ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

京都聖三一教会百年史

1999-12-27 10:24:03 | 雑文
京都聖三一教会百年史原稿
西大和聖ペテロ教会牧師 ヨシュア 文屋善明

百年,短いようで長く,長いようで短い。この百年の内のほんの数年関係しただけのわたしにも投稿の機会をいただきとても感謝です。わたしが京都聖三一教会に入籍したのは,1976年1月で,1978年5月には聖職候補生に認可され,1979年4月には四日市聖アンデレ教会に伝道師として派遣されましたので,在籍していたのはほんの2年一寸で,その間に教会委員をさせていただいたり,幼稚園の事務長という仕事をさせていただいたり,今更ながら,御教会から受けた恩恵の大きさに驚いています。
何よりも,その数年間,短い期間でしたが,「聖公会」という教会の礼拝,信仰,聖職と信徒のあり方など,何も知らなかったわたしを育て教えてくださったのが「わたしの母教会・京都聖三一教会」です。わたしが御教会に関わるようになったのは当時の小谷牧師との出会いということを抜きには語れませんが,そのことについてはまた語る機会もあろうかと思います。
それよりも,ここでは当時出会い,小生に非常に大きな影響を与えてくださった3人の信徒たちのことを語りたいと思います。
まず,三木清美さん。わたしの記憶によれば,わたしが礼拝に出席したときで三木さんが休まれたことはほとんどありませんでした。また,よっぽどのことがないかぎり礼拝に遅刻なさるということがありませんでした。そして,今でも鮮明に覚えていることは,聖餐式の中で「福音書朗読」に遅れた時は「陪餐を遠慮する」ということでした。これは礼拝というものに対する聖公会の信徒の基本的あり方というものを強烈に印象付ける経験でした。しかし,三木さんはそのことを他人に強要すべきことではない,とも仰っておられました。すごい。
第2のかたは,酒井健三先生。わたしと妻が堅信式を受ける際には,ご夫妻で名親になってくださいました。酒井先生は本当に忙しい方で,主日礼拝出席ということもママならないような毎日でありましたが,それでも教会委員会には必ず欠かさずに出席し,教会の運営に献身的な方でした。忘れられないことは,時々礼拝の後で,千本通りの飲み屋に連れていっていただき,教会のこと学校のこといろいろとお話くださりとても楽しい一時でした。わたしが「はもおとし」という食べ物をはじめて口にし,京都の人間はこの季節にこれを楽しむのだと教えていただいたのもそんなある日のことでした。それ以後,夏前になると「はもおとし」食べながら酒井先生を思い出しています。酒井先生はわたしにとって「聖公会での父」でした。
個人的には,あまり多く話をする機会はありませんが,上品な奥様と共に礼拝に出席しておられた飯田昭さん。その当時すでに検事正を退職されておられましたが,すごく重みのある方で,誠実な人格が周囲の者の襟を正させる存在感のある方でした。ずっと教会委員を務めておられた方ですが,確か教会委員の選挙でわたしが次点に選ばれたとき,「これからこの教会は君のような若者が活躍すべきだ」と仰って,教会員を辞任されました。それからまもなく病に伏せられ礼拝も休みがちになられました。その時,すでにかなり体調はお悪かったのかもしれません。
その他,早川さん,島さん,西村さんなど,そうそうたる信徒たちと出会い,聖公会の信徒のあり方を学びました。京都聖三一教会での信徒としての3年間が牧師になってからのわたしにとって「宝」です。(1999.12.27)

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