幕末の嘉永七(1854)年二月場所、東幕下十枚目
(現十両最下位)竜ヶ峯柳太が初日から千穐楽まで
10日間を全部白星で飾っております。
○緑 松(幕下筆頭=現在の数え方=以下おなじ)
○殿 り(〃八枚目=後三流横綱不知火)
○松ケ枝(〃七枚目=後幕内千賀ノ浦)
○三ッ鱗(〃六枚目)
○八十嶋(〃十二枚目)
○的 石(〃十枚目)
○立田野(〃二十枚目)
○玉頭山(〃二枚目
○嶋ノ浦(〃十七枚目)
○三ッノ海(〃五枚目)
いやぁ……当時の取組編成法にも“物言い”を
つけたくなりますねぇ。今でいえば、十両どん尻
力士に幕下連中を対戦させるようなものですから。
でも、翌場所の嘉永七年十一月番附で、たった
3枚しか上らず東幕下(現十両)七枚目に止まって
おります。
なんだか…最近の郷土力士下田改め宇映を思い
出しましたね。千載一遇のチャンスを逸すると…。
この竜ヶ峯は、その後“貧乏神”(十両筆頭の意)
まで上った〔但し、その場所興行中止。〕けれど、
欠場が多かった。体調不良と想像されよう…。
尚、大阪番附で最高位前頭三枚目となっています。
(現十両最下位)竜ヶ峯柳太が初日から千穐楽まで
10日間を全部白星で飾っております。
○緑 松(幕下筆頭=現在の数え方=以下おなじ)
○殿 り(〃八枚目=後三流横綱不知火)
○松ケ枝(〃七枚目=後幕内千賀ノ浦)
○三ッ鱗(〃六枚目)
○八十嶋(〃十二枚目)
○的 石(〃十枚目)
○立田野(〃二十枚目)
○玉頭山(〃二枚目
○嶋ノ浦(〃十七枚目)
○三ッノ海(〃五枚目)
いやぁ……当時の取組編成法にも“物言い”を
つけたくなりますねぇ。今でいえば、十両どん尻
力士に幕下連中を対戦させるようなものですから。
でも、翌場所の嘉永七年十一月番附で、たった
3枚しか上らず東幕下(現十両)七枚目に止まって
おります。
なんだか…最近の郷土力士下田改め宇映を思い
出しましたね。千載一遇のチャンスを逸すると…。
この竜ヶ峯は、その後“貧乏神”(十両筆頭の意)
まで上った〔但し、その場所興行中止。〕けれど、
欠場が多かった。体調不良と想像されよう…。
尚、大阪番附で最高位前頭三枚目となっています。