阿部薫 どびん茶瓶かおる便

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光市母子殺害の判決について私の所感

2008年04月22日 23時35分56秒 | Weblog
量刑の基準なんて変な話。
人を殺した人数ではない。年齢は関係あるかもしれないが、当時18歳と言う年齢を少年と定義出来るかと言ったら難しい。
私にしてみれば、18歳は未熟かもしれないが、十分大人。
どうせ少年犯罪だし、初犯だし裁判になれば、最高でも無期懲役。死刑はあり得ないと本人も最初はふんだであろう。だから、友人に送った手紙のような内容が当時書けたのであろう。
けれど、実際自分の命に関わる死刑が本当に目の前に迫ってきた。
そこで初めて、自分が置かれた立場や、自分が犯した罪にちゃんと向き合えるようになったかもしれない。

 最高裁から差し戻されて、再審理が始まり、弁護士も変わり、1審2審と違う証言を始め、その内容たるや聞くに耐えないことばかり。
なぜあそこで、素直に自分が犯した罪を認めなかったのか。重大な罪を犯してしまった反省の気持ちを言えなかったのか。また、弁護団も被告との接見中の発言にたいしてどう思ったのか。本当の意味での、被告の反省感は何処まで理解していたのか。差し戻し審の時に、少年が吐いた言葉「検察側は僕をなめないで欲しい。」。
 この言葉をはかせたのは何なのか。弁護団が、弁護すればする程、情状の余地はどんどん無くなっていったと思うし、被告を本当に反省させる事が出来なかったのではないかと思う。って言うか出来てない。
 死刑を免れるための、証言をし、傷害致死までに裁量を押さえようと。
 弁護士抜きの被告本人の、心の奥底の言葉を今回の差し戻し審で多少は聞けるかと思ったが、それはままならなかったわけである。

悪い事をすれば、その罰はどんな形かで食らうであろう。
殺人を犯した本人が捕まり、その後どのように反省し、殺害された被害者の事を考え、自分がどのよう生き、どんなふうに反省して、相手に償うのか。。。
亡くなってしまった被害者は戻って来ない。そして残された被害者家族の悲しみは一生消えない。
どれだけ重い罪を背負ってしまったのか、どれだけの事をしてしまったのか、この被告はどこまでそれらを感じているのか、今回の弁護団の弁護では全く分からない。

今回の判決は被告の態度もそうだが、証言内容などみても酌量の余地は無しで最高刑の死刑が妥当だと思う。
世界中では、徐々に死刑廃止が広がってきているけど、日本ではまだ廃止になっていないし、最高刑に処して値するとおもう。
今後、殺人において、死刑が無くなった場合、情状酌量の余地がない場合は無期懲役とかではなく、終身刑をもって被告は一生涯、刑務所から出られないようにして、償わせるべきだと思う。
殺人においては、量刑がもっと重くなっていいと思う。

本村さんにおかれては、長い長い裁判で、筆舌に尽くしがたい日々を送られていたと思う。
本村さんの気持ちは誰にも分からない。どれだけ苦しまれたか。
そんな中でも、しっかり勉強されて、亡き家族の事を日々思い、今日まで戦って来られた事。。。本当に頭が下がります。
淡々と記者会見をされて語る姿を見て目頭が熱くなった。

弁護団は即刻控訴したが、弁護団の記者会見を見ても、結局この人達は、被告に何もしてあげられなかったなと思った。
この弁護団でなければという思いが頭の中を駆け巡る。