昨晩の金曜弔問前に、「事故プレートの説明をしたいので、教頭が同席したい。」という連絡が入った。
事故が起きた時、消防の誤報を受け、学校として何の確認もせず、安易に <全員無事> の報を出した教頭。
6/18の娘の死後も、娘の給食費を我が家の口座から引き落とし続け、遺族に指摘されて、安易に6月分全額を返却し、娘の生きていた証まで消そうとした教頭。
それでも1年以上弔問に来てもらっていたが、やはりこの教頭の教育者としての人間性に疑問を感じ、金曜弔問はお断りしていた。
事故情報プレートの下書きでも、学校で何の確認もせず、違う女子生徒さんの写真を載せ、遺族に持ってくるまで気付かず、遺族に指摘されると、「おかしいですね。」 と謝罪より先に言った教頭。
その教頭が来る事に嫌な予感はしたが、プレートの話ということでOKした。
やはり話は、 「ボートの写真の代わりに、事故現場までの地図を載せる」
「ボートの写真は、生徒が卒業してから」 というものだった。
「生徒会にプレートをみせたが、涙ぐむ生徒がいた。」 「PTA会長も、生徒の顔がわかるものは・・」と、ボートの写真は×らしい。
3年のPTA会長に聞いたの? 涙ぐませるような話の持って行き方を、生徒にしたの?
学校の主張は 「○○さん(娘の名)を忘れないように」 だった・・
私も最初は、「娘を忘れないでいて欲しい」「心に傷を負った生徒さん達に喜んで欲しい」の気持ちで、本棚の設計と書籍選定をし、文庫として寄贈した。
しかし1年が過ぎ、その思い以上に、<生徒さん達のこれからのためにも、二度とこのような悲惨な事故を起こさない> という強い思いが、「真実を伝える事故情報プレートの設置」という気持ちに代わっていった。
「ボート転覆事故のプレートに、ボートの写真は、必要です。」 「生徒さんのためにも」 と強く言っている自分がいた。
*****
その後 「教育委員会の謝罪している写真は?」「保護者会で青ざめて説明する、元校長の写真の掲載は?」の質問に、
教頭の応えは、「図書館で探したが、ありませんでした。」 であった・・・
事故が起きた時、消防の誤報を受け、学校として何の確認もせず、安易に <全員無事> の報を出した教頭。
6/18の娘の死後も、娘の給食費を我が家の口座から引き落とし続け、遺族に指摘されて、安易に6月分全額を返却し、娘の生きていた証まで消そうとした教頭。
それでも1年以上弔問に来てもらっていたが、やはりこの教頭の教育者としての人間性に疑問を感じ、金曜弔問はお断りしていた。
事故情報プレートの下書きでも、学校で何の確認もせず、違う女子生徒さんの写真を載せ、遺族に持ってくるまで気付かず、遺族に指摘されると、「おかしいですね。」 と謝罪より先に言った教頭。
その教頭が来る事に嫌な予感はしたが、プレートの話ということでOKした。
やはり話は、 「ボートの写真の代わりに、事故現場までの地図を載せる」
「ボートの写真は、生徒が卒業してから」 というものだった。
「生徒会にプレートをみせたが、涙ぐむ生徒がいた。」 「PTA会長も、生徒の顔がわかるものは・・」と、ボートの写真は×らしい。
3年のPTA会長に聞いたの? 涙ぐませるような話の持って行き方を、生徒にしたの?
学校の主張は 「○○さん(娘の名)を忘れないように」 だった・・
私も最初は、「娘を忘れないでいて欲しい」「心に傷を負った生徒さん達に喜んで欲しい」の気持ちで、本棚の設計と書籍選定をし、文庫として寄贈した。
しかし1年が過ぎ、その思い以上に、<生徒さん達のこれからのためにも、二度とこのような悲惨な事故を起こさない> という強い思いが、「真実を伝える事故情報プレートの設置」という気持ちに代わっていった。
「ボート転覆事故のプレートに、ボートの写真は、必要です。」 「生徒さんのためにも」 と強く言っている自分がいた。
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その後 「教育委員会の謝罪している写真は?」「保護者会で青ざめて説明する、元校長の写真の掲載は?」の質問に、
教頭の応えは、「図書館で探したが、ありませんでした。」 であった・・・
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