ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 12/17

2013-12-18 05:53:35 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『悠木まどか~』続読。登場人物のセリフを英訳例文とて紹介するブログがある。こういう読み方もあるのだ。さすがにオーストラリア在住の日本人の作品である。日本語の後ろに英語があるのかもしれない。午後から、鎮国寺に出かけ、住職に会う。水をもらいに黙想の家に出かけ、院長に会い、クリスマス礼拝の予定を聞く。夜、「刑事のまなざし」(最終回)、「海の上の診療所」を見て10時過ぎに就寝。4時半起床。体調快調、チュン、チュン。

金丸 勝彦さん、万代 麻奈さん、野間 悦三さん、他22人が「いいね!」と言っています。
posted at 04:44:30

文屋 善明
今日の名言:RT @wisesaw:
人生は全て次の二つから成り立っている。 したいけど、できない。できるけど、したくない。 (ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)
<一言>NHKドラマ「八重の桜」で一躍有名になった会津藩校の什の掟、「ならぬことはならぬ」。できるけど、してはならないこともある。できないことでも、しなければならないこともある。

金丸 勝彦さん、金井 望さん、金井 由嗣さん、他24人が「いいね!」と言っています。
posted at 06:06:04

「昨日のツイート 12/16 「ホームレス・イエス」」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/54582d42f760cccec382bc0c6855937…
posted at 06:36:02

文屋 善明
<こころ旅>今日の目的地は横浜市内、中区野毛町から福富町に架かる都橋。旧東海道、川崎市を通り越し、鶴見川を渡り、横浜に入る。横浜ランドマークタワーの前で休憩。紅葉橋を渡り中区へ、野毛商店街、野毛町、賑やかですね。都橋に到着。夕暮れ。

金丸 勝彦さん、寺田 由志子さん、野間 悦三さん、他8人が「いいね!」と言っています。
posted at 08:00:05

「ホームレス・イエス」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/e01438fcaee887ae8d306dd7d3ea299…
posted at 08:43:58

「レポート:京都エコーの朝倉演奏会」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/cde0417ab11f86a350581f68ae0ea9f…
posted at 08:55:32

そうや、それでいいんや。心の中でアホやなと思っておれば良いんや。RT @ptkoike: あかんわ。先生の言うことはいはい聞いて、バカっぽく言われたとおりに訂正だけしよう。
posted at 15:27:20

文屋 善明
日々の聖句2013 12月17日(火)
ヤコブは、家族の者に言った。「お前たちが身につけている外国の神々を取り去り、身を清めなさい。」(創世記35:2)
あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。 (ルカ12:34)
私の黙想:
「外国の神々」、時代錯誤。「国」という概念は存在しない。日本人にとってキリスト教の神こそ「外国の神」だ。口語訳、文語訳のように「異なる神々」がいい。逆に言うと、「異なる神々ではない神」とは何か。ここでは、神がヤコブに対してわざわざ、あなたが拝すべき神とは「あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神」(1節)と定義付けている。ここでは「この神」以外の神々に関わる礼拝、習俗、衣装等をすべて捨てることが命じられている。この神の命令に答えて、ヤコブは言う。「苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る」(3節)と。これがヤコブが「体験した神」である。神とヤコブとの間で交わされたこの主従関係に基づいて、神はヤコブの名前を「イスラエル」(10節)と改名する。従って、ヤコブの神はただ独りであり、それ以外の全ての神々はもはや神ではない。ヤコブにとって、アブラハムの神「だからでも」、イサクの神「なのでもない」。単に先祖の神だから自分の神なのではない。それら一切の「習俗としての神」を超克して「私の神」である。私に、アブラハムの神、イサクの神が顕現して「私の神」となった。
日本人のキリスト者にとって「私の神」とは西欧の神でもなく、日本人の神々でもなく、哲学者の神でもない。「苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神」である。

金丸 勝彦さん、金井 望さん、小栗 龍男さん、他28人が「いいね!」と言っています。

Yutaka Tanabe 唐突ですが、日本人にとって唯一の絶対的な神とは、何でしょうか?万物と命と全てを造られた創造の神の存在を気付くことは難しいでしょうか?いつも疑問に思います。創造の神が、日本人にも最も身近になりえる私の神に相応しいと思うのですが、何故、日本の人は、その神に気付かないのでしょうか?先生の文章を読んで、ふと、日本宣教のことを考えました。

文屋 善明
お目覚めの花。「お寒うございます。寒い中、随分お元気そうですね」「ハイ、私たちは寒いのが大好きな桜なんですよ」。(昨日、鎮国寺の庭にて)
写真
金丸 勝彦さん、高橋 明子さん、佐藤 静代さん、他35人が「いいね!」と言っています。

細野 清明 文屋先生、Selamat pagi ! 静寂野中の美ですね…Bagus!でも、寒そう…(@@) assalamu alaikum!
23時間前 · いいね!を取り消す · 1

町田 勝彦 おはようございます。ღ♪¸.• 綺麗ですね。

文屋 善明さんが早坂 明さんの写真をシェアしました。
本当にそうですね

「悪政地に満つ」
3本の毒矢そして共謀罪創設と矢継ぎ早の攻撃で民主主義は立ち往生、断末魔の苦しみである。
東京新聞12月17日

三田 清次さん、寺田 由志子さん、若月 新一さん、他18人が「いいね!」と言っています。

涌井 幸子 シェアさせて下さい。
m(_ _)m

文屋 善明さんがリンクをシェアしました。
「ホームレス・イエス」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/e014438fcaee887ae8d306dd7d3ea299

