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松村克己『ヨハネ福音書講釈』再話(08)<11:1~57>

2015-06-24 09:40:56 | 松村克己関係
松村克己『ヨハネ福音書講釈』再話(08)<11:1~57>

第11章

前章においてイエスの行為が強調されて読者の注意を惹いたが、本章では改めて「キリストにおける神の業」がどういうものでなのかを最も素晴らしい出来事を通して描く。ラザロの甦りの物語である。イエスが生命であるというイエスの本質が明らかにされ、そのことによってユダヤ人たちが彼を殺そうとする意図が益々固くされる。そのために身分を隠さなければならなくなる。このようにしてイエスがこの世を去るべきき時は近ずく。そして間もなく次の過越の祭となる。

1.マルタ、マリヤの信仰とラザロの甦り(1~44)

この物語は「ラザロの甦り」と呼ばれて親しまれて来たものであるが、脇役としてマルタ、マリヤが登場しイエスとの対話を通して彼女たちの信仰が復活したことが、ラザロの甦りを浮き上がらせる背景となっている。全体として共観福音書の物語は具象的で、映画的であるのに対してヨハネ福音書における物語は劇詩的とも言うべき特徴を持っている。著者の心に動く詩情、信仰の心を読み取ることが大切であろう。
「ラザロ」も「マリヤとその姉妹マルタ」の名も突如として出てくるが、読者は彼らをよく知っていることを前提しているかのようである。ラザロの名はルカ福音書16章後半に出ているが、同一人物ではない。旧約にも出てくる普通にある名前「エレアザル」のギリシャ名であり「神はわが助け」という意味である。マルタとマリヤの物語はルカ福音書10:38以下に出ている。
「(あなたは)信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」(1:50)とナタナエルに約束したように、信じる者にとってイエスの行為がいかに大きいものかということを、著者は読者に知らせようとして、この物語を語っているのであろう。ここに記されているような事柄が歴史的事実として、どのようなものであったのかというようなことは、ここではあまり重要な問題ではない。また、「ベタニヤ(村)」という名前も伝統的に親しまれて来たものではあるが、新約聖書以外では見られず、エルサレムの東約「二十五丁ばかり」(18節)、つまり約3キロ程離れたオリブ山の東南麓、ヨルダン渓谷に至る途中にあったと推測される。「このマリヤは主に香油をぬり、自分の髪の毛で、主の足をふいた女であって」(2節)と説明されているが、この物語は次の章に出てくる。彼女はイエスの死を予感し、「あらかじめ葬りの準備として「非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた」(マルコ14:3)。彼女の行為についてイエスは、「できる限りの事をしたのだ」(マルコ14:8)と言われた。この物語は、単なるエピソードとしてではなく、「全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」(マルコ14:9)というイエスの言葉に従って、ヨハネもまたこれを語らなければならなかったのであろう。

3節
さて物語は本筋に入って行く。イエスはこの姉妹たち3人の家庭と親しかったことが前提されている。ラザロの病状が深刻だと判断し、姉妹たちはイエスにそのことを知らせ、助けを期待した。「姉妹たちは人をイエスのもとにつかわして、『主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています』と言わせた」。信頼に満ちた言葉である。しかしこの知らせを受けてもイエスはただちに行こうとはしなかった。「イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた」、にもかかわらず、緊急の知らせを受けながら動こうしないで、なお2日間同じ所に滞在されたとはどういうことであろうか。しかも後になって出かけて行くのである。それは既に見たように(7:1-10)、「 わたしは、自分からは何事もすることができない」、「わたしをつかわされたかたの、み旨を求めているからである」(5:30)ということがイエスの行動の原則である。彼の宣教活動は伊達や酔興によるものではない。愛する者が病気だということで、使命の場をただちに離れることは出来ない。イエスは使命と愛とのジレンマの中で祈ったのであろう。4節の言葉はその祈りの中で示されたことであろう。「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。イエスはこの確信に立ち、すべてを父なる神に委ねて、彼自身に託されている活動を続けたのである。弟子たちも先生の態度に一応の不審を抱きながらも、結局イエスは行かないのだと思い、腰を下ろしていた。
祭におけるイエスの発言を神に対する冒涜の言葉として、逮捕の方針を固めたユダヤ人指導者たちの手を逃れて、ここ「ヨルダンの向こう岸、すなわち、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた所」(10:40)に出て来たのである。恐らくそれはユダヤの北、サマリヤかガリラヤ南方の地域であっただろう。弟子たちは、イエスは危険なユダヤ地方に留まりたくなかったのであると解釈していた。

