相撲史に関心・興味のある方どうぞ

相撲史に関心・興味のある方どうぞ

断酒で急逝した…瀧太郎

2019-12-23 21:56:00 | 日記
【昨夜のつづき】
私〔註=今井達夫氏〕も〔中略〕「相撲」誌
上に感想を書いたりして彼〔註=彦山翁〕と
親しくなったのだが、豪酒家だった彼は水上
滝太郎の死後、あんまり厳格に禁酒を断行し
たのがかえってよくなかったのではないかと
歎いていた。彼自身も高血圧に悩まされて
いたにもかかわらず、酒を断たず、こうして
生きているのにといった彼の残念そうな顔は、
まだ目に残っている。〔後略〕

 M生命保険会社取締の…瀧太郎は、昭和十五年
三月…、満52歳の若さで急逝。

 私事で恐縮だが、以前「低血圧」だったが、
最近は血圧正常なんで、365日“休肝日”なんか
もうけず「節酒」で、まぁ元気溌溂の心算です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三役陣の出欠情況 その120

2019-12-23 13:45:23 | 日記
※昨日の閲覧…1,389・訪問…355
トータル訪問者数 633,459

 文政七(1824)年冬場所の三役陣。

東大関 柏 戸 七日目まで出場
西大関 四賀峰 4日間を出場
東関脇 源氏山 10日間を全休
西関脇 千年川  〃  〃
東小結 小 柳 8日間を出場
       〔七日目、四賀峰に休まれた?〕
西小結 音羽山 八日目まで出場

 当年、春は両大関が欠場…と、思ったら、
またまた上位で東西の関脇2人が土俵へ
全然すがたをみせず…。

 想像を逞しくすれば、番附を編成後、本
場所の開幕までの期間が相当長いのが一因
ではないか…。仮に、出場不能が想定内なら
番附へ記載されないはずではないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする