今夕、『壬午山ノート④』を拝受した。
タイトルは「詳細・大相撲事件年表」で、
慶長六(1601)年三月…から明治四十五年
五月…までの凡そ300年を対象にしている。
忌憚なく批判しよう。
横綱では、丸山権太左衞門が寛延二(17
49)年十一月…当長崎にて急逝━割愛された。
彼の「横綱説」穏当の可否に関係なく、
相撲史に欠かせない人物だ。あと8年ばか
り“延命”したならば、江戸番附の「大関」に
記載されていたと思われる。
大関では、明和六(1769)年十一月…白川
関右エ門が稽古場で足を負傷し「破傷風」の
ため現役急逝━これもカットされている。
“看板”力士ではあるけれども…。
尚、破傷風菌発見の北里柴三郎は間もなく
紙幣に登場するはず。板垣退助らとともに
好角家で明治末、協会へ「要望書」を提出。
当該労作の照会・申込みは杉浦 弘氏ま
で━☎0538-55-2655
タイトルは「詳細・大相撲事件年表」で、
慶長六(1601)年三月…から明治四十五年
五月…までの凡そ300年を対象にしている。
忌憚なく批判しよう。
横綱では、丸山権太左衞門が寛延二(17
49)年十一月…当長崎にて急逝━割愛された。
彼の「横綱説」穏当の可否に関係なく、
相撲史に欠かせない人物だ。あと8年ばか
り“延命”したならば、江戸番附の「大関」に
記載されていたと思われる。
大関では、明和六(1769)年十一月…白川
関右エ門が稽古場で足を負傷し「破傷風」の
ため現役急逝━これもカットされている。
“看板”力士ではあるけれども…。
尚、破傷風菌発見の北里柴三郎は間もなく
紙幣に登場するはず。板垣退助らとともに
好角家で明治末、協会へ「要望書」を提出。
当該労作の照会・申込みは杉浦 弘氏ま
で━☎0538-55-2655