今夜は他人(ひと)の褌(ふんどし)で
相撲を取ります。
かつて読売…刊『大相撲』記事に、木村
久邇典氏(大正12~平成12)著『人間山本
周五郎』(昭和43刊)には「彦山さん等相撲
のことが…」出ている云々。でも彦山光三に
関する“核心”箇所は、今井達夫氏(明治37~
昭和53)著『水上瀧太郎』(同年刊)の方が興味
津々なんです。
彦山光三は読売新聞紙上で場所ごとに批評
を書いていたが、この文章のころ〔註=昭和
十五年〕は大相撲協会の編集部に籍をおいて、
雑誌「相撲」の編集を受持っていた。〔中略〕
彦山光三はもともと山本周五郎の友人で、相撲
が一時人気を失い、観客の姿がまばらだった時
期、そのころ大森馬込に来り住んでいた山本を通
じて、大森馬込住人たち、尾崎士郎、鈴木彦次郎
たちを招いて国技館の空席を埋めたのがきっかけ
で、その後和木清三郎も相知るようになり、水上
滝太郎を知ることになったのである。私も馬込
住人として山本から紹介され彦山光三を知り
国技館へも毎場所招かれ「相撲」誌上に感想を
書いたりして彼と親しくなった…
鳥渡ばかり長くなったので続きは明日へ。
相撲を取ります。
かつて読売…刊『大相撲』記事に、木村
久邇典氏(大正12~平成12)著『人間山本
周五郎』(昭和43刊)には「彦山さん等相撲
のことが…」出ている云々。でも彦山光三に
関する“核心”箇所は、今井達夫氏(明治37~
昭和53)著『水上瀧太郎』(同年刊)の方が興味
津々なんです。
彦山光三は読売新聞紙上で場所ごとに批評
を書いていたが、この文章のころ〔註=昭和
十五年〕は大相撲協会の編集部に籍をおいて、
雑誌「相撲」の編集を受持っていた。〔中略〕
彦山光三はもともと山本周五郎の友人で、相撲
が一時人気を失い、観客の姿がまばらだった時
期、そのころ大森馬込に来り住んでいた山本を通
じて、大森馬込住人たち、尾崎士郎、鈴木彦次郎
たちを招いて国技館の空席を埋めたのがきっかけ
で、その後和木清三郎も相知るようになり、水上
滝太郎を知ることになったのである。私も馬込
住人として山本から紹介され彦山光三を知り
国技館へも毎場所招かれ「相撲」誌上に感想を
書いたりして彼と親しくなった…
鳥渡ばかり長くなったので続きは明日へ。