ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

こんにゃく問答

2010-05-07 10:13:46 | ときのまにまに

内田樹の『日本辺境論』を読んでいたら、面白い話しが紹介されていたので紹介します。内田先生の文章のままでは失礼なので、別なところからさわりの部分だけを引用。
ともかくいろいろ前事情があって、こんにゃく屋の六兵衛と越前永平寺の僧で沙弥托善というホンモノの学僧との間で禅問答が始まります。
先ず、托善が問います。
托善: 法界に魚あり、尾も無く頭もなく、中の鰭骨を保つ。大和尚、この義はいかに。
六兵衛:(あらかじめ打ち合わせたとおり) ・・・・・・・・・。
托善は、「お、これは無言の行だ」
と勘違いして、しからば拙僧もと、
托善:(無言で) 手で○(マル)を作り突き出す。
六兵衛:(無言で) 両手で大きな○。
托善:(無言で) 十本の指を突き出す。
六兵衛:(無言で) 片手で五本の指を出す。
托善:(無言で) 片手で五本の指を出す。
六兵衛:(無言で) 三本の指にはアッカンべー。
托善: 恐れ入ったッ!!
と言うと寺から逃げ出した、という問答。

六兵衛の相棒、八五郎が托善を追いかけてわけを聞くと、「なかなか我等の及ぶところではござらん。『天地の間は』と申すと『大海のごとし』というお答え。『十方世界は』と申せば『五戒で保つ』と仰せられ、『三尊の弥陀は』との問いには『目の下にあり』。いや恐れ入りました」という返事。
他方、六兵衛の方の解釈は、「ありゃ、にせ坊主に違えねえ。馬鹿にしゃあがって。俺がこんにゃく屋だてえことを知ってやがったんだ。指で、てめえんとこの蒟蒻はこれっぱかりだってやがるから、両手を広げて、こォんなに大きいと言ってやった。10丁でいくらだと抜かすから、500文だってえと、300文に負けろってえから、アカンベー」。
この落語に登場する、托善は実在の人物とのこと。この落語は禅僧から落語家になったという二代目林家(屋)正蔵が、幕末の嘉永年間に作ったと言われています。

内田先生は、この話をホンモノの宗教家はどこからでも、誰からでも学べるという教訓としています。もちろん宗教に限りませんが。その意味では、「弟子は師に勝る」。イエスの言葉に「弟子は師にまさるものではなく、弟子は師のようになれば、それで十分である」(マタイ10:24,25)ということばがありますが、ここにユダヤ文化と日本文化との違いが見えます。わたしは「どっちやねん」。


 


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