ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

読書記録:落合仁司『ギリシャ正教、無限の神」

2016-02-17 15:11:44 | 雑文
読書記録:落合仁司『ギリシャ正教、無限の神」(講談社選書メチエ)

第0章 なぜ、今「ギリシャ正教なのか」

ギリシャという場所、ヨーロッパとアジアが接触する場所
中世ギリシャ、ヨーロッパで最も早くキリスト教を受容したギリシャ。4世紀以降15世紀まで存続したビザンティン帝国のギリシャ、
ギリシャ語の宗教としてのキリスト教、そのキリスト教を真っ直ぐに継承するのがオーソドックスと名のるギリシャ正教である。ユーラシア宗教としてのギリシャ正教。

著者の宗教理解:宗教はこの世界の他者への関心から僕たちの自己を振り返る。15頁
他者の臨在、あるいは他者の内在が、あらゆる宗教の根本命題である。16頁
この世界の他者、この世界の否定である神の存在を前提すること、すなわち信仰の教理(否定神学)、その他者のこの世界の僕たち人間への臨在に存在の受容、すなわち愛の教理(三一論)、僕たち人間のこの世界の自己を超越し他者と一つになることによる存在の達成、すなわち希望の教理(パラミズム)、これら三つの教理は、ギリシャ正教の根幹を形成する根本教理である。18頁

イコンが意味するもの
8〜9世紀 イコン論争
「神が人になった」を描くものとしてのイコン。ダマスコスのヨアンネスの主張
他者が内在するという思想、
人が神になるための修行、アトス山の修行
神が人になったのは、人が神になるためであった。(4世紀のギリシャ教父アタナシオスの言葉)23頁
ヘシュカスト論争〜〜テオーシス、人が神になる

普遍言語=数学で宗教を語ろう29頁

第1章 ギリシャ正教
なぜ、キリスト教はギリシャ世界に広まったのか。
「破れしギリシャ、野邑(やゆう)のローマを征服せり」39頁
キリスト教とギリシャ文化の化学反応
大ラウラ修道院
修道院発生の理由。
313年、それまで迫害されていたキリスト教はローマ帝国の公認の宗教となった。このことは教会が地下組織特有の純粋さを失い、帝国権力の階梯の一つに位置付けられ得ことになった。教会は純粋に宗教的な組織と言うよりもむしろ政治的な組織に変貌していくのである。47頁
そのいう世俗化の状況において、宗教的、霊的確信を保持しようとする運動が4世紀に起こった修道院であった。
大ラウラ修道院での体験談。ヘシュカズムの行。人間が神に成る修行。 50~55頁

4世紀初頭までにはローマ帝国のすべての行政管区に主教区をおく世界宗教に成長していた。それがコンスタンティヌス大帝にキリスト教を公認させる真の理由だった。59頁
公認前のキリスト教はローマ帝国自慢の公的な交通網を利用することは出来ず、またローマ法によって保護された財産所有権も持ち得なかった。さらにキリスト教徒は教養教育を受ける機会も制限されていた。ギリシャ的教養を背景にキリスト教を弁明した4世紀以前のギリシャ教父の教養教育は、彼らが改宗する前にローマ市民として受けることが出来たそれであった。帝国によるキリスト教の公認は、キリスト教徒が公的な交通網を使って広範囲に及ぶ会議を持つことを可能にし、また、教会が大規模な財産を所有することを可能にした。さらにキリスト教徒に教養教育n門戸が開かれたことは生まれながらのキリスト教徒がギリシャ的教養を身に付ける可能性を開いた。4世紀のギリシャ教父カエサリアバシレイオスとナジアンゾスのグレゴリオスがアテネでギリシャ的教養を受けたのはその最初の例である。60頁
これは大きな変化である。
さらに重要なことは広範囲に及ぶキリスト教徒が一堂に会し、しかもその財政的基板が確実になったというとは、各地域におけるキリスト教の個性の違い、キリスト教とは何かをめぐる理解の相違が重大な問題となって来たことである。外側から見れば大組織に特有の内部抗争、内側から見れば真の信仰を島教義論争である。60頁
その当時キリスト教は既に地中海世界最大の宗教であり、宗教的分裂はローマ帝国の分裂を意味する穂とになっていた。だからローマ皇帝は教会内部の教義論争に直接介入する必要があった。それが「公会議」である。
三一論(ニカイア会議)325年

