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読書記録:ワルター・イェンス『ユダの弁護人』

2014-11-05 14:48:24 | 小論
ワルター・イェンス『ユダの弁護人』(小塩節、小鎚千代訳)ヨルダン社
<Walter Jens: Der Fall Judas, Kreuz Verlag Stuttgart 1975。邦訳:1980年3月20日、初版>

本書を理解するためには、まず原著者の「覚え書」を確認しておくことが有益であろう。

原著者、ワル夕ー・イェンス氏による「覚え書」
本書はフィクションの性格を帯びた報告であり、報告者である筆者は裁判官、弁護人および検事の見解をも代弁しております。このような形式を選んだのは、すでに幾度も有罪を言い渡され、とっくに片付いているように思われる事件に、実は疑義があることを明らかにするためであります。本当のところこの問題は、小論が証明しようとしているように、新しい決定機関による再審が必要なのです。
忘れてならないのは、エルサレムで2人の男が木にかけられたことです。いけにえは2人でした。ユダが自殺した「血の畑」とイエスが十字架にかけられた「ゴルゴタの丘」とは、2つで1対なのです。ユダの事件は、罪人の印をつけられつつも、十字架にかけられた方を指し示しています。

次に、本文に入る前にローマ・カトリック教会における「列福手続き」を念頭に置いておく必要があると思われる。これは邦訳者によって添えられた参考資料である。

「列福手続き」について
ローマ・カトリツク教会においては、殉教者や徳行のあった「神のしもペ」を特に福者(Beatus)として、公けに崇敬する習しがある。その資格、妥当性を審査する手続きが「列福手続き」として教会法第1999条から第2141条までに定められている。いわゆる聖人(Sanctus)は、この福者として列された者のうちより、さらに審査を経て初めて認められるものであって、列福の最終的判定は教皇のみが有するが、そこに至るまでに、いくつかの段階を踏まねばならない。従ってこれに関する教会の決定は不可謬である。
この手続きには、普通の方法(対象者が今まで公的な表敬がなかった場合)と特殊な方法(表敬のあった場合)の2種類ある。本件に関しては前者の場合であり、ここでは前者のみを取り上げる。
まず、この手続きは正式に指名された請願人によって起こされる。当事者は、必要経費の支出、証人名、証拠書類、証人が尋問さるべき内容を書いた事項書等を法廷に提出しなくてはならない。この請願は、神のしもベが死んだ、あるいは奇噴を行なった教区の裁治権者(信徒を裁治する権能をもつ者)がこれを取り上げるベきか否かを判断し、可の場合には、開始手続きを行なうことができる。
 <教区内における予備調査>
手続きはまず、3つの点をめぐって行なわれる。
(1)神のしもべの著作の捜査。
(2)神の僕の聖性、徳行、殉教、奇跡に関する風評についての調査。
(3)公的な表敬がこれまでになされていないことの調査。
これらを判定するための法廷は、裁治権者を含む3人の裁判官によって構成され、証聖官および鑑定人の任命、証人の尋問を行なう。
請願人は「神の弁護人」の揮名を持つが、証聖官は反対に「悪魔の弁護人」とも呼ばれ、列福に不適当な事項があれば、それを指摘する責任を負っている。
これらの手続きが終了すると、この記録に裁判官の書簡およぴ聖省の総証聖官に宛てた証聖官の書簡が付され、請願人に交付される。
請願人は、これらの書類をもって、ローマの聖省(1969年までは礼部聖省の第1局。現在は独立した列聖調査聖省)ヘ提出し、ここでの手続き期間中はローマ居住が義務づけられる。
<聖省における予備審査>
聖省では、まず、教皇庁において、報告官枢機卿と呼ばれる担当官が任命され、この手続きを吟味し、教皇庁において、さらに使徒座手続きを開始すべきか否かの審査がなされる。そのために、 審査書類として、教区でなされた調査手続きの要旨の作製が代理人(この代理人は少なくとも教会法博士であり神学修士でなくてはならない)に命じられる。この審査の主題は、調査手続きの適法性、また、今後手続きを進めていく上で、あらかじめ見越せる支障があるかないかという点である。これには、報告官枢機脚はじめ、数人の枢機脚、秘書官、総証聖官と部下の証聖官、特定の高位聖職者、顧問官が参加するが、判断は枢機卿がしなければならない。(これと並んで神のしもベの著作物がある場合には、神学者による検討を加えた上での評議がなされ、 また表敬の右無に関しても教区でなされた調査に対する判定が下される)。こ れらが通過して、教皇自身による委任状が与えられると、はじめて使徒座手続きが開始される。
使徒座手続きにおいては、神のしもべの殉教、聖性、奇跡の風評に関して、改めて法廷(裁判官5名、証聖官3名、その他証人などが要求される)が開かれ、個々に検討が加えられる。この使徒座手続きも、終了後その効力をめぐって厳密な評議がなされ、教皇の決定を要する。徳行の英雄性や殉教の理由等に関しては、さらに三審級を経ねばならず、それぞれ前予備会議、予備会議、本会議と呼ばれ、本会議は教皇自らが司会する。これらすぺてにパスすると、当の神のしもベに尊者(Venerabilis )
の称号が与えられる。
列福には、これらに加えて、神のしもペの死後、その代願によって生じた奇跡がなければならず、開始手続きおよび使徒座手続きにおいて目撃者が証言すれば2奇跡。開始手続きの際に目撃者で使徒座手続きの際にはその目撃者から閲いた証人であれば、3奇跡。両手続きにおいて、ただ資料文書や伝承に頼らざるを得ない時には4奇跡が要求される。奇晴に関する検討も前述の三級審を経ねばならない。これらすぺ
てが済むと、 教皇の判断によって決定が公布され、列福式がとり行なわれるようになる。
なお、福者の列聖のためには、正式に福者として列されてから、少なくとも2つの奇跡が改めて確認されねばならない。

