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葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

川柳家族。

2016-05-09 21:25:37 | kaeruの五七五

   一昨日の続きです。

   川柳には家族を詠み込んだものが多いようで『万能川柳 名作濃縮版 上』にも “ いろんな「家族」を考える”という章があります。

では、家族というバライティーショウです。

   大将と呼ばれて妻が振り返る                北九州市   三浦奈美恵

   連休の雨を願っている家計                   北九州市   片野広和

   運動会一人の孫に三家族                      新宮   船越雅視

   オレ粗大ゴミならおまえ危険物             群馬   小林達也

   注射以後孫は行き先確かめる                福岡   富岡六男

   スリッパをはけど三歩で脱ぐ間取り         敦賀  小野恵介

   飛行機は座れたかいと聞く婆チャン        渋川   梅沢善二

   そばにいる夫が邪魔なメロドラマ           東京  岩崎静一

   別れなさいテレビに吠える妻の声           青森  尾崎逸平

   可愛い子旅をさせたらもどらない           福岡   荒巻智恵

   共白髪と約束したのに亭主禿げ              土浦   三浦幾子

   人込みを駆逐艦のように母が行く            宗像   星裕子

   一坪の空き地を我が家は庭と呼ぶ            東京   松浦幸平

   祖母ばあちゃんがカードと呼ぶは診察券       取手   岩木一

   子のバットめがけて投げるお父さん         大阪   蠏江婦美子

 

家族万華鏡という感じです。


史実としての「上洛」。

2016-05-09 20:06:32 | 「真田丸」

  「真田丸」関連のブログなどを見てましたら「上洛」について「史実」に触れているものがありました。それには秀吉は昌幸に対しまず家康に属するよう命じ、昌幸は家康に謁見して徳川家臣となり、そのあと上洛して豊臣家臣となったのです、とあります。

   そこの部分を平山さんの『真田信繁』では、まず、秀吉が太政大臣に任じられた(天正十四年十二月)これを機に天皇より賜った豊臣姓を称したことに触れた後で、

【 翌天正十五年一月四日、秀吉は上杉景勝に書状を送り、真田昌幸の赦免を正式に通達し、昌幸に上洛させるよう指示した(『上越』3168号)。(略)

   かくて真田昌幸は、小笠原貞慶とともに上洛し、秀吉に謁見した。その際、家康重臣酒井忠次も同席しており、秀吉は帰国途中、駿府の家康に出仕し、その与力大名となるよう命じた。(略)

   秀吉への臣従を認められた昌幸は、三月十八日、小笠原貞慶とともに、酒井忠次に伴われ駿府城に入り、家康に出仕した。ここに正式に真田昌幸は、上田・真田領と沼田・吾妻領を安堵され、豊臣大名として認定されることになったのである。武田氏滅亡から五年、遂に昌幸は大名となり、自立を果たした。】

ドラマでの展開は平山さんの記している筋です。