福音をギリシャ的言語で表現する。

ヘシュカスト論争〜〜テオーシス、人が神になる
バルラアムの問題提起(1338年)とグレゴリス・パラマスの反論
ウーシア(本質)とエネルゲイア(活動) パラミズムの勝利(1351年)
バルラアムは論争に敗れ、カトリックに改宗する。

第2章 三一論

この世界の他者がこの世界に内在する。この矛盾に充ちた命題をどのように弁明するのか。ギリシャ教父たちが解答せねばならなかったのはこの課題である。彼らはこの課題に、ギリシャ的教養言語の限界に挑戦することによって答えようとした。すなわち彼らはキリスト教の矛盾をギリシャ的教養言語によって表現し、そのことによって矛盾を解決しようと試みたのである。80頁

神の本質と実存  80~84頁
この世界の他者でありこの世界を超越する神が、キリストとしてこの世界の人間と共に内在し、また聖霊としてこの世界の人間一人一人の内奥に臨在する。キリスト教のこの矛盾に充ちた、しかし最も根本的な命題を弁明するために、四世紀のギリシャ教父、わけてもカッパドキァ三教父はギリシャ的教養言語をこう用いた。
神とキりストと聖霊は、そのウーシア、本質において同一である。すなわち神もキリストも聖霊も、神であることに違いはない。したがって神もキリストも聖霊も、他者性、無限性、把握不能性、超越性といった本性、フェシス、本質、ウーシアを共有している。その上で、キリストは人間の隣りに内在する神、聖霊は人間の内奥に臨在する神として、神ご自身からも互いにも、そのヒュポスタシス、実存において区別される。
すなわちキリストと聖霊における超越と内在の矛盾は、キリストと聖霊が、本質において神と同一であり、かつヒュポスタシス、実存において神と区別されるというギリシャ的教養言語によって置き換えられる。キリストと聖霊は、その本質、ウーシアにおいて超越する神でありながら、その実存、ヒュポスタシスにおいて内在する神なのである。

まずウーシアとは、ギリシャ語のbe動詞エイナイの女性現在分詞ウーサから派生した言葉であって、存在、実在、実体、本質などと訳しうる。すでにここに困難がある。周知のようにヨーロッパ語のbe動詞には、「〜〜がある」と「〜〜である」 両様の意味がるが、そこから派生したしたウーシアにも、あるものが存在する、存在と、あるものの何であるか、本質の両様の意味がある。ギリシャ的教養の中核をなすアリストテレスもまた、このウーシアを両様の意味に用いている。
しかし同時に彼は、そこに二つの意味「〜がある」と「〜である」が区別されうることを明晰にに意識していた。このときアリストテレスは、「〜がある」という意味におけるウーシアを、ヒュポケイメ
ノソ、基に楠たわるもの、基体あるいは実体という冒葉に置き換える。このヒュポケイメノンが、ヒ
ュポスタシス、基に立つものと家族的に類似していることは明らかであろう。したがってヒュポスタ
シスもまた、基体あるいは実体と訳すことが出来る。
しかしウーシアも実体、ヒュポスタシスも実体と訳してしまったのでは、両語の意味を捉えたことにはならない。ギリシャ教父が、場合によっては全<く同一の意味を持つこれら二つの言葉を、キリスト教の最も根本的な命題の表現にあえて用いたのはなぜか。それはこれらの言栞の両義性を最大限に活かすことによって始めて、キリスト教の矛盾に充ちた命題を表現しうると考えたからに違いない。
この場合、ウーシアをあるものの何であるか、本質の意味に取り、ヒュポスタシスをあるものが存在する、存在の意味に取るのが妥当である。なぜならそう取ることによって、ウーシアとヒュポスタシスという同一の意味を持ちつつ互いに異なる意味をも持つ両義的な二つの言葉を、一義的に対比し区別して用いることが出来るからである。

