ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 08/19 ネグリ『叛逆」読了。

2014-08-21 06:25:09 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。午前、ダラダラ。午後、昼寝とジム。それらの間にちょくちょくオルガン練習。『叛逆』続読、水と銀行と教育の共通点は何か。夕食後、「ペテロの葬列」、「HERO」を見る。特捜部は法の最後の番人ではない。10時半就寝、5時起床。体調・快調、チュン、チュン。

こーる のりこさん、Luke Etsuzou Nomahさん、金丸 勝彦さん、他19人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りをします。良き日となりますように。お祈りします。

藤木 冨士子 おはようございます。
posted at 05:29:17

文屋 善明
今日の名言:RT @meigennavi:
人は表現する動物だ。その表現方法のひとつとして、仕事がある。だから何より大事なのは、「その仕事を通じて何をしたいのか」ということ。(coba、日本人、アコーディオン奏者)
<一言>表現すること、それ自体が仕事だっていう人もいる。

播 稔さん、こーる のりこさん、藤井 衞さん、他18人が「いいね!」と言っています。

キタモト ユウコ ありがとうございまーす。
posted at 06:17:17

「昨日のツイート 08/17 哲学者の木田元さん死去」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/fddc94f161bb919d18d36d464915d20…
posted at 06:34:51

文屋 善明
お目覚めの花。「たまにはダラダラ過ごしてもいいよね」「チャントしなければならない時はチャントするならね」「そうね、それなら許してあげる」。
文屋 善明さんの写真

播 稔さん、安永 玲子さん、加藤 治さん、他32人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 はぁい~p(^-^)q

糸原 由美子 カフェが休みだったためここのところずっとダラダラ・・・今週はちゃんとします。

文屋 善明 この端の細い線、刺のように見えますが、優しい糸です。

糸原 由美子 おいらん草?といったと思います。かんざしのようだから?

文屋 善明 そうなんですか。

糸原 由美子 クレオメ・スパークラー・ブラッシュでした。近所のかたがおいらん草といわれたのでそう思っていましたが、今ふと調べてみました。

村田 多鶴子 クレオメ(=西洋風蝶草)って思ってました~♪(^^♪

文屋善明 いずれにせよ、艶かしいですね。

文屋 善明
2014日々の聖句 08月19日(火)
ソロモンの言葉:神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。(列王記上8:27)
どうか、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせてくださるように。(エフェソ3:17)

私の黙想:
神のために何かをする、捧げる、信じることには、常に深刻な矛盾が含まれている。ソロモンは父ダビでの約束、遺言により、神殿を建築した。そして今、その神殿に「契約の櫃」収め、父との約束を果たした。そこで彼は神に祈る。今日の聖句はその祈りの中の一句である。ソロモンは、神殿建築の最中、そんなことを考えていたのか。そうだ。そんなことを考えながらもなお、神殿を建築した。パウロにもそれと共通する「思い」があったのであろう。これは全ての説教者が考えていることであろう。私が聖書を読み、私が考え、私が説教台からか語る言葉、それが「神の言葉」であり得るのか。そんなことは絶対にあり得ない。こんなに浅薄で、貧しく、マズイ言葉が神の言葉であるはずがない。それにもかかわらず、私は「神の言葉」を語る。それはマズイことじゃないのか。信徒を騙しているのではないか。パウロにおいては、それは私の場合でも、「信仰によって」(エフェソ3:17)成り立っている。

播 稔さん、こーる のりこさん、石田 聖実さん、他26人が「いいね!」と言っています。

門叶 国泰 聴聞者も、「説教」から「神の言葉」を聞きとっていく、そこに一期一会の出来事が起きる、何が起きたのかを検証することは説教者にも聴聞者にもできない、が、確実に起きている、と信じて聴いています。

文屋 善明 そのような聴聞者が会衆の中に一人でもおられたら、説教者にとってそれ以上の喜びはないでしょう。だいたいは馬耳東風という感じ、糠に釘という手応えのなさに、疲れだけが残ります。でも、数週間後、数カ月後に、あの時の説教によって変えられたというような話を聞くと、もう説教者であることをやめられなくなってしまいます。

