読書記録:内田樹×白井聡『日本戦後史論』(徳間書店)
メモ書き
警句「愛国心は、ならず者の最後の避難場所である」5頁
外国軍の基地が国内に半永久的に存在することを「変だ」と感じない人たちを僕はナショナリストと呼ぶことはできません。(内田)34頁
日本人て、けっこう「全部ぐちゃぐちゃになる」という状態が好きなんですよ、制度をちょっとずつ手直しするより、一回全部壊して、ゼロから作り直す方が好きなんです。(内田)41頁
敗戦の否認について(内田)
日本以外の国も、すベて国民国家はその原点において何かを否認していると思うんです。すベての国は国の正統性について何らかの作話をしている。そこで国の成り立ちについての正統性の物語にうまくなじまない「不都合な現実」は否認される。そういう操作をしていない国はない。それがすベての国で統治システム~社会システムの歪みの原因になっている。
アメリカは原住民の虐殺と土地の簒奪というところから国の歴史が始まるわけです。それを何とかLて正当化しないといけない。あれは正しかったと言い続けないと国がもたない。だから、そのあとの「未開人」を探L出しては教化啓蒙して人類史に貢献しているという物語を必死に語り続けて いる。
フランスは第三共和政の正統な後継政権であるヴィシー政権が対独協力して、事実上枢軸国であったという事実を否認Lている。フランスは連合国に官戦布告こそしてはいないけれども、インドシナでは日本軍と植民地共同統治協定を結び、国内のユダヤ人を狩り立ててアウシュビッツに送り込んでいた。でも、そういう歴史的事実は抑圧されていて、それを開示するような歴史研究はまさに日本における歴史修正主義者たちの言い分と同じ<「自虐史観」として排撃されている。だいたいフランスは第2次大戦の敗戦国なんです。パリを解放したのは政党なフランス政府軍ではなくて、フランス政府から死刑宣告を受けたシャルルドゴールの自由フランスという一交戦団体なんですから。
イタリアはムソリーニ失脚の後、連合国とひそかに講和条約を結び、ドイツの傀儡政権であるイタリア杜会共和国と内戦を戦って、これを破っている。だから、イタリア王国には終戦時に「戦勝国」を名乗る権利があった。でも、僕たちはフランスは戦勝国で、イタリアは敗戦国だと教えられてきています。 これ、おかしいんですよ。 どちらかと言えば、イタリアが戦勝国を名乗り、フランスが敗戦国を名乗る方が筋なんです。これはもう終戦時のどさくさに「国の正統性の物語←」を作話したときのフランスのド・ゴール将軍とイタリアのピエトロ・バドリオ将軍の「物語構成力」の差と言うしかない。
ドィツも、ナチスにすベての「穢れ」を押しつけて、一般ドイツ人を免罪しょうとした。だから、ナチスの戦争犯罪人をニュルンベルク裁判での苛烈な裁きに委ねることで、「一般ドイツ人はナチス独裁の犠牲者だった」という物語を何とか基礎づけた。日本はどうしてドイツのように謙虚に戦争犯罪を反省できないのだと批判すろ人がいますけれど、ドイツの場合はヒトラ-、ヒムラ-、ゲッベルスは自殺し、ゲ]リング元帥、カイテル元帥、リッベントロツプ外相らは死刑になった。戦争の名目上の最高責任者は日本の場合は軍の統帥権を保持していた「大元帥」です。ですから、天皇をヒトラーたちと同格に扱っていれば、ドイツのように日本軍国主義者にすベての「穢れ」を押しつけることで日本国民を免罪するという手が使えたでしょう。でも、天皇の訴追がどれほど日本人を憤激させるかを考えると、その選択肢はあり得ないものだった。 だから、日本は日本独自のしかたで「敗戦の否認」を行なった。そういうことだと思います。それぞれ手立ては違うし、依拠した物語も違うけれど、敗戦事実をまっすぐに全面的に引き受けた敗戦国はどこにもない。すベての敗戦国は程度の差はあれ「敗戦の否認」をした。たぶんその否認がもたらす病状が一番重いのが日本とフランスだろう。152頁
「昭和天皇は国民を愛していた」という幻想を田茂棚けれ系内から、「アメリカは日本を愛している』という幻想もたもたなければならない。しかし国家関係においt下愛情だの、ゆうじょうだのなんて、そもそもあり得ません。冷戦構造が崩壊してグローバル化したとき、アメリカの人についての経済的位置づけが変わりました。庇護すべき対象から収奪の対象になったんです。(白井)170頁
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(エズラ・ヴォーゲル)
あの時、日本は経済戦争でアメリカに勝っていた。その同じ時「不沈空母発言」(中曽根康弘がレーガンに言った言葉)。その時こそ、日本の自立チャンス。174頁
