8/29 章南中新校長に「菜の花キャンドル」章南中開催を強く拒否された時
私:「 (娘を失った)母親の私は、この中学に殺された と思っています。
(中学に謝罪の気持ちがあるなら)
この中学で、菜の花キャンドルを開催して欲しいんです。
地元の中学でなら、
同級生やうちの署名活動に力を頂いた校区の方々にも、見てもらえますし、
いまだに心理的に浜名湖を見ることもできない車椅子の私でも、初めて娘の追悼に参加することができます。」
↑ 2010年12月の菜の花キャンドル
*****
小プロが青年の家での静岡県教委民間委託業者から外れて、菜の花キャンドルが無くなることが、私は悲しかった。
でも反対に、地元豊橋での開催可能性が強まったことが、嬉しかった。
そのために、章南中と小プロに開催希望の手紙を書くと言ってくれていた同級生の存在も嬉しかった。
事故後の3年前 豊橋教育長:「静岡の不良パッケージを買わされた。」と同じく、
8/29 章南中校長:「浜名湖で小プロが行うべき行事だ。中学は関与しない。」
とキッパリ線を引かれてしまった・・
9/3に小プロ執行役と担当者達が弔問に来た時、豊橋でのキャンドル開催のお願いをするのは不安で一杯であった。
私:「費用面や法的届出の問題やいろいろ済まさなければいけない事はありますが、
豊橋でもあの綺麗な追悼行事 菜の花キャンドル開催はできませんでしょうか? 」
立場的に強く主張できない小プロではあったが、
まずは小さな集まりから、私達がキャンドル候補場所を探すことに快諾してくれた。
「花菜も馴染みのある西南代公園 ▼ ならみんな集まってくれるかな?」
早速同級生達にメールで確認した私。
「西南代で全然いいと思います!」 今風?返信の同級生。
でもここからがまた問題・・・
公園使用許可の届出やら自治会へのお願いやら・・・
*****
去年 同級生と娘への学校の謝罪や、今年春のハナミズキ記念樹植樹、そして菜の花キャンドル豊橋開催等に
私がこだわるのが不思議なような主人。
「事故情報プレート設置」の私の案には、すぐ賛成してくれた主人だったが・・・
私:「 タイミングが肝心。 後で後悔したくないもの。 」
私:「 (娘を失った)母親の私は、この中学に殺された と思っています。
(中学に謝罪の気持ちがあるなら)
この中学で、菜の花キャンドルを開催して欲しいんです。
地元の中学でなら、
同級生やうちの署名活動に力を頂いた校区の方々にも、見てもらえますし、
いまだに心理的に浜名湖を見ることもできない車椅子の私でも、初めて娘の追悼に参加することができます。」
↑ 2010年12月の菜の花キャンドル
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小プロが青年の家での静岡県教委民間委託業者から外れて、菜の花キャンドルが無くなることが、私は悲しかった。
でも反対に、地元豊橋での開催可能性が強まったことが、嬉しかった。
そのために、章南中と小プロに開催希望の手紙を書くと言ってくれていた同級生の存在も嬉しかった。
事故後の3年前 豊橋教育長:「静岡の不良パッケージを買わされた。」と同じく、
8/29 章南中校長:「浜名湖で小プロが行うべき行事だ。中学は関与しない。」
とキッパリ線を引かれてしまった・・
9/3に小プロ執行役と担当者達が弔問に来た時、豊橋でのキャンドル開催のお願いをするのは不安で一杯であった。
私:「費用面や法的届出の問題やいろいろ済まさなければいけない事はありますが、
豊橋でもあの綺麗な追悼行事 菜の花キャンドル開催はできませんでしょうか? 」
立場的に強く主張できない小プロではあったが、
まずは小さな集まりから、私達がキャンドル候補場所を探すことに快諾してくれた。
「花菜も馴染みのある西南代公園 ▼ ならみんな集まってくれるかな?」
早速同級生達にメールで確認した私。
「西南代で全然いいと思います!」 今風?返信の同級生。
でもここからがまた問題・・・
公園使用許可の届出やら自治会へのお願いやら・・・
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去年 同級生と娘への学校の謝罪や、今年春のハナミズキ記念樹植樹、そして菜の花キャンドル豊橋開催等に
私がこだわるのが不思議なような主人。
「事故情報プレート設置」の私の案には、すぐ賛成してくれた主人だったが・・・
私:「 タイミングが肝心。 後で後悔したくないもの。 」
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