7節
ところが、ラザロ危篤の知らせを受けた2日後、イエスは突然「もう一度、ユダヤに行こう」と言い出し、弟子たちを驚かせた。外的事情や外からの強要はイエスの行動を決定できないが、内から迫られる父なる神の意志には、どのような事情があったとしても従わねばならない。弟子たちの驚きを抑えて彼は言う。「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないからである」。この謎のような言葉を解釈すると、父なる神の命令に従えば、光が輝き行く手を照らし、決して躓いたり転んだりしない。神の御心のないところ、必然性のない行為、それが夜である、という意味であろう。しかしイエスのこのような心の中での出来事が弟子たちに分かるはずがない。イエスは時々このような霊的興奮状況において、このような言葉を口にする。イエスはしばらくして、弟子たちに分かる言葉で言い直した。「わたしたちの友ラザロが眠っている。(だから)わたしは彼を起しに行く」のだと。「眠っている」という言葉は、文字通りの睡眠を意味する場合と、死んでいるということを意味する場合とがある。ここではイエスはこれを後者の意味で用いたが、弟子たちは前者の意味に理解し、それならば、わざわざ危険を犯してまで行く必要はないであろう。眠っているだけなら放置しても癒るだろうにと考えた。それで、イエスは弟子たちの誤解を解くために、はっきりと「ラザロは死んだのだ」と事態の深刻さを述べた。もし危篤だという知らせを受けたときに急行していたら、治ったにせよ、死んだにせよ、弟子たちはイエスの業を見ることが出来なかったであろう。「わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ」とは、そういう意味であろう。彼の業は人々を「信じるようになるため」、また弟子たちの信仰を固くするためになされる。今、その時が来た。行くべき時があり、また行くべきでない時がある。イエスの時は神の時である。イエスは断乎として、「さあ、彼のところへ行こう」と言った。弟子たちが自分たちの気持ちで推量したイエスの心とイエス自身の心と間にはかなり大きな距離があった。危険な場所ユダヤを目指して行こうとするイエスの決意の固さを知ったトマスは、煮え切らない他の弟子たちを促して言った。仕方がない、俺たちも行って先生と運命を共にしようじゃないかと。「わたしたちも行って、先生と一緒に死のうではないか」という決意がいかに見当違い、場違いなものであるか。イエスと弟子たちの間のこの距離を背景にしてイエスとマルタ・マリヤの次の問答が展開される。

