相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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取組制度の変遷

2010-04-02 23:13:40 | 日記
大相撲の取組制度を歴史的に…大きく分類すると
「東西(対抗)制」と「総当り制」との二つになる。
 明治・大正時代は、ずっと前者なのだが、これは
明治初め頃は“過渡期”みたいだが、段々幕内力士
に限られてくる──つまり、幕下(十両)以下は、
「総当り」なのでありました。
 その「総当り」が“個人別”じゃないのは当然だ
として、果して同系統同志の対戦があったか・否か
の穿鑿は難しい。明治初期と大正末で系統それ自体
も異なっている。
 では、江戸時代はどうであったか…。文政年間の
三段目以下序ノ口まで瞥見すると、東方同士・西方
同士の取組は殆んど見当らないようであります。
そればかりじゃなく、東→西や西→東の“移動”も
稀と思われます。
 三役~幕下10枚目は、『日本相撲史』上巻星取表
を…それこそ何度も繰返し眺めていますが、東西間
の移動は珍しくありません。
 もうひとつ特色は、序二段あたりから下位力士は
大体“隔日出場”みたいである。しかし、現代の…
幕下以下の如く、同成績者同士を原則取組ませている
ことはございません。
 また、既述したとおり…一日2番相撲を取った下位
力士が少なくないのであります。
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勇み足?

2010-04-02 13:07:26 | 日記
 相撲協会の出羽海理事長は横綱審議委に対し、
推薦基準の見直しを要請したという。その内規に
は大関で連続優勝が原則とあり、昭和三十三年に
成文化された。だが、原則どおり連覇で横綱にな
ったのは大鵬・北の冨士・琴櫻・旭富士・曙の5
力士にすぎず、他はおおむね「準ずる成績」を
“拡大解釈”して推され、角界の象徴たる横綱を
粗製・濫造していると批判する意見も少なくない。
しかも前記5人でさえ玉石混淆であり、いわゆる
「日下開山」のイメージにぴったりなのが何人いる
か思い出して慾しい。逆に北の湖や千代の富士らは
大関で連覇せず、昇進後その重責を立派に果した
わけであり、連覇の大関イコール横綱という基準が
いかに杜撰か、戦後相撲史が証明しているだろう。
大関推薦は最近、3場所通算33勝とされているのに
大関以上の最高の栄誉である横綱が、2場所だけの
好成績で検討されるのはおかしい。角番を繰返す
大関が横綱候補になったりする。〔後略〕

 上記は平成六年九月の郷土紙『長崎新聞』への寄稿
だが、冒頭の…当時の出羽海理事長(元横綱佐田の山)
が、横審委に対する「推薦基準見直し」の要請云々は
共同通信社記者のいわば“勇み足”であり、その事実
があったか・どうか疑わしい。
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