川家康」「太平記」「信長」「花の乱」「功名が辻」

逆に駄作というか見直す気がしないのは

「江」「篤姫」「新選組」「義経」「利家とまつ」です。特に最初の3つはダメですね。生理的に無理です。

大河を離れると

昔、大昔では「木枯らし紋次郎」

TBSの「関ケ原」

渋いところではテレビ東京の正月長時間時代劇「徳川武芸帳 柳生三代の剣」です。松本幸四郎さんが主役です。

本当は「理由」を書くべきでしょうが、これは「課題参加」だけなので、長い文章はやめておきます。


江戸城無血開城、ドラマでの扱い

2017年03月09日 | ドラマ

江戸城無血開城というのは、「事前準備」があって成り立ちました。西郷と海舟がいきなり会って、いきなり開城となったわけではありません。

でも余程細部にこだわるドラマ以外では、「準備段階」での山岡鉄舟等の活躍を描くことはありません。パークスの幕府温存論なんかも描かれることは少ないようです。

大河「翔ぶが如く」では天璋院(篤姫)の請願と海舟と西郷の会見が描かれました。

天璋院は長い書状で西郷に請願したわけです、ドラマの方では篤姫付きのお女中「幾島」が伝えたことになっています。

天璋院曰く、というか幾島の「伝達内容は」

「徳川の民もまたお国の民であり、今は上も下も諸外国の圧迫に備える時と心得ている。それゆえに徳川慶喜以下、謹慎恭順して事態を収拾しようとしている。それでも尚、官軍は江戸を攻めるか」

江戸を攻めてもいたずらに憎悪と混乱を増大させるだけであり、喜ぶのは諸外国だけだというまっとうな意見です。

幾島と西郷は旧知の仲で、もともとは幾島の方が上席でしたから、西郷はかしこまってこの言葉を聴きます。

が、それで江戸攻めを急にやめたりはしません。西郷の独断でやめることなどできません。

海舟との会談では

「城内の家臣は謹慎する」「徳川慶喜を助けたものは謝罪させる」「武器一切、官軍に譲り渡す」「江戸の人心は徳川が鎮撫する」等の条件が出され、海舟は即答で承諾します。

ただ「徳川慶喜は備前藩にて謹慎」という条件だけは、海舟は即刻拒否します。

「それだけは幕臣として断じて承諾はできない。せめて謹慎は水戸藩に変更してくれないか。それはすべていたずらに騒乱を招かないための処置である」

西郷はこの最後の言葉に痛く感銘を受け(ドラマの話です)、京都に帰って相談すると言い、ただちに帰京。結果徳川慶喜の謹慎地は「水戸」になります。慶喜は水戸で謹慎、その後、静岡に転居、さらに江戸に転居。明治の中ごろ天皇から勲章を授けられます。ひそかに「維新最大の功労者は徳川慶喜ではないか」という意見が明治政府にはありましたから、当然の受勲でしょう。

大河ドラマ「翔ぶが如く」では、西郷はその後、天璋院を訪ねます。天璋院は殿「島津斉彬」の養女ですから、本来は主筋です。

西郷は天璋院にわびをします。「島津斉彬公は私に公武合体に尽力せよといってお亡くなりになった。しかし、このような仕儀になった。本当に申し訳ない」

という西郷に対し天璋院はこう対応します。

「よい、時代は動いているのです。吉之助は立派に世直しをしたのです」

島津斉彬という「殿」は西郷吉之助にとっては「全て」です。島津斉彬が下級家臣であった西郷を見出し、教育しました。安政の大獄の中、島津斉彬は罹病で急死しますが、この急死がなければ、「幕末」は随分と変わっていたことでしょう。

天璋院がここまで立派な人物であったかは分かりませんが、というか篤姫はそんなに立派でもなかったのですが、あくまでドラマですから許されるでしょう。

その天璋院、西郷の会談の最後、幾島が次のような歌を歌います。

世の中は、みな仏なり、おしなべて。いづれの者と分くぞ哀しき。

世の中の人間は、みなその中に仏性を持っている。官軍だ、幕府側だ、いずれの者と分けるのは哀しいことだ。