大相撲の取組制度を歴史的に…大きく分類すると
「東西(対抗)制」と「総当り制」との二つになる。
明治・大正時代は、ずっと前者なのだが、これは
明治初め頃は“過渡期”みたいだが、段々幕内力士
に限られてくる──つまり、幕下(十両)以下は、
「総当り」なのでありました。
その「総当り」が“個人別”じゃないのは当然だ
として、果して同系統同志の対戦があったか・否か
の穿鑿は難しい。明治初期と大正末で系統それ自体
も異なっている。
では、江戸時代はどうであったか…。文政年間の
三段目以下序ノ口まで瞥見すると、東方同士・西方
同士の取組は殆んど見当らないようであります。
そればかりじゃなく、東→西や西→東の“移動”も
稀と思われます。
三役~幕下10枚目は、『日本相撲史』上巻星取表
を…それこそ何度も繰返し眺めていますが、東西間
の移動は珍しくありません。
もうひとつ特色は、序二段あたりから下位力士は
大体“隔日出場”みたいである。しかし、現代の…
幕下以下の如く、同成績者同士を原則取組ませている
ことはございません。
また、既述したとおり…一日2番相撲を取った下位
力士が少なくないのであります。
「東西(対抗)制」と「総当り制」との二つになる。
明治・大正時代は、ずっと前者なのだが、これは
明治初め頃は“過渡期”みたいだが、段々幕内力士
に限られてくる──つまり、幕下(十両)以下は、
「総当り」なのでありました。
その「総当り」が“個人別”じゃないのは当然だ
として、果して同系統同志の対戦があったか・否か
の穿鑿は難しい。明治初期と大正末で系統それ自体
も異なっている。
では、江戸時代はどうであったか…。文政年間の
三段目以下序ノ口まで瞥見すると、東方同士・西方
同士の取組は殆んど見当らないようであります。
そればかりじゃなく、東→西や西→東の“移動”も
稀と思われます。
三役~幕下10枚目は、『日本相撲史』上巻星取表
を…それこそ何度も繰返し眺めていますが、東西間
の移動は珍しくありません。
もうひとつ特色は、序二段あたりから下位力士は
大体“隔日出場”みたいである。しかし、現代の…
幕下以下の如く、同成績者同士を原則取組ませている
ことはございません。
また、既述したとおり…一日2番相撲を取った下位
力士が少なくないのであります。