17節
「さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた」。イエスが滞在していた所とベタニヤとの間はかなり離れていたと思われる。またそこで「二日間」滞在していた間にラザロが死んだことも明らかである。それにしてもラザロは墓に葬られて既に4日もたっていたとは、イエスがベタニヤへ行くことを決意してからも、なおしばらく出発が遅れたと考えなければ日数が合わない。しかし大体こういう時や場所について正確でないのがヨハネ福音書の特色である。
墓にイエスを案内したマルタが「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」と言っている。4日という日数が特に強調されているように思える。死んで4日なのか、墓に葬られてから4日なのかはっきりしないが、要するに「4日」ということで強調されていることは、蘇生する可能性は全くないということであろう。日本でも昔から死者は3日間近親者に守られて通夜の祈りを受け、4日目に墓に葬られた。もちろんこれは厚く遇する場合のことであって、その理由は人間は死んでも3日間は肉体から離れた魂が帰ってきて、生き返ることがあるかも知れないという微かな希望をつないでいるからである。3日も過ぎると屍体は臭くなり、この希望は途絶える。イエスの甦りも3日目と信じられていた。ラザロの甦りはこの希望が途絶えた後に起こったという点にこの物語の特色があり、その点でナインのやもめの息子の場合(ルカ7:11以下)と違っている。そこにこの物語を理解する鍵があると思われる。
愛する者に死なれた悲しみは、何ものをもってしても慰めることが出来ない人生の痛事である。古来、この悲痛を紛らわそうとして近親者、友人たちは死者の家に集まって飲食する。そのための多忙さが残された者の慰めにならないとしても、少なくとも逝去した人を思う暇を与えず、はなはだ不自然な仕方ではあるが、一時的にでも忘れさせてくれる。そのようにして、辛い時間が流れ、時の経過と共に人の心は慣れて行く。ユダヤでは泣き男とも称すべきものがあった。上のような仕方で心を紛らすことの出来ない者には、思う存分泣いて涙の乾く時がうずく心の休ます時である。同じく不自然な仕方ながら、泣きたくても泣けない遺族に周囲から泣くことを促すものがこの種の人々の任務である。しかし少しでも慰めになってくれるものは、悲痛に心よりの同情・同感をもってうずく心に近く立ってくれる人である。「イエスが来られたと聞いて」マルタは救われたという思いをもって「出迎えに行った」。マリヤに告げる暇もなくただひとりでイエスを迎えた。場所は村外れの路上であった。懐かしい先生、待ちに待った先生を見て、最初に彼女の口を衝いて出た言葉は「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」という恨みをこめた訴えであった。すべてはもう手遅れではあるが、イエスを出迎えることができたことは力強い。この人が共に居てくださるならもう安心だ。過ぎ去ったことは戻すことはできないが、次善の道は開かれるであろう。こうして、「あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」と、マルタは先生に対する依頼と信仰とを表明した。それは思わず口に出た恨みを訂正するかのようである。これに応じてイエスの口から聞かれた言葉は「あなたの兄弟はよみがえるであろう」(23節)という簡単な言葉であった。慰めの言葉を期待していたイエスの口から出たこの言葉は、簡単なだけでなく極めてお座なりのそっけない常識的な言葉としてしか、マルタは受けとれなかった。「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」という彼女の応答にそれがうかがわれる。この世の秩序が改新されて神の国が来るという終末の日には、すべての眠むった者は甦ると教えられていた。それは今も信じられている。しかし今、愛する者を喪った心にそれは余りにも小さな慰めでしかない。イエスが分かり切ったことをもって彼女を慰めようとするのかと思えば、期待と信頼とが大きかっただけに彼女の失望と幻滅の思いは一瞬にして心を塞いだに違いない。彼女のこの杓子定規な言葉には無感動な響きがする。
しかし、イエスが語り告げようとしたものはそうした一片の教えとは遥かに距ったもの、もっと身近かな生々しい希望、信仰において受けとられる奇跡へのはずむ心であった。「お前の兄弟は甦るよ」と語る者はイエスである。すでによく知っている過去の経験から、イエスはそのようにして受けとられることを信じ期待してこの短い言葉を語った。が、あまりにも大きな悲しみと重荷とは人の心を閉ざし、鈍感にし、しばしば期待を裏切る。イエスは彼女にこれまでの経験を思い出させ、このようなことをいう彼が彼女にとって何であったのかを確認させる。その上で、「あなたはこれを信じるか」と、今こそ信仰に立つべきことを訴える。信仰は平時において養わるべきものであって、それではじめて非常時に物を言うものである。ところが、人々は普段の生活の中では信仰のことなど考えないので、いざというときに忘れてしまうか、あるいは逆に慌てて出来合いのものを求める。いずれにせよ、そんなものは信仰の名に値するものとは言えない。
「わたしはよみがえりであり、命である」。「わたしには復活があり、生命ある」とイエスは言わない。「わたしは~~である」(エゴー・エイミ)。ここに彼の権威がある。彼に出会い、新しい人生を経験した人々は、誰でも「イエスが復活であり、生命である」ということを知ったのである。彼と共に、彼にあって、自らの復活と生命とを知ったのであった。それは過去におけるつかの間の経験にすぎなかったかも知れない。しかし、ともかく流転する時間の流れの中で永遠に触れ、永遠の生命に関わったことだけは確かである。その瞬間において、彼を信じたのである。だから彼を信じる者は、たとえ、その経験が破れて、再び変化と流転の世界に戻ったとしても、そこで「死んでも生きる」との確信を消すことはできない。「生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない」。永遠の生命とは死なないということではない。死んでもなお生きる生、死を経て復活する生、もっと言えば「日々死ぬ」(1コリント15:31)ことによって「日々に新たにされる」生である(2コリント4:16)。この過ぎ行く時間の世界においてイエスを信じる者は永遠に死を克服する。「あなたはこれを信じるか」とイエスはマルタに切り込んだ。人生悲痛の真っ只中で世間並みの慰めは無用である。必要なことはただ真理の言葉と確信に生きる信仰のみである。
単刀直入なイエスの言葉に、閉ざされたマルタの心は開かれた。「主よ、信じます」と言う彼女の胸には、本当にそうでした、わたしは誤って居りました、あなたはわたしにとってただの先生ではありませんでした、という溢れる思いが甦る。そしてそれは明確な信仰の告白となった。「あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。

