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三役陣の出欠情況 その120

2019-12-23 13:45:23 | 日記
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 文政七(1824)年冬場所の三役陣。

東大関 柏 戸 七日目まで出場
西大関 四賀峰 4日間を出場
東関脇 源氏山 10日間を全休
西関脇 千年川  〃  〃
東小結 小 柳 8日間を出場
       〔七日目、四賀峰に休まれた?〕
西小結 音羽山 八日目まで出場

 当年、春は両大関が欠場…と、思ったら、
またまた上位で東西の関脇2人が土俵へ
全然すがたをみせず…。

 想像を逞しくすれば、番附を編成後、本
場所の開幕までの期間が相当長いのが一因
ではないか…。仮に、出場不能が想定内なら
番附へ記載されないはずではないか。
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