門叶 国泰 毎回、讃美歌を終わって着席すると直ちに熟睡し、説教者の祈りで目覚める方がおられます。しかし、高齢の方が主日毎に身だしなみを整えて礼拝に出る、これほどの恵みはないでしょう。わたくしも、間もなくこの仲間入りをします。説教がなければこの恵みは与えられません。何かが起きます。

糸原 由美子 聞く我々の姿勢も問題がありますね。ハナから疑って聞いたり、語る人が好みでなかったりというようなことで聞いてはいえない。そこには聖霊の働きようがないと思います。が、そういう場合でも聖霊の働きによって思いがけない人に御言葉が入っていくときがあるのは不思議としかいえません。

門叶 国泰 説教者は、「説教が分からなかった」と言うと説明しようとする。説明したら説教ではない。聴衆は、説教が分からないと、「説教が悪い」と言う。両方とも、説教は、「語る者と聴く者がいて初めて説教となる」ことを忘れているのでは。私は説教聴聞録を書き続けて今週で922週、「説教が分からなかった」とは絶対に言わない、と心に決めています。

糸原 由美子 高齢の方が、1週間体調を整えて、身ぎれいにして、喜んで礼拝に来られる姿をみて、まもなく私もその域に達しますから、今から心しておこうと思います。教会に来られる高齢者はみんな、とはいいませんが、心身ともしっかりした方が多いですね。

川井 勝太郎 その様な矛盾に苛まれ、もうやめたいと思う事が何度もありましたが、
こうやって人として悩むことが、神の望まれる成長に繋がっている
様な気がして、やっぱりまだ説教者をさせて戴いています。
スポルジョンとか、エバン・ロバーツとか、霊的な覚醒を起こすために
用いられた器も、同じような葛藤があったのだろうか、ある時悟りを
頂いた様になって、悩まないで語る事が出来る様に成るのだろうか、
といつも思いながら、語る前に祈り神様の介入を必死で求めています。
私は、自分が説教者の端くれにもならないけれど、神様が何か
成されたいと言う思いを汲んで、恐る恐る奉仕させて頂いている
小さな器に過ぎませんが、不完全な自分の言葉の内にも、その時その時
主が働いて下さったのを見て、いつも喜びと驚きで感動します。

文屋善明 牧師を3日やったら、やめられない。

文屋 善明
ネグリ『叛逆」読了。「現代的社会」まさに現在の日本の現状分析は見事。それに対する「叛逆」論だ。いかに戦うか。無力な大衆がいかに「連帯し」、本書では「共」の組織をつくり、「公」によって「民主的な手続き」によって吸い上げられている大衆側の権利をいかにして「共」に取り戻すか。「一般意思」を「全体意志」に変換させる権力、それをネグリは「共」の構成権力と呼ぶ。「叛逆」とは「それは私が願っていることとは違う」という主張である。
一行一行、読むのに時間がかかる本だ。