28節
亡くなったラザロに囚われて閉ざされていた心を開かれ、イエスを仰ぎ信仰を回復したマルタは、ここで家に残して来た姉妹マリヤを思い起こし、この喜びを分かち合うために立ち上がった。家には多くの人々が集まっている。人々に妨げられないでマリヤをイエスに会わせるためには、彼らに知られぬように「小声で」「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます」言った。しかし、その配慮は無駄であった。それを聞いたマリヤは周囲の人々のことを忘れ「すぐに立ち上って」イエスのもとへ走った。突然席を立って出ていく彼女の姿をみて人々は多分独りで「墓に泣きに行く」のだと思って、「あとからついて行った」。マリヤはイエスが立っておられる所に来て、彼の足許にひれ伏すと、それまで我慢していた悲しみが一挙に爆発しイエスに訴えた。それは姉マルタがイエスに訴えた言葉と同じであった。イエスは黙って泣き崩れ、もだえているマリヤを見守っている。後について来たユダヤ人たちも泣いている。しかし、その涙は必ずしもマリヤとは同じではないであろう。この光景を見てイエスは「激しく感動し、また心を騒がせ」た。人生の悲痛は死に極まるが、死の刺は罪である(1コリント15:56)。イエスは人間が自己を失うほど大きな苦痛を与える死の背後に罪の力、サタンの勢力を感じて心は燃える。しばらくして、この心は彼らと共なる悲しみの調べへとゆるやかに傾斜する。「彼をどこに置いたのか」とイエスは問う。人々は「主よ、来て、ご覧ください」と言い、ラザロの墓へと案内した。その途中、「イエスは涙を流された」とある。原文ではたった2語であるが、計り知れない含蓄のある句として聖書の中でも有名な個所である。相対して語る言葉ではなく、共に歩きながら流された涙、そこには無限の慰めがある。しかも今やマルタとマリヤの姉妹とイエスの間には、語るべきことは尽くされ、互いの心は触れ合い、一つの流れに動いている。奥ゆかしい、心を打つ情景である。この静かな満ち足りた場面を包んでこれを浮き上がらせるかのように、著者は心ない群衆の無責任な声と見当違いな批評とを記録している。イエスの涙を見て人々は言う。「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。またある者は言う。「あの盲人の目を開けたこの人も、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。これらの言葉を耳にしつつ、「イエスは、また激しく感動して」墓に来はいられた。「墓は洞穴であって、そこに石がはめてあった」。これはユダヤの墓の形の説明である。

38節
イエスは人々に「その石を取りのけなさい」言われた。これは意味深長な言葉である。墓を塞いでいる石は人々の心を悲しみを封じ込める重い石である。この石を取り除くためには単なる教えや言葉の慰めだけでは足りない。イエスは彼らと共に歩んで涙を流し、彼らと共に墓の入り口までやって来た。「石を取り除け」、静かなしかし力強い言葉が響きわたる。しかしマルタの心はラザロの墓を目前にすると、再び閉ざされ愛する者の屍体が目に浮かぶ。墓の中のラザロはすでに4日を経て、悪臭を放ち始めている。墓を開いて見てももう無駄だと言う。イエスはただ墓の前に立っている。今、イエスがしようとしていることは、彼女たちの心を天に向かわせ、永遠の世界に向かって開くことである。墓の石は外から取り除くことは出来ても、心の石は自分で取りのけるほかはない。イエスは語気を強めて言う。まだ悟らないのか。「もし信じるなら、神の栄光を見るであろうと、言ったではないか」(26節)。
「人々は石を取りのけた」。人々が石を取りのけている間、イエスは「目を天に向けて」祈り、「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださってことを感謝します」。ラザロはまだ墓の中のままである。しかしイエス派もう既に「感謝している」。著者はこのことを読者に注意させようとして次節の言葉を記録し、イエスに語らしている。「あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。この言葉のギコチなさ、不自然さはそこから由来している。
これら一連のイエスの行動をボーと眺めていた2人の姉妹たちは、「ラザロよ、出てきなさい」というイエスの声にハッと我に帰った。何と叫ばれたのかは知らない。しかし、我に帰ってはっきりと知ったことは、失った愛する者との死も破ることができない永遠の絆と、イエスに寄せる信仰の復活とを、共にしかと胸に抱きしめている確かさであった。墓にまでついてきて最後に彼女たちが見たものは、死人が手足を布で巻かれたまま、顔も顔覆いで包まれたまま、墓から出てきた愛するラザロの姿であった。イエスは彼女たちに言われた、「ほどいてやって、帰らせなさい」。