そこでウーシアは本質と訳すことにしても、ヒュボスタシスを基体あるいは実体と訳すことはいかがなものか。まず実体という訳は、そもそも本質との区別が不分明であるし、存在の意味に取りにくい。しかし基体という訳は、本質と対比される存在の意味は出ているが、アリストテレスのヒュボケイメノンの訳として定着している感があり、出来れば避けたい。ギリシャ語辞典の最高権威、オックスフォード教父ギリシャ語辞典をひも解けば、ヒュボスクシスの訳として、実体的存在substantive existenceとある。しかし実体的存在という訳は、なるほど存在の意味はよく出ているが、少々長いし、感覚に訴えるものがない。

そこでこの実体的存在を縮めて実存と択してはどうか。実存という言葉は、もともと現実的存在を縮めたものであり、実体的存在とはいささか異なる。しかしいずれも、あるものの何であるか、本質に対比して、あるものが具体的に在る、存在の意味に用いられており、それらを実存という一つの言葉に縮約することにそれほど無理はない。実存と言うと、実存主義を想い出す人も少なくないと思われるが、それは計算の内である。神の何であるか、その本質と対比される神の実存と、ある人間の何であるか、その本質と対比される人間の実存の間に意味上の距離は全くない。事実、キリストや聖霊という神の実存に対して、人間は自らの実存を賭けて出会うのである。

ところでこの神のヒュポスタシスを、神の位格と訳す向きがある。これは神のヒュボスタシスと時々置き換えられて用いられたプロソーポン、あるいはそのラテン語訳ペルソナの日本語訳である。
それゆえヒュボスタシスの訳として位格を持って来るのは、誤訳とは言ゎないまでも、神のヒュポスタシスに関するラテン的、カトリック的解釈に引きずられた意訳と言う他はない。

西欧カトリックにおいては、ウーシアのラテン語訳もスブスタンティア、実体(あるいはエッセンティア、本質)、ヒュポスタシスのラテン語訳もスブスタンティア、実体としたために、ギリシャ教父が
やがて使わなくなったブロソーポンを、ペルソナと訳して、ヒュポスタシスの代りに用いざるをえな
かった。しかし神の三つの具体的な存在の仕方を、ヒュボスタシス、実存と呼ぶか、ペルソナ、位格と呼ぶかは、東西キリスト教のその後の展開を左右する大きな分かれ目になったと言えよう。神の三つの「個」に関する表現の違いは、人間の「個」に対する考え方の違いを帰結するのである。84頁

父(神)と子(キリスト)と聖霊の三者の実存を、子は人間と共に内在し、聖霊が人間の内奥に臨在し、父は内在もせず、臨在もしない、と定式化された。

さらに、子は父から「生まれた者」であり、聖霊は父から「発出した者」であり、父は「生まれざる」かつ「発出せざる者」であると表現した。父から生まれること、出生することと、父から発出することにいかなる違いがあるのか、「出生」「発出」および「不出生」かつ「不発出」によって区別したのである。その際、父から「生まれた者」でありかつ 「発出した者」 はいないので、 「出生」「発出」および「不出生」かつ「不発出」は重復ことなく区別される。父は子を出生し、聖霊を発出するアルケーに位置付けられる。父の位置から見たらこと聖霊とは同格に位置付けられている。

