ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

光 1999.12.1

1999-12-01 16:12:38 | 嫩葉

園庭に聳え立つ十字架をライトアップするために照明器具を取りつけた。光は闇夜に建っている十字架のタワーを駆け登り、それを白く描き出す。ところが残念なことに力不足で十字架にまで達しない。光はむなしく闇夜に拡散し、天空に「十字架らしきもの」をボヤーと照らし出すのみである。がっかりした。なんとかもっと光を集中させて十字架を照らしたいものだ。
「光」という現象は非常に面白い。わたしたちは「光そのもの」を見ることはできない。光は何かに反射してそのものを映し出すことによって光の存在を明らかにする。
新約聖書において、キリストを表象する多くの象徴の中で、ひときわ輝いている言葉が「キリストは世の光」という表現であろう。「世の光キリスト」はキリストを信じる人々を照らし出すことによって自らの存在をこの世に示す。
クリスマスを12月25日に祝った最古の記録は、336年のローマの行事を現している「フィロカルスの暦」であるとされる。そこには12月25日に、キリストはユダヤのベツレヘムでお生まれになったと書かれている。(参照「キリスト教大事典」)当時、ローマにおいては12月25日は「太陽の誕生」を祝う祭日であった。当時のクリスチャンたちがわざわざこの日を「キリストの誕生日」と定めた、あるいは「信じた」心の背景には「キリストこそ真の太陽」という思いがあったと想像される。
朝日が昇るころ、完成ま近い聖堂でひとり静かに黙想していると、美しいステンドグラスを通して差し込んでくる「暖かい光」に圧倒される。もっと深く光を体験するために、電気の光をすべて消す。ブルーを基調にしたガラスを透過して自然の光はすべての存在の根源を眼前に繰り広げる。このステンドグラスのテーマは「アルファとオメガ」、万物の始源と究極である。歴史の始まりと終わりを示す。この光の海に浸っていると、何か自分自身がだんだんと小さくなってくるように感じる。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言葉は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言のうちに命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(ヨハネ1:1-5)
(園長・牧師 文屋善明)

最新の画像もっと見る