ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

旧満州での思い出(6) 戦争体験を語り継ぐこと

2008-05-13 15:23:34 | 旧満州の思い出
戦争体験をどのようにして子どもに語り継ぐかという課題は、非常に難しい。語る方には語りたいことが山ほどある。ところが、あまりにありすぎて、しかも切実すぎて、言葉よりも思いの方が先行してしまう。おそらく、聞く方の子どもたちの方にとっては、それは遠い過去の思い出話にすぎないし、あまりにも状況が違いすぎて、身に迫るということがほとんどない。そこに情緒的な深いギャップがあって、話す方も空しいし、聞く方もつまらない。とくに満州の経験ということになると、ただ単なる戦争体験以上のギャップがあって、同世代に人々にも通じないもどかしさがある。
そのような深いギャップを乗り越えて、一つの記録が出版された。満州の鞍山というところにあった、昭和製鋼所の家族たちの記録である。率直な感想は、先ず「こんな本は見たことがない」ということである。編集者の田上洋子さんは、わたしと同世代の満州生まれである。この本でいうと、「子」の立場である。その視点から、親たちが残した手記に、同世代の「子どもたち」の思い出を加え、美事に「生きた記録」としている。この本の素晴らしさは、もちろん内容が第一であるが、編集手法が抜群である。<「親と子が語り継ぐ満州の『8月15日』」(編集:田上洋子、芙蓉書房)>
どうしても、一人の人の手記では主観が強すぎて、情報にひずみが出てくるが、この本に関する限り、「ひずみ」は全くなく、冷静に、客観的に、反省的に、出来事そのものを読む者の前に展開させている。
わたし自身も満州生まれ、戦後引き揚げ者であり、ここで描かれている出来事は他人事ではない。鞍山の製鋼所と首都新京(現長春)の公務員との違いや、終戦と引き揚げに関する状況の違いは小さくないが、この本を読みながら、わたし自身の経験が甦ってくる思いであった。
ここでは、その中の一つだけを紹介しておこう。子どもの遊びである。「当時、戦闘帽といわれたカーキ色の野球帽が重要な役割を持っていて、ひさしの向きによって強弱が決められた。ひさしが前にあれば、戦艦、横が駆逐艦、そして後ろにあれば潜水艦だった。戦艦は駆逐艦を、駆逐艦は潜水艦を、潜水艦は戦艦をタッチしたら勝ち。同じ艦ならジャンケン。負けたら捕虜で、敵陣で助けを待つ。戦艦は一隻しかなくて、それがやられたら全体が負ける」。
そう言われれば、わたしもこんな遊びをしていたことを思い出す。当時の子どもたちは、こういう遊びを通して、軍艦の種類を覚えたものである。

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