相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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室町将軍

2010-04-17 20:04:17 | 日記
 天皇・大統領・総理大臣・会社社長などは“単独”に
決っているから初代・何代(め)・歴代と数えても差支え
ないが、“複数”のときが多い横綱力士は始祖・何人目
・歴次といわねばおかしい─と讀賣『大相撲』誌が主張
していた。そこで、これに反駁すべき恰好の材料はない
か…。
 手許の日本史年表の「室町幕府」将軍一覧をみると─
10代め足利義植(よしたね)の在位期間は延徳二(1490)年
~大永元(1521)年とあり、11代め足利義澄(よしずみ)の
それは明應三(1494)年~永正五(1508)年とありますので
13年あまりの間は、10代め義植と11代め義澄のふたりの
将軍が“同時に”存在したのか…と思ったら違いますね。
足利義植は一旦将軍職を辞して義澄に譲った後ふたたび
将軍へ復活─「代」数としては10代・12代め将軍とする
のが正確かも知れぬ。残念ながら同時2人将軍に非ず。

『大相撲』昭和37.11(表紙は大鵬と王貞治)連載「相撲
部屋繁盛記」に「雷電」について次の如く列記している。
 七代目 雲州 雷電 為五郎 宝暦十年
 八代目 明石 雷電 灘之助 寛政二年
 九代目 雲州 雷電為右衛門 寛政三年
 十代目    雷電震右衛門 明治六年
 誤魔化してはいけない。爲右エ門附出しは寛政三年と
は違う。≪字数が多くなり、続きは明日記述します≫
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栄枯盛衰

2010-04-17 13:18:31 | 日記
 制限時間前、相手が立てば最初の仕切りでも堂々と
受けて立ち、“不滅の金字塔”69連勝に輝く不世出の
超一流横綱双葉山が新興勢力に築きあげた時津風部屋。
 昭和三十年代、こんなことが珍しくなかった…。
稽古場で泣く子も黙る当時協会理事長の時津風親方が
無言で眼を光らせているだけで緊張感が漲る─ところが
師匠が協会の仕事で部屋から姿を消した途端、だらけた
雰囲気になってしまう。弟子たちが強くなるわけがない。
 栄枯盛衰は世の習いというが、豊山が昇進してから
大関を出せず、北葉山が佐田の山〔当時佐田乃山〕との
決定戦を制してから優勝力士も出していない四十余年来
の“斜陽”の相撲部屋。その点、老舗の出羽海と対蹠的
でさえある。
 諺に「石の上にも三年」があり、角界では3年先・
5年先に強くなるための稽古をせよ─という。しかし、
一般社会でも就職して3年も辛抱できぬ若者が多く、
力士の新弟子教育が難しくなっていると思える。
 名門時津風部屋での不祥事は大相撲のイメージダウン
であり、弟子不足に拍車をかけることが懸念される。

 以上は平成19.9.30『長崎新聞』への拙稿でした。
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