播 稔さん、川染 三郎さん、こーる のりこさん、他15人が「いいね!」と言っています。

この日の面白い議論

金井 望
【FB公論】日本人の戦没者は犬死にしたのか?
(1) 太平洋戦争は、幕末の黒船来襲から一続きの大きな流れ=帝国主義という歴史的コンテクストにおいて考えるべきことです。すなわち、欧米列強によって、アジアも含めて全世界が分割され、植民地化された時代であったのです。
幕末に日本は、米国をはじめ欧州諸国と不平等な条約を結ばされました。明治維新以降、日本政府は富国強兵に全力を注ぎ、外交努力を続けて、その条約改正に尽力しました。日清戦争、日露戦争の勝利によって、ようやく日本は欧米諸国と対等に交渉することができるようになり、関税自主権など国家としての主権を確立することができたのです。
ここでは話を分かりやすくするために、とりあえず、日本軍による対アジア・対オセアニアの軍事行動・戦争は別として論じます。
対欧米で見れば、幕末以降に日本が行った諸々の戦争は、日本という民族国家が生き延びるために行った自衛の戦争と言えるのではないでしょうか。
(2) 戦前の米国と日本の国力の差は、大人と子どものようでした。石油をはじめとする鉱物資源が乏しい日本が、米国を相手に戦争を行うなど、あまりにも無謀でした。
しかし、いかにしても逃れられない、日本を対米戦争へと追いやる大きな濁流があったのではないでしょうか。
戦前の日本の外交や軍事行動には、関東軍の暴発や国際連盟脱退など、戦争回避の機会を潰す大きなミスがいくつもありました。しかし、対米開戦に至った理由は、それだけではありません。
1941年8月、米国は日本に対する石油の全面禁輸を行いました。当時、日本は石油の大部分を米国からの輸入に頼っていたため、米国はこれによって日本を開戦へと追い込んだのです。12月8日、真珠湾攻撃よりも前に、日本軍のマレー半島進攻が始まっていました。インドネシアの石油をはじめとする、東南アジアの鉱物資源の確保が日本の死活問題だったのです。
東アジアで欧米の植民地支配を受けない、唯一の独立国=大日本帝国の存在を、欧米列強は許しておけなかったのです。
(3) アジア太平洋戦争で失われた日本の戦闘員及び非戦闘員(民間人)の命はおびただしい数です。食料・燃料・武器弾薬の補給が甚だ不足したために、戦闘もままならず餓死した兵士が何十万といたのは事実です。その一つとして無駄ではありません。決して犬死にではありません。
その証拠に、日本独自の民族・国家・言語・伝統・文化・国土が現在に到るまで存続しているではありませんか!
米軍は沖縄では地上戦を行いましたが、本土は空爆・原爆のみで地上戦を行っていません。それは、日本人を恐れていたからです。
非戦闘員である日本の民間人を大量虐殺した米国の罪は、恐ろしく大きなものです。
その米国が都合良く改竄して洗脳した日本の歴史観を、無批判に受容して、殉死した先人たちの尊い死を日本語でもって汚す日本人がいることは、大変残念です!

あなたと萩野 秀子 さん、東山 富昭さん、Yutaka Tanabeさん、他12人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 よくまとまっています。大きな流れはその通りだと思います。だからこそ、当時の日本で最高の知性と言われた西田幾多郎も田邊元も戦争を肯定する論理を建てたのです。

金井 望 ありがとうございます。小生、歴史学は素人なもんで、細かいところは誤解が多々あるかと思います。
m(__)m

文屋 善明 反省的なことを言うならば、日清・日露で「幸運」にも勝てたということが災いしたと言えるでしょう。あの時、粘り強い外交が必要だったと思いますが、それは当時の日本が「外交的未熟」さによるものだと思います。

文屋 善明 それからもう一つ、「外交的未熟さ」は今もそうだということです。国際関係、国際輿論、平和外交、パワー・バランス等々が「信じられない」、「敵を信じる(愛するではない)」ということがわかっていない。

文屋 善明 もう一言、国際関係は「原爆を持てる国」と「原爆を持てない国」とで決まるわけではない。その意味では「原爆」は国際関係を決める決定的要因ではない。

金井 望 20世紀の戦争は、それ以前の時代とは大きく異なっていました。科学技術の発展によって、武器の破壊力が恐ろしく巨大化したからです。そのため、20世紀の国際関係はパワーゲームとなりました。
21世紀に入ってからも、まだその傾向は続いていると思います。
しかし、20世紀後半の2極構造が崩れて、市場経済のグローバル化が進み、新興国が台頭したことによって、現代の世界は多極化しています。価値観においても多元化が進んでおり、イスラーム原理主義のテロリズムが超大国アメリカを揺るがすことさえあります。
核兵器に代表される軍事力だけで、均衡のとれた安全保障体制を構築することはできません。もはやこれは常識でしょう。
では、どのような方法論を使っていけば良いのか。今はそれを模索している状況かと思っております。

