『日本相撲史』江戸篇をあらためて検証してみた…。
閏月に本場所開催が6度ばかりあったのに、すべて無
視してしまっております。
昭和三十一年五月の著者による「あとがき」には…
この書の眼目は二百年来の番附、勝負星取を明らかに
することにあるのだ…と断じていますが果してどうか。
中巻の明治・大正篇の星取表は、十両最下位(←幕下
10枚目)まで揃っている〔但し、番附外出場で一部洩れ
ている。〕けれども、上巻はその点、随分いい加減です。
『相撲起顕』収載の享和以降は、二段目10枚目まで
不備はないものと思っていたら、残念でした。
天保五年春まで11場所が、東西もしくは、東方・西方
の片方の最下位(現十両)の星取り表不掲載なのである。
大抵その場所の平幕が8枚と多いときであります。
具体的には…天保年間は前記1場所だけですが、文政
期は意外に多く、8場所も不備であることが判りました。
あとは、文化元年冬と享和二年冬が幕下10枚目は載って
おりません。
その他、文政十二年冬の二段目10枚目あたりが…鳥渡
おかしい…不自然な状態なんです。
閏月に本場所開催が6度ばかりあったのに、すべて無
視してしまっております。
昭和三十一年五月の著者による「あとがき」には…
この書の眼目は二百年来の番附、勝負星取を明らかに
することにあるのだ…と断じていますが果してどうか。
中巻の明治・大正篇の星取表は、十両最下位(←幕下
10枚目)まで揃っている〔但し、番附外出場で一部洩れ
ている。〕けれども、上巻はその点、随分いい加減です。
『相撲起顕』収載の享和以降は、二段目10枚目まで
不備はないものと思っていたら、残念でした。
天保五年春まで11場所が、東西もしくは、東方・西方
の片方の最下位(現十両)の星取り表不掲載なのである。
大抵その場所の平幕が8枚と多いときであります。
具体的には…天保年間は前記1場所だけですが、文政
期は意外に多く、8場所も不備であることが判りました。
あとは、文化元年冬と享和二年冬が幕下10枚目は載って
おりません。
その他、文政十二年冬の二段目10枚目あたりが…鳥渡
おかしい…不自然な状態なんです。