2.死に臨むイエス (45~57)

この出来事がただで済む筈はない。イエスが何かをしたら人々の間に対立と分裂が生じる。いつものことである。ラザロの甦りの出来事によってある者は「イエスを信じた」が、数人の者はファリサイ派の人々の所に行き、事の次第を報告した。そこで公の議会が召集され、イエスを殺すべきことが決議された。これまでも何度かイエス殺害の計画があったが、それらは基本的には私的、個人的な範囲のことであった。今回はもうそのレベルを越え、公の介入が避けられなくなっていた。それでイエスの側でも「もはや公然とユダヤ人の間を歩かないで、そこを出て、荒野に近い地方のエフライムという町に行かれ、そこに弟子たちと一緒に滞在しておられた」。この町はエルサレムの北30キロ、有名な聖処のあったベテルの東北約1.5キロにある。
47節
「議会」(サンヘドリン)は、ユダヤ人社会における最高の決議機関であるばかりでなく、同時に宗教上、民事上の最高執行機関で、70人の長老たちで構成されている。この議会の大多数を支配しているのがファリサイ派の人々で統括責任者が祭司長ある。「多くのしるし」、つまり奇跡を行う者の出現は、何時も権力を掌握している支配階級にとっては不安材料である。彼らの意見は一致した。「もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう」と。無知な民衆として彼らが軽蔑していた民衆こそ、彼らの最大の脅威である。群衆の心を掌握して革命的反抗の挙に出るならば、ロマ人は非常手段に出て、これを弾圧するに違いなく、そうすれば今享受しているような自治権は奪われ、自分たちの地位もまた空しくなるであろう。「ローマ人がやってきて、わたしたちの土地も人民も奪ってしまうであろう」とはそういう意味である。「土地」とは「ここ」つまりエルサレムの神殿をさす。この神殿のお陰で彼らの特権が守られ、人々への支配を宗教的に保証されているのである。
イエスを葬るべきだと決定的にしたのは、カヤパの意見であった。ヨハネ福音書の著者は「その年の大祭司」と解説し、大祭司が毎年その任を新たにされるように記しているがこれはユダヤの習慣と合致しない。著者はエペソ辺りの皇帝礼拝を司る祭祀官のように大祭司を毎年代わるものと考えているらしく、そこからヨハネ福音書の著者が非ユダヤ人ではなかろうかという説の根拠となっている。「カヤパ」という言葉の意味は、ケパと同じで、本名はヨセフ、カヤパはあだ名である。記録によれば、紀元18年から36年まで大祭司の職にあったことが確かめられている。18:13によれば、当時はその舅なるアンナスが実権を握っていたように見える。

50節
カヤパは「ひとりの人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない(のか)」と言う。自分自身の低俗な欲望を、国民の幸せという大義名分で粉飾しようとしているのであるが、無自覚的にイエスの死の贖罪的意義を預言したものであった。だから著者も、このことを読者に注意し「このことは彼が自分から言ったのではない」と解説している。イエスの死は「ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっている」という考えは著者のものであろう。ユダヤ人だけではなく、神が予め選んだすべての人、「聖徒として召された人々」(1コリント1:2)のためである。
 
55節
過越の祭が3度周って来た(2:13、6:4)。人々は「身を潔め」て祭りに参加しなくてはならない(レビ7:21、民数9:10以下、2歴代30:17~18、ヨハネ18:28、使徒21:24~26)。それでエルサレム来て、過越の食事をするため早くからエルサレム来ている。これまでもイエスは祭の度に神殿に姿を見せており、群衆たちはイエスに何かを期待して、彼を探していたが、なかなか見つからない。人々はそれぞれ「あなたがたは(彼を)どう思うか。イエスはこの祭にこないのだろうか」などと噂していた。祭司長やファリサイ派のファリサイ派の人々の間では、イエス逮捕の計画が組織的に進められて居り「そのいどころを知っている者があれば申し出よ」という告示も出されていた。

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