さて、本文は原著者イェンス氏ではなく、「聖省における予備調査」の段階で、教区でなされた調査手続きの要旨の作製のために指名された「代理人」、エットレ・P氏(以下、P氏と略す)によって纏められた文章である。従って本文中での「わたし」とはP氏を意味している。P氏は教会法博士であり神学修士である。
なお、結びを先取りしておくと、この件の手続は「使徒座手続きを開始するのは適当である」という結論を得て、1963年5月に報告官枢機卿に手渡されたままの状態で放置されている(本書95頁)。

<ここから文屋による「本文」要旨>
1960年8月28日、ドイツ人司祭であるフラシススコ会神父ベルトルト・Bはエルサレムの西方教会総大司教にイスカリオテのユダはイエス・キリストに死に至るまで忠誠を守った殉教者なので、福者にすべく正式の列福手続きをとっていただきたいと申し出た。

列服の手続きは教会法典に従って1960年秋から始められた。まず総大司教はベルトルト神父を正式の請願人に指名し、エルサレム在住の神学者グループからなる鑑定人委員会を作り、アウグスチノ会修道院の院長を証聖官に任じた。法廷は総大司教自身と2名の教区会議任命裁判官(教区司祭と修道会員から各1名)で構成された。
審査はドミニコ会修道院の集会室で行なわれ、証人尋問と徹底的な神学的討論を経て、1962年の洗足木曜日に終了し、それらの記録は厳重に封印され、裁判長の弁明書と総大司教の手紙を添えて5月にはローマに送られた。それは数1000頁に及ぶ書類であった。総大司教は、自分はこの手続きを教会法の規則(第1999条から第2141条まで)に従って合法的に厳正に遂行したことを厳かに宣誓すると明言されている。

これらの手続き記録がローマに届き、ベルトルト修道士が請願人として呼び出され(使徒座手続きの間休暇を与えられて)、直ちに、礼部聖省大書記官は長官枢機脚の臨席のもとに、前もって封印が損われていないことを確かめた上、これらの記録を開封した。そして書記長に書類を写し取らせるために手渡した。わたし、教会法博士兼神学修士エツトレ・Pは礼部聖省の代理人の資格で、調査手続き記録の要旨を製作せよとの正式の委託を受けた。その要旨は教皇聖下により定められた報告官枢機脚に渡されて、例会で、集まった枢機卿たち、証聖官たち及び役付高位者たちに対し、ユダ事件の使徒座手続き開始の進言を行なうのは適当であるか否かの判定に役立ててもらうことになっていた。この目的で、わたしはベルトルト神父が1960年8月に総大司教に提出した請願書の要旨の作製にとりかかった。わたしが報告官枢機脚猊下に提出した要旨の本文は次の通りである。(文屋注:この要旨はかなり長文で、本書でも14頁に及ぶのでかなりカットした)