力トリツク教会と論争(88~89頁)
したがって三一論を定式化したニカエア・コンスタンチノポリス信条においても「聖霊は父から発す津する」と明言された。ところが西欧カトリックは、聖霊を父と子の交流関係の結果であると考えるラテン教父アウグスチヌスの神学に引きずられて、ニカエア・コンスタンチノポリス信条に「聖霊は父からも、子からも(フィリオクェ)発出すると改訂する。「フィリォクェ」の付加は、ギリシャ正敦から見れば、子と同格であるベき聖霊を子の下に位置づけ、結果として聖霊の役割を貶めるものとなる。

9世紀のギリシャ教父、コンスタンティノポリス総主教フォティオス(815~891)は、西欧カトリックによる「フィリオクエ」の付加を厳しく批判した。激しい議論の応酬が繰り返されたが、この「フィリォクェ」諭争は、公会議の開催による決着の方向には進ます、11世紀なかば相互に破門状を突きつけて分裂してしまった。
当時、ピザンティン帝国は最盛期の幕切れ間近であり、西欧は自らに固有の文明を上演する準備で忙しく、決着を付けることは出来なかった。
やがて力を蓄えた西欧は、13世紀初期、十字軍の名においてキリスト教帝固ビザンティンを攻撃し、帝都コンスタンティノポリスを略奪する。同じキリスト教の信徒とはお世辞にも言えない所業である。ギリシャ・ビザンティン世界とラテン西欧世界は、遅くとも11世紀までに、同じキリスト教の信徒と言うには程遠いほとんど対照的な二つの文明として、それぞれに独自の道を歩み出していたのである。

「神の異なる三つの実存は同じ一つの本質を持つ」、これが三一諭であった。ギリシャ教父はこのとき、神ご自身の実存、キリストの実存、および聖霊の実存はをそれぞれ一つと数えている。確かに神は一つ、キリストは一つであるが、はたして聖霊も一つと数えることが出来るのだろうか。聖霊は人間一人ひとりに内奥に臨在する神の実存の在り方である。聖霊は臨在する人間の一だけ、人間以外のすべての生命に宿るとしたら、「多」という存在ではないだろうか。つまり三一論ではなく多一論である。ここには一神教と多神教との境界線は空しくなる。
開き直って、多神教でないような宗教はあり得るのだろうか。

第3章 パラミズム

ヘーシュキア(静寂の境地)、イスラームのファナー(消滅の境地)、仏教のニルヴァーナ(寂静の境地)
自己の内奥に精神を回帰させること。イエスの祈りを繰り返す。「キュリエ・イエス・クリステ、ヒュイエ・トゥ・テウ、、エレイソン・メ・(主イエス・キリスト、神の子よ、僕を憐れみ給え)。神の名の連祷
人間の神化(テオーシス)
ヘシュカズムはギリシャ正教にとって不可欠の要素である。

キリスト教が宗教である限り、「神が人になった」ことと共に、「人が神に成る」ことも弁明しなければならない。確かに、この世界の他者である神に、この世界の人間が一致することは矛盾である。この矛盾を合理的に弁明する道、これが14世紀のギリシャ教父グレゴリアス・パラマスが選択した道である。

