野となれ山となれ...アホとなれ じょんのじょんなラン日記

1年近くお休みしましたが、100万PVを越えて自由気ままに書こうと思い、気の向くままに更新していきます

STY~18時間の記憶~

2014-04-28 14:32:58 | トライアスロン

満を持して

自信を持って臨んだ4月26日

STY

91.5km累積標高差+4715m

過去最高の難易度となったコース。そこに待つのは天国か地獄か?


スタート前には多くの仲間と再開でき新しい出会いもあり

充実した気持ちでスタートラインへ着けました

12時号砲


颯爽と駆けだし

2時間15分程度であっという間にA8西富士到着

ここで水を満載してここから始まる天子山塊へ準備します

数キロロードを走り天子の登りへ

しかし、これほどの悪魔の地形が待ち受けていようとは思いませんでした・・・

いきなり高度差800mの直登!

それもアホほどの急勾配

何とか登り切るも途中から顔から滝のような冷や汗が・・

心拍を上げると一気にふきだし

10秒も休めば回復するというよくわからない状態(後に低血糖と分かるもそれはゴール後)

冷や汗の量を考えれば天子山塊でペースダウンした場合の水の量を計算して行くと毎時250CCの計算で降りる前に底を着く

補給食は固形物は摂れないジェルしか・・・と思いジェルを少しづつ飲むも回復せず

山塊を抜ける頃には夜となり

想像をはるかに超える山にぼこぼこにされ

4時間少しかかりA9麓に到着

しっかり水分を補給し、補給をとり、水をザックに詰めA9をスタート

竜ヶ岳を目指ししばしフラットなトレイルを走ります

しかし、前半で補給がうまくいかなかったつけが更にここではっきり体に現れてきます

登りに入ると寝てしまうという状態に・・・

少し頑張って登ると気を失い立ったまま寝てしまう

こまめに立ち止まるという休憩を入れつつも意識を維持できず

考え抜いて出た答えが1分寝て10分走ろう

そう思い、人が一人座れるスペースがあれば座り、座ったまま1分寝て

1分で起きてすぐに走る!を繰り返していくと走れることが分かり

それを繰り返します

しかし、長い登りはそうはいかずこのあたりから記憶がほとんど無くなります

そもそもA9~A10の間の山があったことすらこの記事を書くためにコース図を確認して思いだしたほどです

3時間かけて越えた山を覚えてない・・・まあそういう状態です

この辺りから「もう次のエイドまでしか無理だ、一旦寝ないと崖にでも落ちてしまう。次で30分..いや3時間寝よう。それで回復しなければこのレース降りよう」と思いつつ、何度山の斜面で寝たことか、道端で寝たことか

そうこうしつつA10まで辿りつきました

フラフラで意識朦朧としている状態でA10に入ると

KKPの仲間が待っていてくれました

もう無理なんで休ませて下さいと懇願するも、次のエイドまで行きましょう!絶対大丈夫!絶対行けるから

そう言われ意識朦朧な私はよくわからないままA10を出発します

もう止めようと思っていたのに、もう動けないのに・・そう思いつつもA11への19kmを歩みます

冒頭に乗せた図でもわかるように中の倉山、パノラマ台を越えて行く疲れた状態では非常に厳しい山塊が待ち受けています

私はこの登りを前に低体温症をおこしていて震えが止まらなくなっていました

寒さが厳しくなったにも関わらず

勝負に出るため必要最低限しか装備を持っていない私はもう長袖は着ているし、唯一持っていたウインドベストも着ていてもう着るものとなれば雨がっぱしかありません

最後の砦であるかっぱを着るか着ないか?は即判断が着きました

着るしかない!!

そう思い登りにも関わらず体温保持のために着用

これで眠るのも一安心です

これさえ着てればマイナス10℃くらいでも耐え凌げるので落ち葉の上で寝るのが快適になり

ついつい寝てしまうことも・・・寝ないと谷底に落ちます・・・

そうこうしているうちにパノラマ台も越え、A11へ向け下って行きます

だいぶ体調が戻って来た私はこの辺りからかなり走れるようになっていました

パノラマ台からの標高差800mの下りを一気に駆け下り樹海の中のクロカンコースのような林道へ入りました

この林道8kmほどはほとんど止まらず走り抜け一旦ロードに出ます

ロードで眠気に勝てず一旦3分仮眠

そしてまた樹海へ入ります

富士の樹海はかなり不気味なのですが

もうそんなこと考える余裕が無いくらい眠いし寒くて

ここでも何度か寝ました

そして、A11へ向けての長いロードの登りが始まります

走るにしてはどこで終わるのかもわからない長い登り坂

暗くて回りは見えないので単調で飽きるただひたすら登る直線を登りつつ寝てました

紛れもなく寝ながら走り寝ながら歩いていました

1時間近く登り続けやっとA11

「やった!!やっと寝れる!何でも良いから寝たい」という気持ちで

温かい飲み物をもらってすぐにアスファルトの上にかっぱ1枚で寝転がり(回りはまだ残雪があるほどの気温)寝ました

仮眠10分

時計は午前4時過ぎやや東の空が薄明るくなって来たころ

私はA11をスタートしました

あわよくば18時間以内

あわよくば100位以内

そう思いつつ

これで6ポイント貯まる

来年は1周出来ると、スタート前まではまだUTMFは行きませんよ!そう言っていたのに

去年、今年で半分づつ合計一周してやはり1周しないといけないと感じたのでしょうか?

何故かそのことと、何も食べずに走っているので「ゴール後は白ご飯に梅干しかお茶漬け食いたい」と食べることばかり考えながら

ガンガン走りました

少々の登りなど気にせず走り

下り平地はぶっ飛ばし

気が付いたら最後の下りへ

一気に河口湖の湖畔へ駆け下り

最後3.5kmのロード

時計を見ると17時間44分

つまり後3.5kmをキロ4分以内なら18時間以内??

そう思い必死でラストスパート

結果は18時間04分


想像を絶する難コースでした!

最後はメンタルしかないのかな?そう感じたレースでした

そして、多くのサポーターの方、ボランティアの方、声援をくれた方、応援してくれた仲間、サポートしてくれた仲間

全ての人が居たからこそ私は完走出来たし、この舞台を走ることが出来ました。

本当にありがとうございました。


最後になりましたが、私の挑戦はもろくも破れ去りました

しかし、分かった事があります

ゴールの瞬間

鏑木さんが全ての選手を待ち受けていて

私に向かってガッツポーズをしろと合図してくれました

最初テープを切る瞬間腕を上げてい無かった自分に対して「ガッツポーズだ!」と

私はそれに反応して腕を上げました

それはこのレースを走りきったという事実に対する敬意なのだと感じました

恥ずかしい成績?

満足出来ない結果?

そんなのは置いておいて

この18時間4分という時間に詰まった、いや、今までこのレースに費やした時間に対するガッツポーズなのだと思います

134位という順位は関係なく

勝者は誰か?と言うことを考えれば


このゲートに帰ってくる全ての人は自分に勝った勝者であり

このゲートをスタートした全てのランナーは自分自身の不安な気持ちに打ち勝った勝者なのでしょう

何故か私も晴れ晴れとしています

そりゃ悔しさもありますが、それは自分の力が無かっただけのこと

楽しかった、そして帰って来れた

そう感じた一日です

完走とは簡単なものではない

いとも簡単に崩れさるものだから

返って来れた皆は勝者なのでしょう


UTMF・STYに関わった全ての方に感謝します








本当に素晴らしいレースでした。




じゃあまた来年よろしくお願いします