<請願書要旨>
冒頭で下記の通り述べられている。
「神に栄光あれ!わたし、フランシスコ会神父ベルトルト.Bは、イスカリオテのシモンの息子、俗に今日まで「鎌を持つ者」と称されているユダを福者に加えるよう請願したします。このユダが天の栄光の中に入ったこと、そしてそのことを公に表敬されるべきだということを宣言するように聖座にお願い致します」。
<以下、その理由が述べられている。>
旧約聖書で述べられている預言が成就したのは彼の無私の協力による。もし彼が、われらの主イエスを律法学者や祭司長たちに引き渡すことを拒んだとしたら、彼は神に対して裏切り者となったであろう。ユダなくして十字架なく、十字架なくして救済のご計画の成就なし。この男なくして教会なし。引き渡し手なくして引き渡しなし。もし革命家ユダがイエスの生命を救ったとしたら、われわれすベてに死をもたらしたであろう。イエスが「しようとしていることを、早く実行しなさい」と仰ったとき、うなずく代わりに頭を横に振ったとしたら、神のご計画は無効になったであろう。
ユダに感謝あれ!
ユダはなされねばならないことをなしたのです。この男は神の御心を行ったです。誰かがそれをしなければなりませんでした。そしてこの誰かとはユダだったのです。イエスを引き渡すために1人の人間が必要だということを彼は知っていました。必要だったのは1人の人間であって、神ではありませんでした。神のみ心を実現するためにどんなことでもするという男が必要だったのです。しかも自発的に自からの意志によってです。ここで誰かが敬虔な信念にもとづきサタンの化身の役を演じなければならなかったという事実、アダムの堕罪によりすべての人間には救済が必要だということを人間の側から証明するために、この事実が必要だったのです。まさにこの事実に基づいてわたしは、イスカリオテのユダをキリストの殉教者の群に加えるよう請願いたします。

そして今わたしは尋ねます。これに勝る英雄的な自己否定の行為、殉教が考えられるでしょうか。ユダはどんな目に会ったでしょうか。同郷の仲間たちからは侮辱され、ヨハネのような性質の弟子からは後ろ指を指された。それもなんとか我慢できました。だがイエスご自身による況いの言葉、「お前たちのうちのひとりは悪魔だ」、「わたしは、どのような人びとを選び出したかわかっている。しかし、こうして『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉が実現する」と語り、そしてついに、最も恐ろしい言葉「人の子は死なねばならない。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、この世を去る。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかったほうが、その者のためによかった」(マタイ14:21)という音場がイエスの口から発せられた序です。尊敬する師からこのような言われた瞬間にも、自分の使命に忠実であるために、沈黙しなければならなかったのです。あの時「やめろ、お願いだ、やめてくれ、わたしにはもうできない」と大声で叫ぶことが許されない。これほどひどい拷問はありうるだろうか。けれどもまだ、それで終り、というわけではありません。師の言葉は瞬間の問題でその時を何とか耐えたら済むことだったのです。しかし、そこから長い長い歴史の審判が加わるのです。芸術による潮笑、神学による審判、教会による異端審判、ユダはサタンだ、最初から殺人者だ、神の永勅の罰を受けた者だと言われ続けているのです。
それにもかかわらずユダは敬虔でした。ひよっとしたらかつて存在した最も敬虔な男だったかもしれません。わたしはそれを証明できます。聖書の助けを借り、信仰及び神がお与えくださった想像力を使って。

