相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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山田川清太郎

2019-12-10 21:57:43 | 日記
 本姓のあとに「山」をつけた醜名は
すくなくない。郷土出身の福田山など
……。
 ところが、本名に「川」をつけて醜名
にした事例は少ないと思っている。

 大正二年夏場所、西前頭十三枚目〔幕尻
から6枚め〕へ入幕した山田川清太郎の
姓名は山田清太郎である。しかし、当場所
1勝しかできず、30歳未満で土俵と訣別した
らしい。

 『…人物大事典』の記述に━。

…名古屋での東西合併興行中に大阪力士の
大嵐と柏山から暴行を受けて重傷を負い…

 これは表沙汰⇒刑事事件に発展したので
あろうか。「傷害罪」で、加害者が大阪系、
被害者が東京力士じゃぁないのか。
コメント (1)
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稿料3,600円

2019-12-10 13:33:19 | 日記
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 讀賣新聞社刊『大相撲』誌へ寄稿して、
原稿料¥4,000〔-税額400円〕を頂戴
したものを以下に転載する。

 小生がはじめて本誌「大相撲」を読んだのは、
もう二十年前の昭和三十七年六月である。当時
中学三年生で、勉強などそっちのけにして「夏場所
総決算号」のページをめくった。それまでラジオ、
テレビ観戦で、大好きな四十五人目横綱若乃花が
勝ち名乗りを受ければ満足だった。思えば偶然か
必然か贔屓力士引退によって相撲雑誌に手をのばし
始めた次第。
 そこで記念すべき三十七年六月号を引っ張り出して
みる。「立派な“実”を結んだ若乃花」と題し、彦山
光三翁が書いている。彦山翁の文章を読んだのも
これが最初だった。とくに「わしは今後年寄二子山は
(中略)後進の育成に全能力をそそぐであろうことを
信じてうたがわない」と結んであるのが印象的。
 次に「歴次横綱対戦相手つき成績一覧」が、父と
同じ大正三年生まれの羽黒山と安芸海で、当時は
知らなかった力士名がずらり。【後略】

(「創刊300号記念号」━「読者の意見」より)
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