神の本質(ウーシア)と活動(エネルゲイア)
「人が神に成る」、人間はこの世界の自己を超越してこの世の他者である神と一致する、と いうヘシ
ュカズム、ギリシャ正教の矛盾に充ちた命題を弁明するために、グレゴリオス・パラマスは、この命
題をギリシャ的教養言語によって表現することを試みた。すなわちグレゴリオスは、この世界の他者
である神とこの世界の人間が一致する矛盾を、人間は、この世界の他者である神の本質(ウーシア)に
は一致どこるか接近すら出来ないが、神の活動、エネルゲィアには接触し一致しうる、と表現するこ
とによって解決しょうと試みた。神は、その本質、ウーシアにおいてこの世界の他者であり、人間に
は接近不能であるが、その活動、エネルゲイアにおいては人間に接近可能であり一致しうる、という
解決を図ったのである。
グレゴリオスの言う神の本質ウーシアは、三一諭における神の本費、ウーシアと同一の概念であ
る。すなわち神の本質は、その他者性、無限性、把握不能性、超越性したがって接近不能性にある。
これに対してグレゴリオスの言う神の活助、エネルゲイアとは何か。エネルゲイアは、そもそもギリ
シャ的教養の中核をなすアリストテレス哲学の根本概念であり、その場合は現実態と訳され、可能態
と訳されるデュナミスと対になって用いられる。アリストテレス哲学は、デュナミス、可能態、可能
であることが、エネルゲイア、現実態、現実であることに成る、その運動の相において世界を把握す
る試みに他ならない。
しかしアリストテレス哲学の文脈を多少とも離れるならば、デュナミスは能力、エネルゲイアは活動の意味が第1義的である。 (たとえばオックスフォード教父ギリシャ語辞典を見よ。)とは言え能力、「出
来る」ことは可能であること、可能態であり、活動することは現実であること、現実態であってみるならば、能力と可能態あるいは活動と現実態の間で意味は連統していると言えよう。
神に本質があるように、神に活助があることは諭を待たない。神の「〜である」ことに対比される、神の「〜する」ことである。神の「〜である」こと、神の本質、ウーシアは闇に隠れているのに対して、神の「〜する」こと、神の活助、エネルゲイアは光に溢れている。神の活助、エネルゲイアはこの世界の人間のみならず一切の存在者に充ち溢れているのである。なぜなら神は、この世界の人間を含む一切の存在者にその存在、存在すること、現実であること、エネルゲイアを与えているのであるから。
グレゴリオス・パラマスは、この神の活動、エネルゲィアこそ、人間によって接近可能、一致可能な神であると考えた。すなわち同一の神において接近不能な本質、ウーシアと接近可能な活勅、エネルゲイアを区別した。後に言うパラマス的区別あるいはパラミズムである。
これはギりシャ致父の伝統に沿った区別である。すでに4世紀のギリシャ軟父、カエサリアのパシレィオスとニュッサのグレゴリオスの兄弟は、神の把握不能と把握可能の矛盾を、神の把握不能な本質、ウーシアと神の把握可能な活動、エネルゲイアの区別によって解消しょうと試みていた。グレゴリオス・パラマスの仕事は、こ のギリシャ教父の伝統を「人が神に成る」ヘシュカズムを弁明すべく、明瞭に分節した処にある。ヘシュカストが一つに成る光、それこそが、闇である神の本質と対比される、神の活動であると言い切ったのである。このグレゴリオス・パラマスによる神の本質と活動の区別、すなわちパラミズムは、第1章で述ペたように、14世紀の公会議において正統と決せられ、三一論と並ぶ、ギリシャ正教の根本教理の位置を占めるに至った。

人間は神の活動に一致できる、しかし神の本質には一致できない。107頁

ところで三一論は、この世界の他者である神がこの世界の人間に臨在する矛盾を、この世界を超越する神の本質、ウーシアとこの世界に内在する神の実存、ヒュボスタシスの区別によって弁明する試みであった。これに対してパラミズムは、この世界の他者である神にこの世界の人間が一致する矛盾を、人間にょよって接近不能な神の本質、ウーシアと接近可能な神の活動、エネルゲイアの区別によって弁明する試みである。神の「〜である」こと、神の本質、ウーシアが、三一論とパラミズムにおいて同一であることは定義によって明らかであるが、神の「ある」こと、神の実存、ヒュポスタシスと神の 「する」こと、神の活動、エネルゲイアはどのように異なっているのか。神の実存はこの世界に内在する神を表現し、神の活動は人間によって接近可能な神を表現している。これら内在する神と接近可能な神のどこに違いがあると言うのか。
三一論の定式を思い出してみよう。「神の異なる三っの実存は同一本質である。」すなわち神の実存は神の本質を共有する。したがってもし神の実存、ヒュポスタシスと神の活動、エネルゲイアが同一であるとするならば、人間は神の実存それ故に神の本質と一致しうることになる。 しかし、これは人間は神の本質とは決して一致し得ないとする否定神学、ギリシャ正教の大前提に矛盾する。神の実存と神の活動は区別されねばならない。神の活助が神の本質を共有することなどあり得ないのである。パラミズムの定式は、神の本質と神の活動を截然と区別した上で、それらは同一の神における本質とかつどうの区別であることを言明する。神の同一の本質における実存の区別ではなく、同一の神における本質と活動の区別である。
人間は神の活動、エネルゲイアには一致しうるが、神の実存、ヒュポスタシスは一致し得ない。
このことは、人間はたとえ神と一致したとしても、すなわち「「人が神に成った」としても、「神が人になった」キリストとは決して同じにはなりえず、自己の内奥に臨在する聖霊それ自身とも遂に一つにはなり得ないことを意味する。人間はたとえ神に成ったとしても、本来の神であるキリストや聖霊との間に
、やはり越えがたい溝が横たわって、いるのである。人間が一つに成りうるのは、神の実存、したがって神の本質ではなく神の活勤、自己の内奥に臨在する聖霊の活動の他ではない。しかしこの聖霊の活動、神の活動もまた、神の本質と同様に神ご自身なのである。