まず聖書、マタイ福音書27:3~5に次のように書かれています。「そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、『わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました』と言った。しかし彼らは『われわれの知ったことではない。お前の問題だ』と言った。そこでユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ」。この言葉は、最初の罪を犯すや否や、もう第2の罪の虜となった裏切り者に対する弾劾のように見えます。つまり裏切りに続く自殺。だがそう見えるだけなのです。これらの文は人を迷わします。真理は行間にあるのです。あるいは、もっと正確に言うと、ユダの後悔と死についての報告を、旧約聖書にある、あの敬虔な預言者ゼカリヤに関する物語(ゼカリヤ11:12)と較べてみるならば明らかです。
ゼカリヤもヤハウエに託された仕事に対する報酬として銀貨30枚を与えられたのです。それも銀貨30枚、それは奴隷一人の買値です。屈辱を感じさせるほどのわずかな金額。だがゼカリアは誇りを持っていました。それゆえ彼はその銀貨を神殿に投げ入れたのです。これで充分はっきりしている、とわたしは思います。両者、ゼカリヤとユダには使命がありました。一方は羊を売るという使命、もう一方も小羊であるイエスを引き渡すという使命です。二人は神の命令により行動したのです。二人は主が彼らに要求したことを行なったのです。ユダもそうなのです。彼はゼカリヤにならって、不名誉な報酬を神殿に投げ込むことにより、あるサインを与え、自分の秘密の一端を一瞬さらすことにより、分かる人には分かるように暗示したのです。わたしもまたあのゼカリヤのように、神の名において行動したのだ、という気持を。これは決して犯罪者の絶望的行為ではありません。ここでは一人の敬虔な男が自分の役目を告げ知らせています。見よ、わたしは律法を成就したのだ。聖書をよく読んでくれ。一人の男が銀貨を神殿に投げ込むという行為には意味があるのだ。それは神に従順であったというしるしなのだ。
もう一つ証拠があります。これもマタイ福音書からです。26:47~50、ゲッセマネの園における接物です。われわれの教会が今日まで見なしているように、ユダが本当に裏切り者であったとしたら、彼は兵卒どもをイエスの所へ導いて、あそこにいるあの人だとあごをしゃくって合図し、こっそりずらかってしまったであろう。福音書には見当そんな叙述はありません。隠れた所から合図する代わりに、抱擁したのです。人目につかない合図の代わりに、接物したのです。これは己れを否定する任務を受け、神から命じられた勤めをこの時まで首尾一貫してなし遂げた男の愛の証明なのです。この場面ではユダから話しかけるのです。もうこれ以上自分をおさえ切れなくなってイエスに駆け寄り「先生、わたしはあなたが要求なさったことをいたしました。これでわたしにご満足でしょうか」。抱擁し、接物し、キリストの口に自分の唇で触れる。そしてイエスはユダの気持ちを理解し「わが友よ」とユダに言われます。それから過越節の晩餐のときのように頼むように言われます。「(今)しようとしていることをしなさい」。この接物は友情のしぐさ、兄弟の間の会話の発端であり、心の和む行動であり、「友よ」という言葉は、イエスが心を許したすべての人たちに対する最後の言葉となったのです。この言葉を最後にして、イエスは尋問され、殴られ、つばを吐きかけられ、苦しめられ、釘打たれ、ののしられ、鞭打たれ、あざけられ、野たれ死ぬのです。
ゲッセマネでの抱擁と接吻、イエスの「友よ」という言葉、これはわたしからみれば、イエスが目にした最後の光なのです。 イエスとユダとが兄弟のように対をなしている印です。

預言は成就しなければなりません。誰かが神の意志の働き手になることを引き受けなければ、預言は成就しなかったのです。イエスの受肉に人間の誰かが協力しなければならなかったように、イエスの十字架と復活にも誰かの協力が必要だったのです。天から地上ヘ、地上から天へという振子に似た動きを完成する使命が神から誰かに与えられていました。そしてこの誰かというのがユダであったのです。彼は悪漢となるよう選ばれていました。というのもユダだけがそれに充分耐えられるほどに強靭だったからです。敬虔な男ユダ。社交的な人びとの中の孤独な男。11人のガリラヤ出身者の中に混じったユダヤ出身者。愚直な人びとの中の賢者。羊飼いや漁夫たちの中の理数家で懐疑派。この彼が、ペトロではなく、他の誰でもない執行者の役を演じ、世と罪、アダムの堕落と地獄の務めであるかを示すにふさわしいと見なされたのです。この彼に要求されたのは、悪の証人に、だが悪に打ち勝つことが出来るという証人にもなることでした。彼は、どこがサ夕ンの領域で、どこにサタンの限界があるかを実証しなければなりませんでした。

