竹内雄紀著『悠木まどかは神かもしれない』(新潮文庫)
この本がジャングルから送られて来た時(12月10日)、私は次のような文章を書き残している。
<私の遠くて近い親戚の著者、竹内雄紀のデビュー小説。『悠木まどかは神かもしれない』(新潮文庫)、私の好きな眞鍋かおりさんが大推薦している。おそるおそる頁を開くと、私が普段読んでいる本類と全く対極にあるような本である。かろうじて接点を探すと「神」という言葉かもしれない。裏表紙のコピーがおもしろい。「事件の匂いがする」ーー3人の前に史上最低の探偵が現れた! 新潮文庫編集部を騒然とさせた美少女と3バカトリオによる、青春前夜の胸キュンおバカミステリーの大大大傑作。」
何か面白そうじゃないか。読んでみよう。ヒョッとすると、現代における最先端の文学かもしれない。>
そして、2日後に読み始めて面食らった。これは何だ。今まで読んだどんな小説とも違う。場面設定が奇抜であるし、そこで登場する小学校5年生の主人公たちの「会話」も変だ。少年少女小説にしてはませ過ぎているし、ストーリー展開がよく分からない。でも、会話の内容よりもギャグ、それもオヤジギャクが面白い。こういうのをオヤジギャク小説というんだろうか。
題名の『悠木まどかは神かもしれない』の「神かもしれない」という部分が読み取れない。真ん中ほどに来たとき初めて主人公の一人「ボク」(小説の中では「小田桐キョージュ」と呼ばれている)が、憧れのマドンナ悠木まどかこと「悠木ジョシ」から優しい言葉をかけられて、
<この慈悲深さ、ボクはこのとき初めて思った。悠木ジョシは神かもしれない。>
と言う。それだけである。何と仰々しいことか。
まぁいい。それがこの小説の面白さなのだから。
とにかく、不思議な小説である。一応ミステリー仕立てになっているが、「事件」そのものは大したことはない。だいたい斜め読みをして筋を追うことが無意味な小説だ。筋よりも喫茶店にたむろしている連中の「変な会話」に耳を側立てて聞いている感じの小説である。無責任に聞き流しても誰にも文句を言われない気安さ。
とにかく不思議な小説である。訳がわからないままエンドになる。悲しい結末なのか。ハッピーエンドなのか。よく分からないが、ともかく読了感は清々しくて、気分が良くなる。その原因が分からない。ただ読了したという一種の開放感かもしれないし、大したことがなくて良かったねという感じなのか。
これは、そのまま次の作品に受け継がれるのか、謎である。
この本がジャングルから送られて来た時(12月10日)、私は次のような文章を書き残している。
<私の遠くて近い親戚の著者、竹内雄紀のデビュー小説。『悠木まどかは神かもしれない』(新潮文庫)、私の好きな眞鍋かおりさんが大推薦している。おそるおそる頁を開くと、私が普段読んでいる本類と全く対極にあるような本である。かろうじて接点を探すと「神」という言葉かもしれない。裏表紙のコピーがおもしろい。「事件の匂いがする」ーー3人の前に史上最低の探偵が現れた! 新潮文庫編集部を騒然とさせた美少女と3バカトリオによる、青春前夜の胸キュンおバカミステリーの大大大傑作。」
何か面白そうじゃないか。読んでみよう。ヒョッとすると、現代における最先端の文学かもしれない。>
そして、2日後に読み始めて面食らった。これは何だ。今まで読んだどんな小説とも違う。場面設定が奇抜であるし、そこで登場する小学校5年生の主人公たちの「会話」も変だ。少年少女小説にしてはませ過ぎているし、ストーリー展開がよく分からない。でも、会話の内容よりもギャグ、それもオヤジギャクが面白い。こういうのをオヤジギャク小説というんだろうか。
題名の『悠木まどかは神かもしれない』の「神かもしれない」という部分が読み取れない。真ん中ほどに来たとき初めて主人公の一人「ボク」(小説の中では「小田桐キョージュ」と呼ばれている)が、憧れのマドンナ悠木まどかこと「悠木ジョシ」から優しい言葉をかけられて、
<この慈悲深さ、ボクはこのとき初めて思った。悠木ジョシは神かもしれない。>
と言う。それだけである。何と仰々しいことか。
まぁいい。それがこの小説の面白さなのだから。
とにかく、不思議な小説である。一応ミステリー仕立てになっているが、「事件」そのものは大したことはない。だいたい斜め読みをして筋を追うことが無意味な小説だ。筋よりも喫茶店にたむろしている連中の「変な会話」に耳を側立てて聞いている感じの小説である。無責任に聞き流しても誰にも文句を言われない気安さ。
とにかく不思議な小説である。訳がわからないままエンドになる。悲しい結末なのか。ハッピーエンドなのか。よく分からないが、ともかく読了感は清々しくて、気分が良くなる。その原因が分からない。ただ読了したという一種の開放感かもしれないし、大したことがなくて良かったねという感じなのか。
これは、そのまま次の作品に受け継がれるのか、謎である。