ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

吉本隆明著「ひきこもれ」

2007-12-07 09:57:14 | 雑文
わたしは、朝日新聞の日曜版の読書欄と広告欄を見て、興味のある本を選び、アマゾンに注文して本を買う。それが、わたしの普段の本の買い方で、確かにその買い方は便利であるが、どうしても新刊本や評判の再刊本という偏りがあることは否めない。でも、大きな本屋に行って、そこからわたしの興味のある本を選ぶとなると、体力的にも大変だし、どうしても買いすぎてしまうので経済的にも負担が大きすぎる。そこで、タマーに本屋に行きボヤーッと本の表紙を眺めながらうろうろする。ウインドウショッピングならぬ、カバーショッピングである。でも、だいたい眺める書棚は限定され、哲学書か、宗教書、それに趣味の料理関係の棚ということになる。
先日、久しぶりに大きな書店に行きカバーを眺めていると、吉本隆明の「ひきこもれ」という本が目についた。「へー、吉本さんがこんな本を書いているのか」と独り言をいいながら、頁数の割に1400円は高いと思ったが、買ってしまった。大和書房出版で「ひとりの時間をもつこと」という副題が付いている。(初版は2002年12月に出ている。現在は第5版)
帰宅して、すぐに頁をめくり1時間半ほどで読了した。ということは、吉本さんの著作としては読みやすいということである。内容的に、それ程魅力的なものではなかったが、いくつかの点で、「吉本さんらしい」と思わせるものがあった。
その一つ、「時間を細切れにされたら、人は何ものにもなるいことができない」。これは、凡人にはなかなか言えないセリフである。
二つ目、言語には他人とコミュニケイトするためのものと、自分自身に通じる言語(第2言語)とがあり、重要なのはこの第2言語であり、これが「価値」を生む。人間には「意味」(第1言語の機能)に傾く者か、「価値」に傾く者とがいる。それは、「良し悪し」の問題ではなく、その人の性格とか、得意・不得意に関係している。確かに、わたしの周囲を見ていてもこの人間区分は有効である。
三つ目は、「状況論」の権威者らしく、教室に流れる「嘘っぱちの空気」について触れている。教師が求めているものは「偽の真面目さ、偽の優等生、偽の品行方正」であって、所詮「着かけの上だけの申し分のない生徒」が賞賛される世界である。それを吉本は「偽の厳粛さ」という。それは、教室だけではなく、社会一般にも通じる欺瞞性であり、感受性の高い生徒には、それに耐えられない。
その他、取り上げるといろいろ興味深い点もあるが、上記の3点は吉本さんらしい指摘である。

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