ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

松村克己とアウグスチヌス

2010-08-06 20:40:31 | 小論
松村が大学の卒論のテーマにアウグスチヌスを選んだのは1929年5月29日である。松村は三高の3年の6月に結核のため退学し、それから3年10ヶ月の間闘病生活を送っている。このおおよそ4年近くのロスタイムがその後の松村の生涯に与えた心理的プレッシャーは計り知れない。それはともかく、幸いにも病気は癒され1929年4月に、三高の3年生に復学が許された。その時の松村の状況はまるで浦島太郎状態であったろう。かつての同級生たちはすでに大学に進学し、ある者はすでに卒業している。当時の大学は3年制であった。と同時に、新しい同級生は松村にとって「若すぎる」。
その3年生の5月の末に、大学に入ってアウグスチヌスを研究しようと考えていたのであるから、大変なものである。1930年4月に大学に入る。松村のアウグスチヌスへの取り組みは教授たちの間でも評判になったらしく、波多野教授の耳にも入り、大学2年生当時のことが石原謙への書簡にも見られる。3年生の12月3日の日記によると、松村は貧乏学生であるにもかかわらず、フランス語版のアウグスチヌス全集(34巻)を350円でフランスから取り寄せている。その日、西洋哲学史の九鬼教授、波多野教授に教えを請いに行っているが、九鬼教授は質問しても自分で「うんうん」考え込んでしまい、結局自分で考えなければならないと教えられ「楽しかった」と言い、波多野教授については「話しが下手である」などと感想を書いている。
また、その頃共助会のルートで石原謙先生にも教えを乞うているが、その場面には中川秀恭も同席していたらしい。
ともかく、松村のアウグスチヌスへの取り組みは通常の大学卒論のレベルをはるかに超えており、その時の最優秀論文に選ばれており、この論文によって、大学院での研究生活が可能になった。

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