相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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最下位

2010-04-28 12:50:37 | 日記
 『日本相撲史』江戸篇をあらためて検証してみた…。
閏月に本場所開催が6度ばかりあったのに、すべて無
視してしまっております。

 昭和三十一年五月の著者による「あとがき」には…
この書の眼目は二百年来の番附、勝負星取を明らかに
することにあるのだ…と断じていますが果してどうか。

 中巻の明治・大正篇の星取表は、十両最下位(←幕下
10枚目)まで揃っている〔但し、番附外出場で一部洩れ
ている。〕けれども、上巻はその点、随分いい加減です。

 『相撲起顕』収載の享和以降は、二段目10枚目まで
不備はないものと思っていたら、残念でした。
 天保五年春まで11場所が、東西もしくは、東方・西方
の片方の最下位(現十両)の星取り表不掲載なのである。
大抵その場所の平幕が8枚と多いときであります。

 具体的には…天保年間は前記1場所だけですが、文政
期は意外に多く、8場所も不備であることが判りました。
あとは、文化元年冬と享和二年冬が幕下10枚目は載って
おりません。

 その他、文政十二年冬の二段目10枚目あたりが…鳥渡
おかしい…不自然な状態なんです。
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2冊めをget!

2010-04-27 20:12:24 | 日記
 出版社が“我国最高の相撲文献”と標榜していた
酒井忠正もと伯爵・農相の大著『日本相撲史』上巻
「神代から江戸時代」を…奮発して¥30,000
にて再度購入いたしました。
 HP「歴代相撲協会役員一覧」〔手前味噌みたい
だが小生も協力したのに…〕を7年も更新せずに、
もう相撲(史)なんか興味をなくしたというN君から
譲渡─彼はK氏から¥50,000で購入したそうな。
 なんで2冊めを慾しくなったのか。理由はひとつ。
発刊から7年後の昭和三十八年に¥2,500の定価で
買ったやつは、頻繁にページを開いて〔必ずしも毎日
ではないが…〕いるうちに、痛みが激しくなって
きました。本文の紙が破れそうになっている箇所も
あるくらい…。
 書き込みも沢山あります〔と、いっても99%鉛筆〕
節会相撲のあたりはあまり捲らないが江戸勧進相撲
は肝腎なので汚れている部分もあります。

 47年前入手のは「限定刊行1500部の内第1302番」と
あるが、今回のは“欠番”になっているのはなぜだろう

 個人で上巻を現在所有している方はどれくらいの数
なのか見当つかぬが2冊所蔵者はすくないでしょうね
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頭でっかち

2010-04-27 12:50:26 | 日記
 大正七年五月場所の番附が前代未聞の“頭でっかち”
でありましたなぁ…。超剛横綱太刀山引退に替って、
小兵の大力士栃木山が新横綱へ…4人横綱は変らず…
しかし、東方が正位に大錦(卯一郎)、張出に栃木山・
西ノ海(←錦洋)のふたりで計3人に対して、西方には
正位の鳳だけという不均衡…。
 大関陣は、前場所が東に栃木山、西に朝潮(←朝汐←
朝嵐)・伊勢ノ濱という陣容だったので、栃木山が抜け
東方ゼロ、西方2名なので、東へ九州山(十郎)、西へ
千葉ヶのアベック昇進…という次第で大関も4力士
━東1・西3。
 結局、4横綱・4大関になってしまい、東西を合計
して…やっと4対4のバランスだけ整えた恰好である。
 横綱・大関の粗製・濫造と批判・非難されても…誰
だって反駁できまい──という見解を象徴するような
大正期の大相撲番附でありました。

 ちょっとばかりの短文を終ります。
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専修学校→教習所

2010-04-26 19:52:33 | 日記
 財團法人大日本相撲協會〔当時〕寄附行爲の第二章
目的及事業の第三條「本協會は…左の事業を行ふ」と
あり、その第1項に「相撲專修學校の設立維持。」と
ありました。けれども戦前の大相撲協会が“相撲専修
学校”を設立した形跡があったのでしょうか…。ただ、
幕内阿久津川→佐渡ヶ嶽理事が一般向けに相撲の指導
をやっていたにすぎなかったのじゃなかったのかな。

 “角界の黒幕”と云われた大麻唯男国務大臣の急逝
直後、当時野党第1党の社会党(現社民党)議員の追及に
よって、国会で相撲協会の在り方が大問題となってから
…専修学校が…教習所にすり替えられてしまった。

 数年後には義務教育の小・中学校で「武道」が必修
科目に採り入れられるらしい。柔・剣道とともに相撲も
当然含まれるべきであろう。
 相撲協会指導普及部の本格的な出番ではないか…。
元力士─幕下上位以上を最高位とする者を相撲実技指導
者に養成して、各地方へ派遣すべきだろう。年寄襲名者
は新弟子など力士の養成、非襲名者は一般国民に対する
指導にあたらせたい。
 兎に角、各学校に柔道や剣道の先生はいても、相撲の
教師がほとんどいないのが現状━底辺の拡大も急務だ。
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重要事項

2010-04-26 13:03:58 | 日記
 安永二(1773)年の江戸幕府がプロ相撲=大相撲
を“公認”した史実は、「相撲史年表」へ記載さ
れたことがないと思っておりました。ところが、
昭和五十年六月刊『相撲浮世絵』(別冊相撲夏季
号)の「江戸相撲年表」安永二年のところに括弧
して(専門力士の外は木戸銭を禁止)。との略記
がありました。ただ、「相撲界(主な相撲記録)」の
欄ではなく、最下段の「相撲絵画(浮世絵界)」の
欄へ記載なので…いままで見逃しておりました。
 担当者は当時『相撲』編集部へ籍をおいていた
池田雅雄氏であろう。やはり流石というほかない。
重要事項であったと認識されていたことに敬意を
表したいと思います。

 ところが、『日本相撲史』㊤はじめ大抵の相撲
関聯書における「年表」に…当該事項を記載して
あるのにお眼にかかったことがございません。
 私見では、昭和二年の項目に「取組制度改革」と
して…中入り後イコール幕内取組となる━との記載
を特記すべきだと考えております。
 昭和二年は、東・西両協会合併だけがクローズ
アップされる傾向があるために…取組順の改革が
蔭にかくれてしまった感じがいたします。
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