悪の仮面を剰ぐためには、神にとっても、後に起こる一切を予見したイエス・キリストにとっても、1人の男を悪魔の代理人にする以外はありませんでした。どうあってもこうならざるをえませんでした。神のご計画がそれを要求したのです。だがその計画を実現するために、人間の助けを必要としました。ただ1人、仲間の1人である人間の助けが必要でした。それが条件でした。それゆえに、誰かが犠牲となって、1人の人間に要求しうる最も極端な自己否定を行なう心構えができていなければなりませんでした。それとも、━━ああ、今日までそのように信じられているのですが━━私たちの主イエスは、無知な者を死に至る罠におかけになったとでも考えたらいいのでしょうか。罠に、そうですとも。というのは、ユダは悪魔であった。そしてイエスはそのことを知っていた。そんな風に福音書記者ヨハネは主張しています。それならば、なぜイエスはユダを戒めなかったのだろうか、なぜユダがご自分の犠牲になるのをほっておかれたのか。イエスがユダの犠牲になるのではなくて、その逆なのです。なぜイエスは、天国でとっくに泥棒と見なされていたこの男をよりにもよって会計係に任じられるのをゆるしておられたのか。何ゆえにイエスはこの裏切り者を制止しなかったのか。ことによるとユダの回心を恐れていたのか。ユダの回心は、救済の計画を無効にしてしまうおそれがあったからだろうか。
ところが、実相は違う。ユダは犠牲の小羊ではなかった。彼は自由意志で事をなしたのです。ユダは内情に通じていたがゆえに、主の道を己が道としたのです。こう言うことをお許しください。ユダはイエスの「共犯者」であった。
しかしユダは他の誰よりも高い地位にありました。ユダはイエスと、暗号のような言葉で話しました。 「しようとしていることを、 今すぐ、 実行しなさい」と。たとえば、その時、「そんなことはしてはいけない。ユダよ、お願いだ、罪に陥るな」などとは言われなかったのです。弟子たちの頭越しにかわされたこの対話。同席していた他の弟子たちは2人の対話を一言も理解しませんでした。
裏切り者に聖なる食事が、過越のパンが、そして裏切られたお方には接物が。たとえあからさまに言わなくても、暗黙の了解、師とその忠実な弟子との聖なる盟約が何とはっきりと示されていることでしょう。実際これ以外のことが考えられましょうか。この2人は同盟していたのです。互いに結び合わされていて、互いに相手を必要とする2人は兄弟のようでした。ユダはイエスなくしては無でした、そう、影が肉体なくしては無であるように。だがイエスもまたユダなくしては無でした。もしその一方が祭司長たちの所ヘ、そしてゲッセマネへ行かずにその秘密を隠しておいたならば、他方は失われてしまったでしょう。従ってイエスとユダとは一つのセットなのです。2人はそれぞれ自分の道を行かねばなりませんでしたが、共に木の上で死ぬことになっていたのです。
十字架上でイエスが「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)という言葉を聞いた時、ユダはどんな気持ちだっただろうか。それは誰にもわかりません。ただ、イエスとユダとの間でだけ共有できる言葉でした。つまり、この言葉はイエスからユダに向けられたメッセージにほかならないと思います。その時のユダの気持ちを大胆に推測するならば、次のようになるであろう。

なぜ、わが神よ、私があの強盗の代わりに、彼と並んで死ぬのをお許しくださらなかったのですか。私はあの強盗の1人のように、彼と並んで十字架にかけられたかった。そのほうが彼を引き渡すよりもずっと楽だっただろうに。それなのに、なぜあなたはこの私を独りにしておいて、彼が強盗にパラダイスを約束するのを許しておかれるのですか。一方、私は地獄を目の前にして、ここで木にかかって、くたばらねばならないのに。

だが、これが最後の言葉ではありませんでした。イエスとユダとの共通点は死にまで及ます。「だが、わたしの意志ではなく、御心が成りますように」。ユダも死ぬ前にこの言葉を言ったとは考えられないでしょうか。

