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新約聖書はどうして読みにくいのか。

2016年07月21日 | 日記
幼稚園はプロテスタントでしたが、キリスト教に対する信仰的興味はありません。学術的興味は少しあります。日本の神学者、ほとんど知りませんが、「加藤隆」さんは面白いですね。どうして日本人には聖書が読めないのか、いや、どうして万人にとって聖書が難解なのかを説明してくれます。答えは4つの文章(新約聖書)+使徒列伝、パウロの手紙等がバラバラに書かれたから。バラバラに書かれたものを無理に一つの文章集(新約聖書)にしたわけで、「統一的理解」なんてできるわけない、というのが氏の学説です。「氏の学説」というより、かなり主流派的学説なようですが。

新約聖書は「古ギリシャ語」で書かれています。おそらく、キリストが文盲でなかったとしても彼には新約聖書は読めない可能性が高い。。キリストの母語はアラム語でこれは、ヘブライ語に近い言語です。少なくとも、ギリシャ語ではありません。イエスには、ギリシャ語が読めなかった、とは言い切れませんが、読めない可能性が高いですね。

ルカ文書、は新約聖書にとって非常に重要な文章集です。しかしルカとは誰でしょう。伝承ではパウロの「協力者」ですね。パウロ、は高名なキリスト教の聖人ですが、ルカ文書においてすら「12使徒の一員では」ありません。キリスト死後に教徒になったはずです。キリストの直接の弟子ではないパウロの、その協力者がルカです。

新約聖書は、ローマの民衆支配、帝国維持のために「国教」となります。その過程において様々な福音書が書かれ、それが選別され、今の新約の形がほぼ整ったのは4世紀後半です。「ほぼ」であって、今でも整っていない、という考え方もできます。12使徒の名前を冠した(模した)文章も沢山ありましたが、必ずしも採用されません。しかしルカ文章は採用されました。

バラバラに書かれた、と書きましたが、厳密には、つながりはあります。最初に「マタイ」がある。これははっきりしています。しかし「マタイでは十分ではない」、そう考えた人間によって、マルコ文書とルカ文書が書かれました。もうちょっと突っ込んだ言い方をすると、マルコ文書への「批判」として書かれました。「マタイで十分」なら、書く必要はない。十分ではない、そう考えた「誰か」が、マルコやルカを書きました。ヨハネはかなり変わった文章ですが、原理は同じでしょう。

バラバラである、だけでなく「互いに論争的」、そういうものがローマの都合によって一つの統一的な文章集とされました。そしてその論争性に言及することは、タブーとされたのです。

あれ、大丈夫かな、加藤隆さんの説はこれで合っているかな、そう思いながら書いています。

興味のある方は加藤隆さんの「新約聖書の誕生」「新約聖書はなぜギリシャ語で書かれたか」等の書物をお読みください。





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