白井:毎年8月になると、「あの戦争を忘れない」みたいなキャンペーンが多くなりますが、 占領期を忘れるなという話は出てこないですよね。
内田:出てこないですね。8月15日で終わってしまう。1945年8月15日から10年間ぐらいの占領期に「ほんとうは何があったのか」は一種のブラックボックスですよね。
白井:その間、アメリカ側は戦争とは違う形で本土決戦を続けていたんですよね。この国を二度と歯向かってこないような国に改造しようということで、断固たる意志でやっていた。日本人としてはほとんどやられっぱなしにやられるほかない。抵抗できない。まさにその時期こそが忘れられた時期になっている。
内田:必死になってその時期のことを調ベていたのは江藤淳くらいでしよう。占領期に何が起きたか、何が隠蔽されていたか、それを江藤は調ベていますね。フランスの場合と似ているのは、占領期に占領軍と通じていた人間たちが、その後の日本政府の中枢を占めているということです。自民党のある部分は敗戦時に軍隊の物資を私物化したフィクサーとCIAの合作です。ですから、そこにかかわる話は日本の保守政界でも、保守系メデイァでも完全なタブーですね。しかもいまだに当時の関係者たちの末裔たちが政権中枢に居座っている。占領期にアメリカと通じた人たちとその係累たちが今も続いて日本の支配層を形成している。占領期における対米協力者というのは、フランスにおける対独協力者と機能的には同じものですよね。岸信介も、賀屋興宣も、正力松太郎もCIAの協力者リストに名前があがっている。アメリカは公文書を開示してくれますから、日本人自身がどれほど隠蔽しようとしても、外から情報が漏れてきてしまう。岸と正力がCIAのエージエントだったということを知れば、安倍晋三と読売新聞がつるんでいるという政治的絵図は1945年から変わっていないということがわかります。特定秘密保護法を安倍政権が必死になって制定しようとしたことの理由の一つは2007年にァメリカの公文書が開示されて、自分の政治的出自が明らかにされたことに対する怒りがあるんじゃないですか。
白井:早稲出大学の有馬哲夫さんは、そのあたりの研究を精力的に進めていらっしゃいます。正力のことについても書いているし、児王誉士夫のことも書いている。私の大学院での師匠だった加藤哲郎先生もこのあたりのテーマに近年取り組んでおられます。これって日本の政治学者や歴史家がいちばん熱狂すベきテーマであるはずなのに、アカデミックテーマとしてそれほどブレゼンスが大きくないのは何なんだろうと思うんですよね。これ以上おもしろいことはないだろうに。
内田:一つは関係者があまりに多いからでしよう。関係者が多いイシューは必ず抑圧される。いろいろ史料が出てくるとしたら彼らが死んでからでしょう。だから、まだ時間が足りないんですよね。戦後70年ではまだ足りない。
白井:ただ、深刻なのは、当事者が死んでも、その子孫みたいなのが相変わらず高位高官にいるから手が出せないという感じもあります。
内田:まあそうですよね、岸信介がC1Aのためにどういう活動していたかなんていうのは、安倍晋三がいる限り日本では資料公開されないでしょう。
白井:そうなんですよ。CIAの資料は自動的に何年か経てば公開していくはずなんだけれども、岸ファイルについては例外扱いで、公開されていないのだそうです。戦後の日米
関係の根幹、ひいては現在の日米関係を揺るがしかねないという判断なのでしょう。
内田:でもそれが日本人がいちばん知りたいことでしょう。占領下の日本人がどうやってアメリカに協力していったのか。占領期における対米協力の実相とううのは僕たちが
「対米従属を通じての対米自立」という戦後の国家戦略の適否を仔細に分析しょうとしたら避けて通ることができない論件なんです。それがわからないと現代H本のかたちの意味がわからない。ぜひ心ある歴史学者にやってほしい仕事なんですけれど。たぶん科研費はつかないですね∪
白井:この前、ある年長の学者に仕事でお会いする機会がありました。その方は自民党の政冶家と長年交流する機会があったから、彼らがどういう感覚なのか、どうう価値観、なのか、皮膚感覚でご存じで、興味探いお話をたくさん伺つたんです。
対米従属の問題に関してこうおつしゃった。日本の保守のエス夕ブリツシュメント層と
いうのは、アメリカと日本国民との間に入っていろんな経験をしている。だから今の安倍さんのやっていることの動機は、要するにアメリカに対するする怨念なんだと、怨みなんだというのす。どういう恨みなのかというと、間に立たされた日本のエスタブリッシュメント層はかなり屈辱的な経験をしてきた。238頁
