ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

脱藩官僚の政策集団の誕生

2008-06-16 14:32:49 | ときのまにまに
今朝の朝日新聞によると、中央省庁を退職し、官僚主導の政治に批判的な「脱藩官僚」が、政策集団を結成することになった、とのこと。まことに喜ばしい限りである。彼らの行動の目的は、政府が打ち出す政策を点検し、官僚による「骨抜き」をあぶり出すのが狙い、とのこと。そこがわたしたち国民の謎であった。彼ら自身が使っている、「骨抜き」とか「あぶり出し」が重要である。早い話が、後期高齢者医療制度にせよ、国会でその必要性が語られ、決議された。そこまでは、「強硬採決」、「数の横暴」等、いろいろ問題があったとしても、一応国民の目には触れている。ところが、そこから後が見えない。その決議が官僚たちの手に渡って、彼らがいろいろ操作して、出てくる法案という結論が、わかりにくいし、曖昧であるし、さらには実行段階になると彼らの思うようになってしまう。そして、彼らが考え、狙っていることは、国民のためでも、日本のためでもなく、各省庁のためであり、そこで働く官僚たちのためである。何しろ、彼らは自己の懐に100万円入れるために、国家予算を1億円使っても平気な連中である。
今度結成された「元官僚の会」に期待することは、「暴露」である。どんどん各省庁の内部を暴露して欲しい。とくに、官僚出身の政治家たちとの関係は闇に閉ざされている。
設立趣意書によると、「多くの政治家が官僚の手のひらの上で踊っている」と指摘しているらしい。政治家たちが官僚たちの手のひらで踊っているのも本当なら、官僚たちが政治家たちの「操り人形」になっているのも事実であろう。彼らは「持ちつ持たれつ」の関係である。
しかし、まだわたしはこの「脱藩官僚」の行動に疑問がある。何しろ、「脱藩した」とは言え、「元官僚たち」である。何を考え、何をしでかすか、注意して見ておく必要があるだろう。この会の発起人の一人である元文科省官僚・寺脇研氏の「官僚批判」(講談社)が出た頃、大いに期待をして購入し読んだが、結局ガッカリした。少しも「官僚批判」になっていない。むしろ、狭い蛸壺の中での、官僚意識丸出しの、自慢話と不満の書にすぎなかった。もちろん、何しろ賢い元官僚であるから、サービス程度の批判はある。しかし、そこは「当たり触りのない程度の批判」にすぎない。その程度の批判なら、一寸した新聞記者ならできることである。わたしたちが期待するのは、もっとえげつない、文科省の本音や、内部批判であり、暴露である。

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