ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 10/31

2012-11-01 06:44:20 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。昨日は『キリスト教の揺籃期』続読。パウロはエフェソ、フィリポ、テサロニケ等、エーゲ海沿岸の地域にシナゴーグから完全に分離した独自の教会形成をすすめ、これらの諸教会に対する指導権(使徒職)を確立する。エルサレム教会とは疎遠になる。地震関係と新約の時代史をアマゾンに発注。夜は「遅咲きのヒマワリ」を見て10時に就寝。5時に起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:01:03

#losungenj 10.31(wed)
鷲が雛の上を飛びかけり、羽を広げて捕らえ、翼に乗せて運ぶようにただ主のみ、その民を導きだした。(Deut32:11,12)
posted at 05:35:19
あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。(1Pet1:5)
posted at 05:35:37
#losungenj 私の黙想:
これは「モーセの歌」の一部。この言葉には出エジプトの出来事を思い起こしつつ、捕囚からの解放の希望が歌われている。聖書においては常に「過去と現在」が将来の希望(事の終わり)へと結び付けられている。それらの全体が歴史である。過去を十分に踏まえない現在への問いは観念化し、そこからは将来への展望は開かれない。日本史も教会史も、過去の歴史を十分に検証し、それを踏まえた上で現在の諸問題を議論しなければ、噛み合わないのは当然のことで、そこから将来への展望が開かれるはずがない。
posted at 05:45:40

Liz Bunya This is a conversation Ken and I were having yesterday...I wish we are close to come and learn more from your thoughts!

文屋 善明 リズとケンの間で何が議論されたのであろう。何か、「噛み合わない問題」でもあるのだろうか。

今日の名言:RT @iQTQuotes:
あなたの許可が無ければ、あなたに劣等感を与えることは出来ない。(ルーズベルト)
<一言>政治家としてのルーズベルトはの評価は2分される。それは一応別にして、この言葉の背後には彼自身の経験があるのではないか。劣等感は自分の外に原因があると考えがちであるが、実は自己自身の内部の問題である、と彼は言う。
posted at 06:09:37

「昨日のツイート 10/30」をブログにアップしました。 http://t.co/7WolA9nL
posted at 06:54:27

今日のこころ旅は、琴弾公園の山の上から丸亀へ。丸亀城の可愛い天守閣へ。今日はずっと自転車で。うどん屋へ立ち寄る。店員が正平さんを見て興奮する。長い坂道を登る。荒い息、善通寺市にはいる。自衛隊の駐屯地にに立ち寄る。お城が見えた。可愛い天守閣だ。
posted at 08:00:17

昨日、ベテスダ奉仕女母の家出版部から来年度のローズンゲンが届きました。
posted at 10:23:22

<FBより>
実はトロクメ(田川建三訳)の『使徒行伝と歴史』(新教出版社)は1969年発行で、40年ほど前、定価1200円でした。この本がどうしても読みたかったので、アマゾンに注文したところ当然ながらもう絶版で古本屋を紹介してくれました。その時見つけたのが裁断本を中心にしている古書店でした。裁断本というのは著書を電子化する際にスキャナーにかけるために裁断した本ということでした。そんな本があり、それを専門に扱う古書店があるのですね。驚きました。そのため値段も2970円という格安でした。ところが数日後、その本屋からその本には書き込みが多すぎて商品にならないということで断られました。それで別な本屋に注文したところ「良書」ということで値段は5500円でした。送られてきた本は多少かびの臭いがしますが未使用の古書でした。かなりのお買い得だったと思います。

今日はルターによる宗教改革記念日である。ということで、聖公会(英国国教会)における宗教改革について、一言説明しておきます。

ルターの宗教改革に対して、英国王ヘンリー8世(1491~1547)は「7秘跡の擁護」という宗教改革を批判する神学論文を発表している。この業績が認められて、教皇レオ10世から「信仰の擁護者」という名誉ある称号をもらい、その称号は現在でも英国国王の称号となっている。その意味では英国国王は今でもローマに対して敬意を表していることになる。
このヘンリー8世が王妃キャサリンと離婚し、王妃の女官アン・ブーリンと結婚したいと思ったところから、色々な政治的駆け引きや教会の法規上の問題が持ち上がり、裁判沙汰となり、ローマ教会と対立することに至った。事情をよく聞くと、ある意味では理解を示すこともできることでもあった。そもそもヘンリー王子とキャサリンとの結婚はキャサリンの前夫、アーサー王子の死亡により、王室間の政治的駆け引きによりアーサーの弟ヘンリーがキャサリンと結婚することになったのである。その時のキャサリンの年齢が23歳、ヘンリーは17歳であった。2人の結婚生活は22年続いたという。
さて2人の離婚問題についてのヘンリー側の主張はキャサリンとの結婚そのものが近親婚の規定により無効であって離婚ではないということであった。
すったもんだの末、ローマ教会はヘンリーとアンとの結婚を認めないという結論にいたり、これに反撥してローマ教会から英国のカトリック教会は「英国国教会」として分離独立し、国王が「教会の首長」となるという「首長令」(1534年)が成立した。
以上が一応表向きの事情であるが、裏側、むしろその方がより重要な点であるが、英国の諸教会にも大陸での宗教改革の影響はかなりあった。実はアン・ブーリン自身もルター派の信徒であった。それりも、スコットランドのジョン・ノックスのカルヴィニズムの影響などもあり、根強いプロテスタント指向があったことも事実であル。その意味ではローマ教会からの分離独立という点に関しては、表での結婚・離婚論争に対しても裏側からというより下側からの影響がかなりあったと思われる。
実は、英国の宗教改革はそれからが始まりで、カトリック側に偏ったり、プロテスタント側に傾いたりする。最終的にはキャサリンが産んだ娘エリザベツが王位について英国国教会は確立したといわれている。因みに国教会の指標となった「礼拝統一令」及び「39箇条(信仰告白)」は1563年に成立している。

児島 良一 カトリックから英国教会が独立した表向きの話しは知っていましたが、当時の教会内の動きは知りませんでした。
王室内の問題だけではなくヤハリ当時の社会の様々な動きも加味されてたんですね~。

松沢 直樹 勉強になります。ためになるお話をありがとうございます。

<補遺>今日は外出なし。



最新の画像もっと見る