わたしは惑わされて、あなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。 エレミヤ20:7
とにかく聖書の中では「勝った、負けた」という表現が多い。よっぽど争いが日常化していたのだろうか。神でさえ争いの相手にしてしまう。裁判で言うと白黒をはっきりさせる。中間色のない世界である。
それに対して、日本社会では、争いごとを極端に嫌う。「喧嘩両成敗」というように「争いごと」そのものを悪と考える。「敗北の美学」はあるが、勝者には「美」を求めない。勝者が勝ち誇る姿は礼に反する。土俵の上でのガッツポーズは醜い。人間同士の争いに決着がついた瞬間、勝者も敗者も消えて、そこは礼(神)の世界になる。それが日本における勝負の世界である。
旧約聖書は神に対する人間の敗北の歴史を語り、新約聖書は敗北の神の歴史を語る。
「わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」(ガラテヤ6:14)。
とにかく聖書の中では「勝った、負けた」という表現が多い。よっぽど争いが日常化していたのだろうか。神でさえ争いの相手にしてしまう。裁判で言うと白黒をはっきりさせる。中間色のない世界である。
それに対して、日本社会では、争いごとを極端に嫌う。「喧嘩両成敗」というように「争いごと」そのものを悪と考える。「敗北の美学」はあるが、勝者には「美」を求めない。勝者が勝ち誇る姿は礼に反する。土俵の上でのガッツポーズは醜い。人間同士の争いに決着がついた瞬間、勝者も敗者も消えて、そこは礼(神)の世界になる。それが日本における勝負の世界である。
旧約聖書は神に対する人間の敗北の歴史を語り、新約聖書は敗北の神の歴史を語る。
「わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」(ガラテヤ6:14)。