メモ書き
警句「愛国心は、ならず者の最後の避難場所である」5頁
外国軍の基地が国内に半永久的に存在することを「変だ」と感じない人たちを僕はナショナリストと呼ぶことはできません。(内田)34頁
日本人て、けっこう「全部ぐちゃぐちゃになる」という状態が好きなんですよ、制度をちょっとずつ手直しするより、一回全部壊して、ゼロから作り直す方が好きなんです。(内田)41頁
敗戦の否認について(内田)
日本以外の国も、すベて国民国家はその原点において何かを否認していると思うんです。すベての国は国の正統性について何らかの作話をしている。そこで国の成り立ちについての正統性の物語にうまくなじまない「不都合な現実」は否認される。そういう操作をしていない国はない。それがすベての国で統治システム~社会システムの歪みの原因になっている。
アメリカは原住民の虐殺と土地の簒奪というところから国の歴史が始まるわけです。それを何とかLて正当化しないといけない。あれは正しかったと言い続けないと国がもたない。だから、そのあとの「未開人」を探L出しては教化啓蒙して人類史に貢献しているという物語を必死に語り続けて いる。
フランスは第三共和政の正統な後継政権であるヴィシー政権が対独協力して、事実上枢軸国であったという事実を否認Lている。フランスは連合国に官戦布告こそしてはいないけれども、インドシナでは日本軍と植民地共同統治協定を結び、国内のユダヤ人を狩り立ててアウシュビッツに送り込んでいた。でも、そういう歴史的事実は抑圧されていて、それを開示するような歴史研究はまさに日本における歴史修正主義者たちの言い分と同じ<「自虐史観」として排撃されている。だいたいフランスは第2次大戦の敗戦国なんです。パリを解放したのは政党なフランス政府軍ではなくて、フランス政府から死刑宣告を受けたシャルルドゴールの自由フランスという一交戦団体なんですから。
イタリアはムソリーニ失脚の後、連合国とひそかに講和条約を結び、ドイツの傀儡政権であるイタリア杜会共和国と内戦を戦って、これを破っている。だから、イタリア王国には終戦時に「戦勝国」を名乗る権利があった。でも、僕たちはフランスは戦勝国で、イタリアは敗戦国だと教えられてきています。 これ、おかしいんですよ。 どちらかと言えば、イタリアが戦勝国を名乗り、フランスが敗戦国を名乗る方が筋なんです。これはもう終戦時のどさくさに「国の正統性の物語←」を作話したときのフランスのド・ゴール将軍とイタリアのピエトロ・バドリオ将軍の「物語構成力」の差と言うしかない。
ドィツも、ナチスにすベての「穢れ」を押しつけて、一般ドイツ人を免罪しょうとした。だから、ナチスの戦争犯罪人をニュルンベルク裁判での苛烈な裁きに委ねることで、「一般ドイツ人はナチス独裁の犠牲者だった」という物語を何とか基礎づけた。日本はどうしてドイツのように謙虚に戦争犯罪を反省できないのだと批判すろ人がいますけれど、ドイツの場合はヒトラ-、ヒムラ-、ゲッベルスは自殺し、ゲ]リング元帥、カイテル元帥、リッベントロツプ外相らは死刑になった。戦争の名目上の最高責任者は日本の場合は軍の統帥権を保持していた「大元帥」です。ですから、天皇をヒトラーたちと同格に扱っていれば、ドイツのように日本軍国主義者にすベての「穢れ」を押しつけることで日本国民を免罪するという手が使えたでしょう。でも、天皇の訴追がどれほど日本人を憤激させるかを考えると、その選択肢はあり得ないものだった。 だから、日本は日本独自のしかたで「敗戦の否認」を行なった。そういうことだと思います。それぞれ手立ては違うし、依拠した物語も違うけれど、敗戦事実をまっすぐに全面的に引き受けた敗戦国はどこにもない。すベての敗戦国は程度の差はあれ「敗戦の否認」をした。たぶんその否認がもたらす病状が一番重いのが日本とフランスだろう。152頁
「昭和天皇は国民を愛していた」という幻想を田茂棚けれ系内から、「アメリカは日本を愛している』という幻想もたもたなければならない。しかし国家関係においt下愛情だの、ゆうじょうだのなんて、そもそもあり得ません。冷戦構造が崩壊してグローバル化したとき、アメリカの人についての経済的位置づけが変わりました。庇護すべき対象から収奪の対象になったんです。(白井)170頁
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(エズラ・ヴォーゲル)
あの時、日本は経済戦争でアメリカに勝っていた。その同じ時「不沈空母発言」(中曽根康弘がレーガンに言った言葉)。その時こそ、日本の自立チャンス。174頁
