相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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意外な記録

2010-04-18 20:29:16 | 日記
 昭和天皇が絶賛されたという富士櫻─麒麟児は両力士
ともに突き・押し相撲だから…“水入り”になるとは
思えず、況して引分けなんて絶対考えられないだろう。

 この度、大正末期~昭和初期の“過渡期”における
幕内力士のひとり綾鬼喜一郎が在幕18連敗している
ので、あらためて成績を調べてみて意外性を感じました。
 彼も押し相撲なのに引分けが111番中、5箇も記録…
引分け率4.5%にも達するのであります。そればかり
じゃなく、大正十五年の取直し制度実施=原則的引分け
廃止直後におなじ押し相撲タイプの若太刀と引分けを
記録しております。
 資料不足ゆえ、押しを得意とする両力士なのに…どの
ような相撲内容で引分けたのか。まさか“水入りなし”
の引分けではあるまい。想像がつかないのであります。

 彼、綾鬼は“あんこ”型の力士で、土俵から去った後
短命でありました。
 以前、力士体型と寿命との関係について…すこしばかり
調査したことがあります。長寿もと力士に“あんこ”型
は少ないことを実証したつもりなのであります。
 勿論、例外的存在の力士もいたことを忘れません。
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幾何じゃなく代数の話?

2010-04-18 13:03:13 | 日記
 彦山光三著『相撲道綜鑑』では「…私は横綱に代数を
附する習慣に反対…世襲でもなく、何等かの形を相傳
するものでもなく、あくまで個人的の資格であり、独自
的の栄誉…」と柔軟姿勢だったが『横綱傳』になると
「…横綱力士を何代・何代というものが多いがあやまり
…」と強硬意見に変りました。

 寛政二(1790)年三月場所、東方幕尻(前頭五枚目)へ
雷電灘之助が入幕〔但し、前年十一月場所星取表に…
東前頭四枚目に彼が記載された史料も存在している〕。
そして翌場所の寛政二年十一月、古今最強(?)力士の
雷電爲右衞門が西方関脇へ附出された。
 この2人雷電は寛政六年三月、八代〔?〕目雷電の
灘之助が手柄山と改名したため解消いたしました。
 『大相撲』誌が「佐渡ヶ嶽部屋繁盛記」(昭37.11)で
八代目…灘之助・九代目…為右衛門──と8代めと9
代めが同時に東西に対立して対戦しても全然おかしく
ないとすれば、横綱を何代(め)と称してもおかしくない
理屈になります。それとも屁理屈かな…。〔雷電爲…
が横綱でなかろうと・横綱だろうと無関係です。〕
 小生がアンチ彦山派の立場だとすれば…以上の如く
反駁するでしょう。
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