「ホームレス・イエス」 - ぶんやさんち

金丸 勝彦さん、清水 晴好さん、服部 弘一郎さん、他23人が「いいね!」と言っています。

大坂 太郎 考えさせられる記事です。今朝の祈りで賛美歌121を歌いました。「食する暇もうちわすれて、虐げられし人を訪ね、、、」が心に染みましたが、その流れでこれを読みましたのでなおさらなのでしょう。シェアさせていただきます。感謝。

竹花 京子 シェアします。

西堀 俊和 一人のホームレスに金をふんだくられ、一人のホームレスを見捨てたら、睨みつけられました。つい最近のこと。

文屋 善明
19時間前
近頃、家内と一緒に嘆いていること。
巷だけではなく、教会の中にまでもう「クリスマス」が侵入していて困る。成る程、クリスマスは祝日だから大騒ぎするのもに悪くはないが、キリスト者にとってアドベント(降臨節、待降節)も大切な期間である。むしろアドベントにおける「待つ」ということにこそキリスト教の本質がある。アドベントがあってこそクリスマスの喜びがある。この順序を忘れてはならない。どうも近頃のキリスト教はアドべントが軽視されているように思う。

後藤 喜美江さん、望月 克仁さん、萩野 秀子 さん、他47人が「いいね!」と言っています。

呉 光現 同感です。

石田 聖実 大方のプロテスタント教会は、25日直前の日曜日にクリスマス礼拝を行うので、アドベントが一週足りなくなるんです。

文屋 善明
竹内雄紀著『悠木まどかは神かもしれない』を読了。
この本がジャングルから送られて来た時(12月10日)、私は次のような文章を書き残している。
<私の遠くて近い親戚の著者、竹内雄紀のデビュー小説。『悠木まどかは神かもしれない』(新潮文庫)、私の好きな眞鍋かおりさんが大推薦している。おそるおそる頁を開くと、私が普段読んでいる本類と全く対極にあるような本である。かろうじて接点を探すと「神」という言葉かもしれない。裏表紙のコピーがおもしろい。「事件の匂いがする」ーー3人の前に史上最低の探偵が現れた! 新潮文庫編集部を騒然とさせた美少女と3バカトリオによる、青春前夜の胸キュンおバカミステリーの大大大傑作。」
何か面白そうじゃないか。読んでみよう。ヒョッとすると、現代における最先端の文学かもしれない。>

そして、2日後に読み始めて面食らった。これは何だ。今まで読んだどんな小説とも違う。場面設定が奇抜であるし、そこで登場する小学校5年生の主人公たちの「会話」も変だ。少年少女小説にしてはませ過ぎているし、ストーリー展開がよく分からない。でも、会話の内容よりもギャグ、それもオヤジギャクが面白い。こういうのをオヤジギャク小説というんだろうか。

題名の『悠木まどかは神かもしれない』の「神かもしれない」という部分が読み取れない。真ん中ほどに来たとき初めて主人公の一人「ボク」(小説の中では「小田桐キョージュ」と呼ばれている)が、憧れのマドンナ悠木まどかこと「悠木ジョシ」から優しい言葉をかけられて、
<この慈悲深さ、ボクはこのとき初めて思った。悠木ジョシは神かもしれない。>
と言う。それだけである。何と仰々しいことか。
まぁいい。それがこの小説の面白さなのだから。

とにかく、不思議な小説である。一応ミステリー仕立てになっているが、「事件」そのものは大したことはない。だいたい斜め読みをして筋を追うことが無意味な小説だ。筋よりも喫茶店にたむろしている連中の「変な会話」に耳を側立てて聞いている感じの小説である。無責任に聞き流しても誰にも文句を言われない気安さ。

とにかく不思議な小説である。訳がわからないままエンドになる。悲しい結末なのか。ハッピーエンドなのか。よく分からないが、ともかく読了感は清々しくて、気分が良くなる。その原因が分からない。ただ読了したという一種の開放感かもしれないし、大したことがなくて良かったねという感じなのか。
これは、そのまま次の作品に受け継がれるのか、謎である。

望月 克仁さん、金丸 勝彦さん、清水 晴好さん、他13人が「いいね!」と言っています。

林 巌雄 近頃はそういう小説も少くないのかもしれません。ぼくの誤読ノートでは、わからなくても、わかったふりをするというか、著者が意図しないテーマとか整合性とかを勝手に誤読しています。

文屋 善明 誤読によって著者を超える。

文屋 善明
英国史の古典中の古典、アンドレ・モロワ著『英国史(上)』がアマゾン経由で古書店から手に入りました。『下』も間もなく来るでしょう。原著はフランス語で1937出版、私の誕生より1年後です。最初の邦訳は1939年で、戦時中は発禁で戦後復刻版が出版されました。私が手に入れたのは新潮文庫版(初版1958年)の第20刷で1995年版です。ふりがながかなり古めかしいです。とりあえず第4編「チュードル王統、又は君主政治の勝利」から読み始めます。現代では「チューダー朝」でしょう。
写真: 英国史の古典中の古典、アンドレ・モロワ著『英国史(上)』がアマゾン経由で古書店から手に入りました。『下』も間もなく来るでしょう。原著はフランス語で1937出版、私の誕生より1年後です。最初の邦訳は1939年で、戦時中は発禁で戦後復刻版が出版されました。私が手に入れたのは新潮文庫版(初版1958年)の第20刷で1995年版です。ふりがながかなり古めかしいです。とりあえず第4編「チュードル王統、又は君主政治の勝利」から読み始めます。現代では「チューダー朝」でしょう。

佐藤 清一さん、望月 克仁さん、金丸 勝彦さん、他15人が「いいね!」と言っています。

溝田 悟士 私の持っているのはかなり古いですね。酸性紙だし、ぼろぼろです。

文屋 善明 想像以上に、綺麗で、手垢も書き込みもなく、これで800円プラス送料250円は、安いです。

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