白井:毎年8月になると、「あの戦争を忘れない」みたいなキャンペーンが多くなりますが、 占領期を忘れるなという話は出てこないですよね。
内田:出てこないですね。8月15日で終わってしまう。1945年8月15日から10年間ぐらいの占領期に「ほんとうは何があったのか」は一種のブラックボックスですよね。
白井:その間、アメリカ側は戦争とは違う形で本土決戦を続けていたんですよね。この国を二度と歯向かってこないような国に改造しようということで、断固たる意志でやっていた。日本人としてはほとんどやられっぱなしにやられるほかない。抵抗できない。まさにその時期こそが忘れられた時期になっている。
内田:必死になってその時期のことを調ベていたのは江藤淳くらいでしよう。占領期に何が起きたか、何が隠蔽されていたか、それを江藤は調ベていますね。フランスの場合と似ているのは、占領期に占領軍と通じていた人間たちが、その後の日本政府の中枢を占めているということです。自民党のある部分は敗戦時に軍隊の物資を私物化したフィクサーとCIAの合作です。ですから、そこにかかわる話は日本の保守政界でも、保守系メデイァでも完全なタブーですね。しかもいまだに当時の関係者たちの末裔たちが政権中枢に居座っている。占領期にアメリカと通じた人たちとその係累たちが今も続いて日本の支配層を形成している。占領期における対米協力者というのは、フランスにおける対独協力者と機能的には同じものですよね。岸信介も、賀屋興宣も、正力松太郎もCIAの協力者リストに名前があがっている。アメリカは公文書を開示してくれますから、日本人自身がどれほど隠蔽しようとしても、外から情報が漏れてきてしまう。岸と正力がCIAのエージエントだったということを知れば、安倍晋三と読売新聞がつるんでいるという政治的絵図は1945年から変わっていないということがわかります。特定秘密保護法を安倍政権が必死になって制定しようとしたことの理由の一つは2007年にァメリカの公文書が開示されて、自分の政治的出自が明らかにされたことに対する怒りがあるんじゃないですか。
白井:早稲出大学の有馬哲夫さんは、そのあたりの研究を精力的に進めていらっしゃいます。正力のことについても書いているし、児王誉士夫のことも書いている。私の大学院での師匠だった加藤哲郎先生もこのあたりのテーマに近年取り組んでおられます。これって日本の政治学者や歴史家がいちばん熱狂すベきテーマであるはずなのに、アカデミックテーマとしてそれほどブレゼンスが大きくないのは何なんだろうと思うんですよね。これ以上おもしろいことはないだろうに。
内田:一つは関係者があまりに多いからでしよう。関係者が多いイシューは必ず抑圧される。いろいろ史料が出てくるとしたら彼らが死んでからでしょう。だから、まだ時間が足りないんですよね。戦後70年ではまだ足りない。
白井:ただ、深刻なのは、当事者が死んでも、その子孫みたいなのが相変わらず高位高官にいるから手が出せないという感じもあります。
内田:まあそうですよね、岸信介がC1Aのためにどういう活動していたかなんていうのは、安倍晋三がいる限り日本では資料公開されないでしょう。
白井:そうなんですよ。CIAの資料は自動的に何年か経てば公開していくはずなんだけれども、岸ファイルについては例外扱いで、公開されていないのだそうです。戦後の日米
関係の根幹、ひいては現在の日米関係を揺るがしかねないという判断なのでしょう。
内田:でもそれが日本人がいちばん知りたいことでしょう。占領下の日本人がどうやってアメリカに協力していったのか。占領期における対米協力の実相とううのは僕たちが
「対米従属を通じての対米自立」という戦後の国家戦略の適否を仔細に分析しょうとしたら避けて通ることができない論件なんです。それがわからないと現代H本のかたちの意味がわからない。ぜひ心ある歴史学者にやってほしい仕事なんですけれど。たぶん科研費はつかないですね∪
白井:この前、ある年長の学者に仕事でお会いする機会がありました。その方は自民党の政冶家と長年交流する機会があったから、彼らがどういう感覚なのか、どうう価値観、なのか、皮膚感覚でご存じで、興味探いお話をたくさん伺つたんです。
対米従属の問題に関してこうおつしゃった。日本の保守のエス夕ブリツシュメント層と
いうのは、アメリカと日本国民との間に入っていろんな経験をしている。だから今の安倍さんのやっていることの動機は、要するにアメリカに対するする怨念なんだと、怨みなんだというのす。どういう恨みなのかというと、間に立たされた日本のエスタブリッシュメント層はかなり屈辱的な経験をしてきた。238頁