わたしはイスカリオテ出身のこの男を福者の列に加えるよう請願いたします。地獄の息子は本当は神の代理人であり、わたしたちの主ィエスの兄弟だった、このことをわたしは実証したかったのです。わたしどもはユダに多くを償わねばならないと思います。わたしども皆が。

以上が請願人の申立てである。原文はほぼ40頁にも及ぶ弁論で、独特な、極めて主観的なラテン語で書かれています。法律家である私にとって確かに軽い読みものではありませんでした。教会法の規則に則った書面というよりはむしろ詩といったほうが良い文章でした。私ども法律家は冷静な人間です。だから多くの詩的表現と神秘的な論理の飛躍のあとで、総大司教の添え状を読んだときホッとしました。総大司教の添え状は冷静で理性的です。アフリカ・ラテン語ではなくキケロばりのラテン語で書かれています。本文は次の通り。(教会法博士兼神学修士エツトレ・P)

本書の結び(109頁以下)
ベルトルト・B神父が申し立て、法廷が正当と認めた証明の数かずは反諭の余地のないものである。それらは証聖官のテーゼによってただの一点といえども動揺しない。(証聖官は言う。ユダは、使徒としてはマツテヤにとって代わられた。だが、補欠選挙についての報告は、それ自体矛盾した後代の挿入であることを証聖官は黙っている。もし誰かが新しい使徒を選んだとしたら、もし仮にユダが本当に裏切り者だったとしたら、何よりもまず、復活と昇天との間におられるイエスご自身が、その代わりをお選びになったことだろう。だが裏切り者はいなかった。証聖官はいったいユダは本来何を裏切ったと言うのだろうか。ひょっとしてイエスの居場所を知らせたということだろうか。イエスがどこにいたのかなど何千人もの人びとが知っていた。そしてゲッセマネは中心地エルサレムから石を投げて届くほどのところにあった。わたしがイスカリオテのユダを福者の列に加えるという請願に賛成したのは、ユダにとって十字架にかけられるよりも、イエスを引き渡さねばならないことの方がはるかに苦渋に満ちたことであったであろうからだ。もしわたしが反対することを適切だと認めるとしたら、それはこういう理由だからだろう。つまりユダは存在しなかった。重要証人パウロは12人の中に裏切り者がいたとは知らなかった。ユダは架空の人物であったという見解に対してである。ユダは存在していた。しかし、ユダを裏切り者に仕立てたかったグループがあった。彼らは自分たちだけが真理を代表し、自分たちだけに救いがあることを誇りにしているグルーブであった。彼ら自分たちの結束を固めるために、外の敵だけでなく内部にも敵がいることを語らねばならなかった。あの福音書記者はそれを充分に知っていたのである。それゆえ、イエスの時代にさかのぼって悪い裏切り者を捏造したのであろう。外部には悪賢い猿たちがおり、内部的には羊の皮を被った裏切り者がいると。だが私はそれを信じない。そのやり方は余りにも単純すぎる。従ってわたしには請願を徹回する理由は少しもない。逆に私はそれを一層断平として堅持し、イスカリオテ出身のこの男を列福することを要求するだろう。
そうしなければ私は、たとえいかなる種類のものであろうと、正統派信仰によって、ただ変わっているというだけで、また正直であったというだけで、呪われたあの何百万の人びとを断罪した人々に味方することになろう。その意味で、ユダは、ユダヤ人と異邦人にとって、共産主義者、黒人、異端者にとって、つまり、悪者扱いされ、「生贄のやぎ」とされた人々、他人の罪を背負う者にされたすベての人びとにとって一つのモデルである。法廷がユダを殉教者と認め、列福するならば、その栄誉は2倍、3倍に値するであろう。
そしてベルトルト・B神父と私、エットレ・J・ペドロネリ(文屋注:P氏はその後、反逆者と呼ばれ、審判にかけられすべての職位と地位が剥奪され、この名前でひっそりと生きていた)が死に至るまで教会に忠実であったことが証明されるであろう。いずれにせよ、聖省は早く行動しなければならない。
ユダ及び全ての犠牲者たちに栄光。

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