人間は神の活動に一致しうるが神の本質には一致しえない。しかしこの神の活勤と本質の区別はあくまで同一の神におけるそれである。いかにも矛盾に充ちた命題に見える。そこでこう考えてみたらどうだろう。 人間は神の活動に一致しうる。 この人間の一致する神の活動は神ご自身、 神の自己であらねばならない。なぜならそうでなければ、人間は神と一致することにはならないのだから。
同時に人間は神の本質には一致しえない。神の本質は人間の一致する神の活動すなわち神の自己をも超越するからである。神の本質は、この世界を超越するのみならず、自己の活動すなわち自己自身をも超越する。神の本質は、単に超越的であるのみならず、自己超越的なのである。同一の神における本質と活動の区別の神学、パラミズムは、神の自己超越の神学として理解しうる。人間は自己を超越して神と一つに成ることが出来るが、神は人間と一つに成った自己自身をも超越するのである。

神は内在し、同時に超越する 109頁

神は人間と一致した自己を超越する。これまたいかにも矛盾に充ちた命題である。神が自己を超越するとは、神の自己が同時に神の他者であることを言明しているという意味において明らかに矛盾である。それではパラミズム、神の本質と活動の区別は、この矛盾を解決しているであろうか。神は活動において自己を人間と一致させるが本質においてその自己をも超越する。神の自己である活動とそれをも超越する本質の区別、ここに命題とその否定を同時に言明するという意味における矛盾は存在しない。グレゴリオス・パラマスは、神の自己超越という矛盾を、ギリシャ哲学言語を用いて表現し直すことによって、解決したと考えられるのである。
したがってパラミズムに二律背反を見出す必然はない。それは三一論に二律背反が見出せないのと同じ論理であろ。三一論は、この世界の他者である神がこの世界の人間に臨在する矛盾を、この世界を超越する神の本質とこの世界に内在する神の実存の区別によって解消した。ある命題Pとその否定non Pを同時に言明する矛盾を解消するために、命題Pは状態Qにおいて成立し、その否定non Pでは状態Rにおいて成立すると場合分けすることは、むしる常套手段である。神の超越と内在の矛盾は、神は本質という状態においてこの世界を超越し、実存という状態においてこの世界に内在すると場合分けすることによって、解消するのである。
同様にパラミズムは、この世界の他者である神にこの世界の人間が一致する矛盾を、人間が一致する神の活動と自己の活動をも超越する神の本質の区別によつて解消する。すなわち神の接近可能と接近不能の矛盾は、神は活動という状態において人間に接近可能であるが、本質という状態において人間にも自己自身にも接近不能であると場合分けすることによって、解消するのである。

第4章 神の集合論
第5章 神の濃度
第6章 神の公理系

これらは、私の能力を超えているので理解不能。読むことさえ不能。

最新の画像もっと見る