ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 10/27

2014-10-30 06:16:14 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。終日、聖書を読む。降臨節第1主日の福音書と使徒書をまとめる。ユダの自殺についてのテキストを調べる。日本シリーズ第2戦はホークスが勝ち、これで1対1。今週は福岡ドームにて。「軍師官兵衛」、「オモクリ監督」を見て10時過ぎ就寝、5時起床。体調、快調。チュン、チュン。

真塩 ナナ子さん、西川 芳昭さん、涌井 幸子さん、他22人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 おはようございます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪今日も、守られて、充実した愉しい時間をお過ごしになられますようにm(__)m

播 稔 日本シリーズ優先で「軍師官米兵衛」は録画で観ました。

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配り、英会話教室にいきます。良き日となりますように。お祈りします。
posted at 04:57:53


文屋 善明
今日の名言:RT @Bonhoeffer_jp:
「聖徒の交わり」は常にくり返し崩壊するにもかかわらず、常に新しく生じ、消滅してはまた生起する。(ボンヘッファー『聖徒の交わり』)
<一言>「聖徒の交わり」は崩壊することがある。いや、日々新たにされなければ、崩壊するものなのだ。(注:「聖徒の交わり」を「教会」という言葉に置き換えてください)

舟田 譲二さん、櫻井 啓子さん、川染 三郎さん、他30人が「いいね!」と言っています。

清水 行雄 文屋先生、僕は「聖徒の交わり」を、「教会」に置き換える必要はないと思っています。第1コリント3章16~17にあるように、神の神殿とは、私たち自身だと思っています。

文屋 善明 神殿にせよ、教会にせよ意味は多重です。同様に「聖徒の交わり」も多重です。だからカッコの中は本来は不要なんですが親切のために付加したのです。

清水 行雄 先生にとっては、聖徒の交わりイコール教会なんですね。friendshipによって形成されるのが、「教会」であるというイメージでよろしいですか?(^_^)

文屋 善明 あなたが第1コリント3章から読み取った「神殿」とは一人の人間の身体を意味してますよね。ボンヘッファーのいう「聖徒の交わり」とは、人間の共同体としての教会を意味しています。それはfriendとしての関係でありつつそれを超える関係です。きざな言い方をすると神を父とする家族関係のようなものです。

清水 行雄 それなら、さしずめ僕は、無教会主義者ですね(^.^)

文屋 善明 そうですか。

清水 行雄 先生を「父」として敬わないのではないのですが。何せ先生の圧倒的影響力のもと、聖書読解を始めたわけですから(^^)

Satoshi Mizota 学級崩壊してますね。

文屋 善明 カトリックや聖公会では洗礼を受ける際に教父母が洗礼名をつけます。それがGod-Fatherです。まぁ、そんな感覚ですかね。

文屋 善明 「無教会主義」という言葉は厳密な定義付けを必要とします。厳密には「無ー教会主義」であって、それは本質的には「教会」の一つの形態です。

糸原 由美子 無教会のかたは、集会とみずからの集まりを読んでおられますが、エクレシアとも。それって、教会ですよね。ただ、サクラメント、教会暦など既成教団の根幹部分を否定されています。

文屋 善明 洗礼式は認めているグループもあるようです。聖職制度は完全否定ですが、実際には一人の「先生」を中心にした交わりで、その先生に対する尊敬は通常の「教会」の牧師に対する以上のものがあります。そして事実それらの「先生」の聖書についての「実力」は並外れています。

糸原 由美子 そうですね。私の知り合いも、洗礼は希望すれば受けられるといっておられました。その集会には先生は来られず、送られてくるテープを聞いて学んでおられるようです。

文屋 善明 無教会のグループでは「その先生」でなければダメという雰囲気が濃厚ですね。一種の英雄崇拝でしょうかね。


「昨日のツイート 10/25 福岡女学院の「葡萄祭」」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/7b5b1a9b2e0cc5ce6e143c01d127225…
posted at 06:27:41


