kaeruのつぶやき

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孤老からの脱出。

2015-06-28 22:51:44 | どこまで続くかこのブログ

    今夜一杯飲みながら話をした八十余歳の男性、奥さんを昨年亡くして独り暮らし、ひとり息子はアメリカにいるそうですぐには戻れないとのこと。実はと、ある意味相談をかけられた形で聞いた話です。

    子供の頃といっても十代をかなり越えた頃なのでしょう、相思相愛の女の子がいたそうです。いや相思相愛だと知ったのはかなりあとだったそうですから遡っての話になれば片想いの女の子がいたということです。

    実は、という話はその婦人と最近電話でやりとりするようになって近く鎌倉辺りで会うかも知れない、と言うのです。会うかも知れないなどという中途半端はことなの?と聞き返すと、会っていいものか、というのです。

    要するにご婦人の方も夫を亡くして三年ほど経っている、娘夫婦からの一緒に住もうという話を断って独り暮らしをしている、そんなことがわかりあえる電話が取り交わされはじめたのが男性の奥さんが亡くなって少し経ってからだそうです。そこで生意気にも人生の先輩に、会いたいのなら会えばいいし、会いたくなければ断ればいいでしょう。でも会いたいからそんな話をするのでしょうから、と平均余命の話をしました。

  お互い85歳だとしますと、男性の平均的な余命は6年余、女性は8年余です。これはあくまで平均です、お二人ともかなり元気ですからそれ以上の余命は確実でしょう。お互い力になりあえる関係になればもっと寿命が伸びて当然でしょう。そういう可能性があるならばそちらの方に動くのが正しいのではないか、と。

  昔は老人のことを古老とも呼びました、土地のことを良く知っているその地域の老人という意味でもありますが、一種の敬意を込めた呼び名です。現在ではころうはころうでも孤老の方が多く使われているでしょう。

    もちろん独り暮らしを否定するものではありませんが、独り暮らしをする者同士が生活を共にする可能性があるならばその実現にむけて動くのが自然の理だと思います。社会的にそういう動きを支える考えと施策があって然るべきと思いつつ戻って来たところです。