金井 望 世界人口の3分の1を占めるキリスト教徒と、同じく2割を占めるイスラームが、どのような考え方と行動をとるか、は非常に重要な問題だと思います。

文屋 善明 キリスト教徒も一枚板ではなく、イスラームも原理主義とリベラル派とで全然異なります。むしろ、それぞれの内部での抗争は今のところ表面化して今えんが、やりだしたら「血を流す」ことになるでしょう。その意味では、事このことに関しては非宗教化(=世俗化)し、ヒューマニズムの立場に立つべきかと思います。

金井 望 私どもはいちおう「福音派」と自称しておりまして、キリスト教の絶対性を支持する立場です。これは「原理主義」との境界があいまいな立場でもあります。しかし、原理主義とは異なる考え方・行い方があり得るとも思っています。

自分たちの信じる対象=主イエス・キリストを唯一・絶対的な神であり、救世主であると信じつつ、それを信じている自分たち自身は決して絶対化しない、相対化する。それゆえに、他の宗教者や無宗教者とも同じ地平に立つのです。彼らとて自分の信じている対象あるいは思想を絶対だと思っているかもしれません。

文屋 善明 この矛盾を克服する思想が「日本はアジアの優等生」としての「世界史的使命」として論じたのが京都学派でした。

文屋 善明 私も福音派と原理主義とは異なると思いますが、じゃ、ファンダメンタリズムという場合、それはどうなんでしょう。私はファンダメンタリズムという場合、アメリカ産の原理主義だと思っています。私が「福音派」という場合、プロテスタンティズムに源流を持つ保守主義、例えばメソジストでいうならばウエスレーの立場「クラシック・メソディズム」を意味すると思っています。

平位 全一 ① 開戦へと追い込まれていった状況から、一面「自衛のための戦い」と言える面がありますが、② それと表裏をなして、帝国主義的な植民地政策とアジア諸国への侵略が、そこにあったことを認めざるを得ません。東南アジア、すなわち、外国に、鉱物資源を求めたことがその証しです。しかもこれは、時代錯誤だったと言わざるを得ません。列強は、自らそのようにして国土を拡大してきたにもかかわらず、時代が進んで、最早それを許さない雰囲気が造られつつあったことを、日本は読めなかったのです。③ 日清戦争、日露戦争の勝利が、アメリカの国力評価に際して、災いとなりました。物質的な劣勢を、精神的な高揚によって補いうると、誤算しました。④ 原爆投下、大都市への空襲によって、非戦闘員を多数死に至らしめたことは、明らかに、連合軍側による、それを禁止したハーグ条約違反です。⑤ 日本が進出・占拠した国々で、唯一日本に好意的なのが台湾で、特に、中国、韓国などでは、日本軍は、決して受け入れられませんでした。現地人の協力なしに、勝利はあり得ません。明らかに、国策の失敗であった、と断じざるを得ません。⑥ 万が一にでも、外交によって、戦争を回避する道があったとすれば、戦死者の死は、空しかったことになります。その評価は難しいでしょう。

文屋 善明 外交とは言葉による「戦争」であり、しびれを切らした方が負けです。もちろん、過去のこと誰も決定的なことは言えませんが、少なくともあの段階では「戦端を切る」状況ではなかったと思います。その意味では、当時の外交官たちは頑張っていたと思います。

金井 望 文屋先生と平位先生のご説は、ごもっともと思います。
対欧米においては、日本はアジアの一員・アジアのリーダーという顔を見せました。
ところが、対アジア・対オセアニアにおいては、日本は欧米列強と同様の帝国主義国という顔を見せたのです。「脱亜入欧」と「大東亜共栄圏」。矛盾していますね。

金井 望 「福音派」とか「福音主義」という言葉は、本来は宗教改革を行ったプロテスタントを指す用語ですが、現代に至るまでに実に多種多様な意味で使われていますね。


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