ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

旧満州での思い出(11) いろいろな体験記

2008-06-05 14:49:15 | 旧満州の思い出
旧満州からの引き揚げ者の記録はかなり出版されている。最近では、出版されないまでも、Web上で無数といっていいほど、たくさん発表されている。どれも、その人にとってかけがえのない貴重な体験であることには違いはない。
中でも、昭和30年(1955年)に出版された日隈すみ子さんの「ヨルダンの岸辺まで」(キリスト新聞社)は出版されたのが、敗戦後10年足らずということで、かなり多くに人々の目にとまったし、大きな影響をもたらした。わたしの母も、この本を読んで「わたしたちの経験」と「同じだ」と、いろいろな人に紹介していた。
母が買った「初版本」はすり減ってしまって、手元になかったので、何とか手に入れたいと願っていたが、幸いなことに昭和46年に増補版が発行され、それを今も大事に手元に置いている。著者の日隈すみ子さんのご長男、光男さんは、成人して日本バプテスト連盟の牧師になって、現在も現役で活動しておられる筈である。
わたしは、この種の「体験記」はできるだけ手に入れ保存することにしている。最近、手に入れたものは、「親と子が語り継ぐ満州の『8月15日』」(芙蓉書房)で鞍山の昭和製鋼所の人たちの体験が記録されている。非常に読み応えのある貴重は記録である。
2003年に発行された窪田葉子さんの「あぁ・・・満州」(東京図書出版会)も旧満州の北部開拓民への女子勤労奉仕隊の貴重な体験が記録されている。窪田さんは敗戦も間近に迫った昭和20年に15歳で満州勤労奉仕隊に応募して、北満でもソ連国境に近い開拓地に派遣され、突然のソ連軍の国境突破により、ソ連軍の戦車に追われて新京にたどり着き、わたしたちが脱出した後の新京で、およそ1年を過ごした経験を記録している。「ここは日本人の独身寮で、敗戦になったらさっさと日本に引き揚げていったそうです。向かいにある寮も、近くにある官舎や一般の建物も全部出て行ってしまい、その空き家に私達のように奥地から逃げてきた人たちが住んでいる。同じ日本人のに随分不公平ですよね」という言葉には、その逃げた日本人の一人として心が痛む。
いろいろな体験記の中でも、1984年に出版された藤原作弥氏の「満州、小国民の戦記」(新潮社)は出色である。藤原氏がプロのジャーナリストであるということもさることながら、現地を実際に訪問し、調査しているということで、たんなることもの時の思い出というレベルをはるかにしのいでいる。藤原氏は、わたしより1年若く、昭和12年生まれということもあり、視点がよく似ている。しかし、藤原氏の体験は満州というよりも蒙古であり、終戦後は鴨緑江ほとりの安東市の状況であり、新京から、平壌経由で帰国したわたしの体験とはかなり異なる。
同じ満州引き揚げ者といっても、一寸した地域の差や時間のズレによって、こんなにも大きな違いが出てくるのかと考えさせられる。

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