文屋 善明さんが写真2枚を追加しました。
お目覚めの花。「まだまだ、元気ですよ」「気候のほうが変なだけです」「咲くところでは咲いているんです」。
文屋 善明さんの写真

杉浦 紀明さん、Yutaka Tanabeさん、宮脇 温子さん、他38人が「いいね!」と言っています。

播 稔 しっかりした朝顔の花ですね。


文屋 善明
2014日々の聖句 10月27日(月)
あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。(申命記8:6)
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(マタイ7:21)
私の黙想:
「こうしたら、こうなる」というのは非人格的機械論的論理である。「主の戒めを守る者には祝福、死に従わないものには禍」という申命記的論理は、一見単純で機械的な「勧善懲悪」の教えに見える。この論理を機械論的反応としないのは、そこに「主のみ心」という人格的判断と人間の側での「畏れ」の感情が媒介となっているからである。その論理を明確に語っているのが、イエスの「『主よ、主よ』というものが皆、天の国に入るわけではない」という言葉である。「主よ、主よ」という言葉で表現されている形式化した礼拝、祈りの否定である。宗教というものの最大の堕落は、固定化された儀式によって「神」を人間の願望によって操作することにある。どうだろう。私たちの聖餐式、祈祷、それらの「有効性」を保証する聖職論(組織)は形式化し、機械化していないだろうか。一回でも多く聖餐式に与っていれば天国に入れるとか、「霊の働きを失った」洗礼式とか、説教をする「資格」云々とか、大丈夫だろうか。キャノン・ロウ(法憲法規)が「心を失った」律法に化していないだろうか。

丸山 順子さん、舟田 譲二さん、西堀 俊和さん、他24人が「いいね!」と言っています。

播 稔 先生の黙想、そのとおりです。「神」を人間の願望によって操作する。日本人は特に「御利益宗教」がどうしても出やすい。「塹壕のなかに無神論者はいない」。


文屋 善明さんがCamilita Nuttallさんの写真をシェアしました。
朝から、とてもいい言葉に出会いました。マレーシアの若き友人Naomi(マレーシア人、教師)からのシェアです。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10152801309588545&set=a.62068823544.59611.671868544&type=1&theater

WORD FOR TODAY........
with Camilita Nuttall Global Business Leader and Camilita P Nuttall
Don't Be Afraid of failure, just keep going towards your goal. You have what it takes to make it, Believe in Yourself - why....because SOMEONE believes in YOU! #destiny #motivation #goals #belief #Oprah #London #vision
Camilita Nuttall

松沢 直樹さん、Yutaka Tanabeさん、三浦 三千春さん、他12人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 深いですね~♪(^^♪

糸原 由美子 うーん!

文屋 善明 その、由美子さんの「うーん!」は何でょう。

糸原 由美子 村田さんの深いに近いけど、たぶんそれほどわかっていないかも・・・

文屋 善明 私は、" the light that's in them"という言葉にたじろいでしまいました。

糸原 由美子 自分のなかにある光、ということでしょう?なので、うーん!でした。

糸原 由美子 adults,rhemと複数形になっているということは、一人ひとりのなかということでなく、人々のうちにある、ということでしょうか?

文屋 善明 私は「子どもたちの中にある光」と読みました。だから、たじろぎました。

糸原 由美子 あ、そうか、themはこどもたちだ!気付きませんでした。


文屋 善明
午前中はクリニックは混んでいて、潰れてしまいました。もっとも、待合室で本は読めましたが。インフルエンザの予防注射が始まりました。

舟田 譲二さん、櫻井 啓子さん、東山 富昭さん、他16人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 私もインフル再来週受けます

加藤 佑三 あれっ、11月からでしょ。「肺炎」にも効果あるらしいですね。補助があっても家内と二人で3,000円は痛いけど、役場から通知が来ているので、そろそろ予約しようかな。

文屋 善明 ここらは10月14日からです。

櫻井 啓子 私も来週です。怖いよー(;_;)
10月からやってるみたいです。小児科では、早春まで免疫保たすため、11月の接触を勧められました。

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