相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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画像添付に失敗

2010-04-25 21:10:53 | 日記
 「出釈伽山・逆鉾の取組」絵を写真屋で拡大してもらい
更にデジカメで接写して、それをパソコンへ画像を転送…
…ここまでは、なんとか出来ましたけれども、そのあとが
どうしても…うまくいきません。過日の拙稿「脱落発見」
の記事に添付したいのですが、失敗ばかりで時間を浪費し
ており、我ながら情けないかぎりであります。

 当錦絵の「庄吉改」の3文字は、小さく記載してあり、
「改」なんか「木村庄九郎」の「木」という字の右下部分
と…すこし重なった状態─てな具合で読みづらい感じです。
当記事に貼付しても判読できるか・どうか…わかりません。

 因みに、3枚つづきの錦絵に描かれている人物は両力士
や行司の庄九郎とともに、「年寄 境川」が“中改め”(→
検査役→審判員)として坐っております。元大関の境川(←
鬼面山←六ッヶ峰←増位山)と思われます。
 なお念のために申しあげると「年寄」の「寄」の文字は
「竒」と書かれております。彼境川は当、文久二年から…
数年後の慶應三年歿。
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なんでもはっきりさせよう

2010-04-25 12:45:08 | 日記
 はっきりさせておきたいことは、いろいろあります。
たとえば、日本相撲協会の年寄名跡のひとつ出羽ノ海
から「ノ」という片仮名がカットされて出羽海と短縮
されたのは…果していつなのか。『大相撲人物大事典』
(平成十三年四月末刊)が、戦前まで出羽ノ海、戦後を
出羽海と表記しているのは、どのような根拠に基くの
であろうか…。一説には、出羽海秀光(元横綱常ノ花)
から「ノ」が消えたというが如何。

 真実はもっと遡るようであります。大正五年夏場所
番附をよくみると、取締2場所めの出羽海谷右エ門(元
横綱常陸山)に「ノ」の文字は書かれておりません。
相撲字〔根岸流ともいうが…〕では「海」の「毎」の
部分で、「ノ」と「一」の上部に「丶」がついていて
「海」の上に「ノ」があるか・否か判読に苦しむ場合
があります。小生の眼には、その後、全員が平年寄の
昭和二年春場所と、同七年夏場所番附の相談役に出羽
ノ海梶之助(元小結両國)とあるが“誤記”でしょう。
 昭和三十五年頃までは、新聞ばかりではなく、相撲
雑誌も出羽ノ海と誤って書かれることが多かったのは、
誠に遺憾に存じます。
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